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再・住所不定無職日記85日目 ただやりたいことを続ければいいんだ

朝9時に起床。肌寒さがぶり返すここ数日は、目が覚めても布団から出られない。一週間ほど前にシェアハウスの棚を引っ掻き回していたら、子供の頃に使っていたタオルケットによく似たものを見つけた。パイル生地の肌触りが気持ちよくて、ずっと触れていたくなるようなところが似ていた。昔からふわふわしたものに弱いのだ。そいつを布団に迎えてからというものの、早起きできない言い訳が増えた。

今月の頭からルームメイトが入れ替わった。モンゴル人の隣室の子は出て行き、代わりに同い年の日本人が入居。昼から仕事に行くので10時過ぎまで寝ている。もう1人のルームメイトも週の半分は遅番だから、朝の遅い家になった。前の子がいた時は朝は早いが夜も早い家で、22時には居間は完全消灯していて困っていた。
私は他人に合わせる方が気を遣わなくて楽だから合わせがちで、一緒に暮らす人によって生活リズムが変わるシェアハウスの様子が生物みたいで面白く感じている。

新しいルームメイトは今までの子とすごく違う。こういうルームシェアに来る人は大体海外が絡んでいる。敷金礼金を払う日本の賃貸契約制度がナンセンスな外国人留学生や外国人就労者、ワーホリに行く前か行った後の人、外国で結婚するために一時的に書類整備のために住んでいる人もいた。
今度の子は地方から出てきた子で、家賃が安いから長く住みたいというシンプルなものだった。長く住む前提できているので、生活の質の向上に最初から目が行く。入居翌日に見慣れないバスマットが導入されて、私と前から住んでいるルームメイトは目を丸くした。
「お風呂上がったら、びっちゃびちゃになるじゃないですか」
確かに今までバスマットは使っていなかったけれど、それはバスマットを導入すると誰が洗濯するかとか色々面倒だったからだ。ルームシェアはしているけれど、独立した個人の暮らしの寄せ集めという感じで、仲はいいがあまり干渉しあわないのが暗黙のルールだった。というのも、みんな海外に行き来するための「一時的な滞在」だったから環境を変える気はなかったのだ。
シェアハウスは自分のものではなく、過去と未来に住む誰かの家だから、何かを導入すると未来に影響する。彼女は新しくシャンプーラックを導入し、計量カップと鍋つかみを取り換えた。

昼は家で勉強し、夕方になると仕事から帰宅したもう一人のルームメイトと話す。台湾人の彼女は数日前まで2週間ほど里帰りしていて、話すのは久しぶりだった。4月のはじめに台湾で大きな地震が起きた時、家で一緒にその様子を調べた。彼女の実家のある場所は揺れこそするが被害は大きくないという。

彼女が里帰りしている間に仕事が決まったことを報告する。通信制の大学に通い直し、授業のせいで月に数日平日に働けないことから、掛け持ちを念頭に仕事を探していた。無事に研究予定のテーマとも関係しているインタビュー専門ライターの仕事を見つけた。数年前にこのnoteを始めたときに、ライターに戻って痛い目みたのにまたライターになった。
もう一つ、せっかくWEBサイト制作の会社でフロントエンドを目指していたのだからと受けた、インハウスでのWEB制作担当の求人の面接が昨日で、好感触だったことを伝え、図書館へ行った。

図書館へと歩きながら、昨日のことを振り返った。
実際、その面接ではこわいくらい評価してもらって、いや本当に怖かった。技術も能力もたいしてないが実績だけをかき集めたポートフォリオのおかげで、特に面接では実際の能力よりも上方修正されることが多い。「このポートフォリオを見た時すぐに、あなたとこんな仕事がしたいってイメージが沸きました」と、自分より若い面接の担当者が目を輝かせて伝えてくれた。期待してもらえたようで嬉しいが、光の速さで「応えられるかな」と不安になった。
そんな気持ちをかき消すように、面接後に友人の働くカフェに立ち寄ったのだ。半年ぶりに訪れた店は雨のせいかそう混んでいなく、友人が一人で店を回していた。むかしのバイト先で一緒だった後輩で、当時から「やりたいこと」についての悩みをよく聞いていた。自分は下手に器用だから何でも教えられたらすぐにいいところまで行く自信があるけど、飽きっぽいから辞めてしまう。そんなふうに話していた。実際手際の良さはピカイチで、いつでも丁寧な仕事ができる子だったのだ。
ぽつりぽつりと近況を報告しているなかで、一年を超えたバリスタの仕事についての感想がふと、彼女からこぼれた。
「今さら、何者かになりたいなんて思わないんですけれど、」
手は休めずに、そう話し出した。「このままでいいのかって、相変わらず、背中のあたりをコツンコツンとする何かがいて、そういうのを感じながら過ごしていて」。続く話しは以前と同じ語りから始まった。「器用な方なんで、なんでもある程度まではできてしまうからそこそこ楽しめるんですけれど、それ以上うまくなるための長い期間、コツコツと積み上げていかないといけないその長い時間に耐えられなくて、何でもはじめてはすぐ辞めてしまうんです。でも」。会話の途中にも新しい客が訪れては、丁寧に対応して、一杯一杯用意する。同じ手順で。
「でも、コーヒーは、ここでももう一年やって、やっとたまにうまくできたかなって思ったら、またわからなくなって、でもまた掴んだかもって思って、でもまたっていうのを繰り返して、ちょっとずつもしかしたら上手くなっているのか、どうかなって続けてます。なんだかんだ好きだから」
そう話すのを聞いて、彼女の物語の続きを聞けたなと感じた。

不思議なことに、喫茶店を出た後、私の物語にも続きが生まれた。いつも通らない地下のショッピング街を歩いていて、目についた雑貨屋を物色していたら、通りを歩く人と目が合った。あっ、と声をあげてお互い立ち止まった。
昨年まで通っていた小説教室の受講生の年上のおじさんだった。通っていた頃から、教室以外でもなんどか町の映画館で偶然会っては声をかけてるなどの機会があった。小説なんて書いているくらいだから趣味が近いのだ。
お互いにその場で近況を報告し、「もう小説は応募した?他の教室に行っているの?」と聞かれたのだ。私は実は転職をしたり、海外に行ったりしていたこと、小説をあれから書いていないことを話した。
彼はあれから上級コースに変更し、枚数を増やして書いていると教えてくれた。「すごいです」と少しショックを受けてつぶやくと、「だって、続けていくのが一番大事だから」とそっと答えた。教室にまだ人数の空きがあることを教えてくれて、「もう一度通ってみたら」と声をかけてくれた。

この昨日の一連の出来事を反芻しながら私は歩いていた。夕方の街は雨が上がって、仕事帰りの人で溢れていた。
なんだかすっごく気分が良かった。すとんと、心の真ん中にもやもやしていたものが落ち着いた気がした。
そうか、何をしたらいいかわからない、向いていない気がする、向いているものがどこかにある気がすると、悩んでいたあの頃の答えはここにあったんだ。
ただ、やりたいことを続けていくだけでいいんだ。ただ、それだけだったんだ。

歩いていると、友人から連絡がきた。昔の仕事仲間だ。2月の旅行を写真付きで雑にまとめてWEBサイトにしたものを見てもらっていたのだ。仲間内で秋に毎年出展している自費出版本のイベントに旅行の記録を出してみたらと勧めてくれた。
やりたいことをが手のひらに溢れていた。やりたい、やれるかな、でもやれたら楽しいな。気がついたら走っていた。


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