230630
自己肯定感なんてものはないが
僕は今までずっとそう生きてきて
僕は僕だったけれど実体がなかったから
僕は僕であるという証拠もなければ
自信なんてあるはずもなかった
肉体が無いから
僕である証明ができなかったから
自分のことが嫌いである自分が好きだった
憂鬱な人生が好きだった
憐れむことが好きだから
センチメンタルが好きだから
それでも自分が嫌いだから
何か 僕が僕であるようにと
僕が僕である証明をしたいと
何か自信が持てる何かが欲しいと
6月は毎日の日々の記録を書くことに決めた
何かをやりたいというのに
何もやらない自分が嫌いだったから
自分自身で何かを決めてやり遂げるということ
そういう何かが欲しかった
自分自身でやったのだという証拠が 確信が欲しかった
それは何でも良かったのだけれど
自分ができることは何だろうかと
どれだけ小さいことだとしても
あまり物事を続けられない僕でもできそうなことを
そうしてこの一か月間、行動することに決めた
自分で決めたことだとしても
何かをこなしているという感覚はあまり変わらなかった
けれどそこに主体があれば
たとえただこなしているだけだとしても
小さな事なら
そして何より自分が嫌になることでなければ
続けることが出来た
何よりそれは嫌なことではなかったこと
自分がやりたくて楽しくて熱中することが出来たこと
そこにかけた熱量や時間、労力が本物であると思えたことだったから
それは確実に自分のものになった
自分自身が大切にできるものになった
自分の輪郭がはっきりして見えたことは
他者に対するリスペクトがより誠実になったこと
私情と外的情報が分離されよりクリアになった
壁ができたから
あとは繕うだけ 綺麗に
情報を認識して理解できるようになれたから
あとは 戦うだけ
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