若さ故の熱量が恋しい
大学卒業を3月に迎え、残りの大学生活を惜しむかのように大学時代、中高時代の友達との怒涛の飲み会ラッシュに身を委ねる今日この頃。
酒の飲み過ぎで、顔がパンパンに浮腫み、母にあんたの顔金正恩やで!と言われるくらいには肝臓を痛めつけています。
久しぶりにノートを開け、文字に残しておきたいと感じたのは、旧友との飲み会で高校時代の思い出を振り返っている時でした。
以下 大人への通過点の悩みだと思ってさらっと見ていただけたら幸いです(だって青いこと言ってるのは分かるんですもん!)
友「10代の頃みたいなあんな熱量を持って恋愛できないよ。」
友「あの時付き合ってた彼ほど好きになれる人なんてもう出会えないよ。」
私「わかる〜〜〜〜〜〜〜〜」
こんな会話をしていて、とつもなく高校時代が恋しくなった私は酒の力にのまれながら鳥貴族で号泣しまさた。
なんで高校の時はあんなにも人を好きになれたんだろう。しかも純粋な気持ちで人を様々な尺度で測ることなく。
いや、測っていたのかもしれない。学内の男の子のステータスとか。
でもそれでも何であんなに純粋に人を好きになれたんだろう。
何であんなに恋い焦がれるような、胸が苦しくなるような大きな熱量を持って、
ただただ目の前にいる彼を好きになれたんだろう。
これってやっぱり若さ故なのかな。
何も知らない、若さ、無知さが、あの熱量を、あの感情を煮えたぎらせたのかな。
今の私は将来性とか、現実彼といたらどうなるのかってことを分析しないと付き合えなくて、
好きになることはあっても、高校時代に好きになった人みたいに、好きになれる人がなかなか見つからない。
純粋な気持ちのままで相手を好きになれるって幸せだなぁと思う反面、この歳になって後先考えず人と付き合うなんて怖すぎるという感情が混ざる。
でもきっとそれは自分が成長している証拠なんだろう。きっとそれだけ色々なものを見ることができたということなんだろう。
ただ、やっぱりあの頃の人を好きになっていた感情を思い出すと、恋しくなる。
思い出は美化されるというけれど、まさにそうで、考えれば考えるほどあの頃の熱量をが恋しい。
大人が高校時代を大切にね
っていう気持ちが今になってわかる。
それは恋だけじゃなく、何事においても。
でも、そんなこと高校時代になんて気付かない。
歳を重ね、客観視できて、やっとそれに気付く。
その時にその尊さなんて理解できなかったなぁ。
高校時代の時の自分の感情をもっと大事にしてあげればよかったと今になって思う。
戻りたいとか後悔してるわけじゃないけれど、いかにあの時代自分が若くて、その若さ故の感情に身を焦がしていたのかということを実感する。
大人になるってなんて切ないんでしょう。
大人になるってなんて広大なんでしょう。
あぁ、 きっとあの時代は今の私の良心の土台だ
また、あんな純粋な気持ちで恋したいな
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