モノクロの世界②



ピンポーン

どこか間の抜けたチャイムが静かな室内に響く。
滅多に鳴ることはないので珍しいなと思いつつモニターを確認すると、顔見知りがそこに映っていた。
返事もせず玄関に向かいドアをガチャリと開ける。
「何の用?」
不機嫌顔を隠さずに睨みつけると、相手はへらりと笑って手をヒラヒラと軽く振った。
「ビックリしたじゃーん、キョウちゃん。」
絶妙な加減で表情を隠すのに一役買っている茶髪のややロングな髪。薄い茶色のサングラスに僅かに伸びた無精髭。ジャラジャラとつけられたブレスレットなどの小物類。ここは南国かとツッコミたくなるような派手なアロハシャツにハーフパンツとビーチサンダル。そしてこの人をイラつかせるような軽い態度。

この男は僕の知人、冨樫佑だ。

「何の用だと聞いている」
「えー、まずは『おはよう』とか『元気?』とかが先じゃないの?」
「お前が現れるとろくなことにならん」
普通の人ならビビるくらいギロリと鋭い視線を飛ばしたのだが、冨樫は全く気にせずに話を続けていく。
あのサングラスにはガン飛ばし反射対策でもついているのだろうか。いや、そもそもコイツはそういう奴だった。
「まーまーいいじゃん。外じゃなんだし、ちょっと家に入れてよ」
口調こそ軽いが、有無を言わせない雰囲気をまとっている。見た目こそ軽薄だが、その実かなり修羅場を潜っていることを匂わせる独特の重さが感じられた。
「チッ。さっさと出てけよ」
「いやん、ありがと~!」
僕はこれみよがしにため息をつきながら中に招いた。
両の手を合わせて頬に当て、腰をくねらせて礼を言う姿は若干おネエっぽく見えるが、これもまた相手を油断させる為なのだろう。
冨樫のペースに巻き込まれたら終わりだ、と僕は気を引き締めた。

申し遅れたが、僕の名前は狭間キョウ。
特に取り柄も長所もない。実年齢よりやや若めに見えるらしい。らしいというのは、自分に興味が無いので正直よく分からないというのが本音だ。相変わらず会社と家を往復する日々に明け暮れている、至って普通の人間だ。
ただ一点を除いては。

「で、何の用?」
「ちょ、キョウちゃん!お茶くらい出してくれたっていいじゃーん」
人の家にズカズカ入るなりドカッとソファに座るという無遠慮さに苛立ちを覚えたものの、何を言ってもムダなので冷蔵庫から500mlのペットボトルを出しそのまま机に置く。
「あー、ありがとー!いやーノド乾いちゃってさ!」
ゴキュゴキュと清々しい飲みっぷりを披露する。喉仏が上下に動く様を見ているうちに、あっという間に空になってしまった。
「それにしても、すっかりお家の中は元通りだねー」
「あ?」
元通り、の意味が分からず僕は聞き返した。
「キョウちゃんが一人暮らししてた時の状態に戻ってるって意味だよっ!そんなに怖い顔しないで~」
怖い顔をしているつもりはないのだが、とりあえず喋り方が面倒くせぇなとイラッとはしていた。
「まあ、和真と蓮は自分達で荷物を処分して行ったからな」
ある日突然業者が荷物を全部運び出して行った日のことをふと思い出した。びっくりして二人に聞いたら「置いたままだとキョウが困るだろ?」と苦笑いしながら教えてくれた。
「何にも残ってないの?遺品とか、形見の物とか、家族宛の手紙とか」
「今のところ何も見ないな。家族とも関わりがなかったって言ってたし、手紙なんかも出てこないだろ。遺書すらないからな」
「そっかー」と冨樫は分かったのか分かっていないのか軽い返事を寄越した。
何なんだ一体。
「で、用事っていうのはね」
サングラスを外し机にコトリと置く。
「その依頼人が死んじゃったんだことについてなんだ」
冷たい光を湛えた瞳が、僕を真っ直ぐ見つめる。嘘も誤魔化しも効かず心さえも丸裸にされそうな妖しい空気を纏う視線に、思わず居住まいを正した。
「ああ」
和真と蓮についてだったか。
冨樫には経緯について説明してあったが、何か不備でもあったのだろうか。
それとも、僕が殺したとでも思われているのだろうか。
「別にキョウちゃんを疑っている訳ではないよ」
こちらの心を読んだかのように、冨樫はヘラリと笑った。
「たださー、ちょっと困ったことになっちゃってね」
「困ったこと?」
「いやさ、ウチから死人を出しちゃったとなると、僕のお株がダダ下がりなわけ。噂ってのは広まるのが早いからねぇ。おかげさまで、お店は閑古鳥が鳴いているのよぉ」
さめざめと嘘泣きをされても正直こちらが困る。ご丁寧にハンカチまで取り出して。しかも白のフリフリレースとか、一体どこのお嬢キャラだ。しかも今どきのお嬢でもそんなの持たんぞ。
「というわけで、名誉挽回の為にキョウちゃんにも働いてもらうよっ!」
「…ちなみに断る権利は」
「ないわよ」
ニッコリ笑顔でサクッと返されてしまった。労働基準法も、この男の前では無意味らしい。
どうやら既に確定事項らしく、ニコニコとしながら僕の顔を見続けている。
「はあ…分かったよ」
諦めて承諾すると、「ありがとー!!」と飛びつかんばかりの勢いで顔を近づけてきた。
「で、僕は何をすればいいんだ?コンクリ詰めにして埋める?人間を生きたまま魚のエサにする?」
「ちょちょ、ちょーっと待って。僕のお仕事、一体何だと思っているの!?」
「人身売買仲介屋」
「違う違う違う!人聞きの悪いこと言わないでよぉ。確かに何でも屋だけどさっ。ちゃんと真っ当な依頼だけだよっ!」
「半年前に、僕に『今日からこの二人と暮らしてねっ!返事は「はい」しか受け付けないよ!』って言ってたのたは誰だったかなぁ。どう考えても真っ当じゃないよね、少なくとも僕にとっては」
「えーっ、だってさー仕方ないじゃん。『即日で住めれば文句ない』って言ってたんだもん。キョウちゃん家しか思い浮かばなかったんだよ~」
「いや他にもあるだろうが」
目をうるうるさせて可愛くしているつもりなのだろうが、いい年したオッサンのぶりっ子なんてただただ気持ち悪いだけだった。
「まーまーいいじゃん。今は一人なんだしさっ!」
「そう思うなら静かに過ごさせてくれ」
「お仕事してくれるならねっ!」
うっぜぇぇぇぇえ!と思わず叫びたくなった。
「では、改めまして」
テーブルを挟み、互いに向かい合って座る。先程までのチャラけた雰囲気は無くなり、ピリリとした緊張感がある。僕は姿勢を正し相手の言葉を待った。
「狭間キョウ。君への仕事は──占い師をやってもらおう」
「……」
「おーい、キョウちゃーん。戻ってきてー」
一瞬何を言われているのか理解出来ずに呆けていると、冨樫が僕の目の前で手をヒラヒラさせた。
「え、もう一回言って?」
「だから、占い師やってちょーだい!」
キラッキラの笑顔で言われても全く受け入れられないのだが。というか意味が分からない。
「僕、カタギなんだけど」
「いや、ウチだってヤクザさんじゃないからね!?」
「『あなた呪われてるよー。この壺買うといいよー』的なヤツじゃないの?」
「それ詐欺だからね!」
知ってるよ、とボソリと呟く。だが、一方的に騒いでいる冨樫の耳には入らなかったらしい。正直どうでもよくなってきたので、冨樫の話を全力で遮った。
「分かったから」
「そもそも壺とか…キョウちゃん、今何て?」
「分かったから。とりあえず説明してもらっていい?」
「ありがとうぅぅぅっ!」
テーブルを乗り越え、ガバァッと抱きつかれる。
やっぱり断れば良かったと後悔するが、時すでに遅しであった。

***

ひとしきり喋り倒して満足したのか、冨樫は「バイバーイ!」と相変わらずチャラさ全開で帰っていった。特に部屋が散らかった訳でもないのだが、例えて言うなら十人位での宅飲み後に一人後始末に暮れるような悲惨な気分だ。どっと疲れが出て、思わずソファに倒れ込む。
概要はこうだ。今冨樫の所に来ている依頼人が、どうやら人探しをしているらしい。警察にも探偵にも捜索を依頼しているが依然として行方が掴めず、藁をもすがる思いでこちらにたどり着いたという訳だ。冨樫自身も人脈を駆使して探しているが見つからず、ついに占いに手を出すことにしたのだ。話がぶっ飛び過ぎていて頭が追いつかないが、依頼者と直接関わるわけでは無さそうだし、ダメで元々ということもあって仕事自体は気楽なものだ。
と、いうのが冨樫サイドの建前である。胡散臭いことこの上ないのだが、本人が隠している以上今は深入りすることはできないだろう。
机の上には、冨樫からどこからか調達してきた占いに関する本が山の如く積み上げられている。
カードやらダウジングやらはテレビなんかでもよく聞くしまだ何となく理解できるのだが、中には『黒魔術』と書かれたものまである。これなら壺を売る方がマシではないかと頭を抱えたくなったが、前回の件もある手前、適当にやるのも気が引けた。
仕方なくパラパラとページをめくってみるが、興味が無さすぎて一向に頭に入ってこない。おまけにカタカナが多すぎて目がチカチカしてくる。せめて漢字がたくさんならいいのに、とげんなりしてしまった。
世の中の占い師はこんなに勉強しているのかと、素直に感心したくなった。
本の山を漁っていて気がついたのだが、『開運』『使命』『運命』などの文字がよく目につく。やはり占いというからには、何か目に見えないものを動かしたいという気持ちから利用する人が多いのだろうか。
確かに、見えるものが全てではない。というか、視認できないものの方が多い気がする。それは人間の視覚機能的な意味もあれば、人間の力や技術だけでは到達しえない場所などという意味も含まれている。海の底や地球の核、ブラックホールなんかだろうか。粒子の世界、なんてものもたまに耳にする。知ることのできないものに手を伸ばしたいと願うのは傲慢か、それとも探究心か。どちらとも言い難いが、秘密は秘密のままでいいんじゃないかとも思ったりする。暴かれたくないものが世の中にはたくさんあるように。人が知ることができないものは、もしかしたら世界の不都合なのかもしれない。
などと考えている自分に気づき、一人苦笑いをする。
一人思考に耽ってしまうのは悪い癖だ。考えたところで現実が何か変わるわけでもないのに。一種の現実逃避なのだろうか。あるいはただの妄想か。
当てもなく思考を巡らせるのは好きだ。答えなど見つからなくても。空回りでも遠回りでも。自分で考えたことは、正解不正解というより納得ができるのだ。こんな考え方もあっていいんじゃないかと。人には言わないけれど、そんなことを考えた自分を認めてあげたいのだ。
まあ、おかげさまで完全に話は脱線しているのだが。
「しゃーない。とりあえずやるか」
独り言を呟き手にしたのは、ダウジングに関する本だ。占いはさっぱりだが、水脈やお金なんかをダウジングで探すという極浅の知識だけは持っている。
「ふうん…これでやるのか」
本には付属のダウジングセットがついていた。荒削りしたクリスタルにチェーンが一本ついている。他にはYES/NOと書かれた紙もある。
どうやら、L字型の棒を持って歩くことはなさそうだ。
「なになに…『まずは自分で答えを出せる簡単な質問をすること』か。なるほどね。まずは慣れていくことが大切なのか」
質問例には『私の性別は男/女である』『私は○歳である』『私は今日の朝食にパンを食べた』などが載っていた。
「ふむ。まずは上から順番に…っと」
一番上の質問をすると、クリスタルがクルクルと回る。ちなみに右回りはYES、左回りはNOだ。
「おっ!これ、結構面白いな!」
クルクル回るのが楽しくなってきて、時間も忘れて質問を続けたのであった。

***

ミーンミンミンミン

気づけば梅雨と紫陽花の似合う季節も終わり、セミと蒼空映えわたる時期となっていた。
「よーぅ、キョウちゃーん!元気してるー?」
相変わらずイラッとさせられる態度を無視してそっぽを向くと、「キョウちゃん?キョウちゃーん?」と連呼されてしまった。
「うるさい、聞こえてる。何の用?」
せっかくの休みだというのに朝から冨樫が電話をかけてきて『今日暇?暇だよねー!ってことで、事務所きてちょ!』とほぼ一方的に言い残していきやがったのである。スルーしてやろうかとも思ったが、めんどくさいものが倍になって返ってくると思い直し、しぶしぶ足を運んだのだった。
ちなみに冨樫の事務所は、僕の家から電車で約30分のところにあるおんぼろビルの5階だ。外見は中々に年季が入っているが、事務所自体は冨樫がリフォームしたため意外とキレイに整っている。とはいえ、応接室だけだが。
応接室の隣には資料という名のゴミ部屋があり、その続きの部屋は冨樫の自室兼作業部屋となっている。資料室は足の踏み場もないくらいファイルと書類と、よく分からない置物やら衣服などが散乱している。冨樫曰く「変装グッズ」なのだそうだが、ハリボテの甲冑やら学ランなんかもあるので、コスプレグッズと言われた方がまだしっくりきた。食料品を置いていないだけマシであるが、来る度に物が増えているような気がして、一体どんな仕事を請け負っているのだろうと首を傾げたくなるのだ。
自室はそこそこ片付いているが、脱ぎっぱなしの服や酒瓶などが転がっていたりする。とはいえ嫌な臭いはしないし、ゴミは定期的に捨てられているので、住むのに困らない程度の環境だなとは感じていた。僕はご一緒したくはないが。
今回は応接室に案内されたので仕事関係なのだろう。恐らく人探しの件だと思うのだが、まだ誰を探すとかどんな場所を探すとか具体的な話をされていなかったので、そっちの可能性もあった。
冨樫はというと相変わらずアロハで南国な格好をしているが、今は何となく元気がない様子だった。心なしか、シャツにプリントされているヤシの木たちすらしょげているように見える。目の下には、この前会った時にはなかったクマがうっすら出来ている。
くたびれかけの中年のオッサンとはまさにこんな感じかなと思った。
「キョウちゃん実はね、依頼人がキョウちゃんに会いたいって」
「…は?」
依頼人?って、例の人探しの?
「でね、もうすぐ来ちゃうんだなーコレが」
おいおいおいおい。
「ちょっと待て、流石にそれは許せん」
中年のオッサン、などと考えていたのが一瞬で吹き飛んだ。先程のくたびれた雰囲気はどこへやら、いつものニヤニヤ笑いが戻ってきている。
僕はギリッと目を釣りあげて冨樫に詰めよった。最初の話では顔を合わせなくて良かったはずだ。
「それがさー『凄腕の占い師さんがいます!』って話したら、ぜひお会いしたいって言われちゃってさー」
「詐欺だろそんなん。僕は凄腕でも占い師でもない」
「でーもー、もう言っちゃったし?」
エヘ、と笑われても全然可愛くない。そして冗談じゃない。
僕は怒りのまま目の前の机をバン!と思い切り叩いた。いつもはヘラヘラしている冨樫も流石に驚いたらしく真顔になりピタリと話を止めた。
「冨樫…どういうつもりだ。確かに前回、冨樫のトコの依頼人を死なせてしまったわけだし、それに関しては僕から言うことはこれ以上何もない。だからと言って、あまりに適当すぎやしないか。人探しを手伝えだの、占いの練習をしろだの、挙句依頼人と会え?ふざけるなよ!何企んでやがる」
冨樫は神妙な顔をして僕の話を聞いていたが、終わった途端ふっと頬を緩めた。
「何笑ってんだ!」
「いや、ちょっと心配してたんだよ」
「心配?」とオウム返しに聞くと、冨樫は「うん、心配」と答えた。
「前回のことさ。僕から話を通したとはいえ、半年間も一緒にいたんだ。少しはキタんじゃないかと思って」
小さな子どもの成長を見守るような、優しさと寂しさの混ざった表情を向けられ、僕はどんな顔をしていいのか分からなくなった。何となく居心地の悪いものを感じ目を逸らす。
「別に…あんなのは仕方ないじゃないか。僕にも、彼らにも、冨樫にも予想できなかったんだから」
絞り出すように答える。僕の声は、震えていないだろうか。いつも通りに話せているだろうか。
「まあ、そうなんだけどね…キョウちゃんに、『また』辛い思いをさせてしまったんじゃないかと心配でさ」
「何らしくないこと言ってんだ。ソレはソレ、コレはコレ。和真達のこともそれ以外のことも、今の僕には関係ない。余計な気を回しすぎだ」
和真や蓮の顔が浮かんだ。だが、すぐに心の奥にしまいこんだ。開けちゃいけない箱を開けてしまいそうで、怖くなったから。何も無かったことにして、忘れようと努めた。
同じく思い出しかけた昔の記憶の引き出しも、固く鍵をかけ直した。
「僕は僕だ。何も変わらない。目の前で誰が死のうが生きようが関係ない。僕は、僕が生きてさえいればそれで十分さ」
全身の血が凍ったかのように身体中に冷たいものが流れているのを感じた。
そう、僕はこれでいい。
「…そうかい。それならいいんだけど」
冨樫は辛そうに目を伏せた。僕を見ていられないといった感じで。
「冨樫こそ、あの二人に死なれて困ったんじゃないの」
そう返すと、何とも言えない表情で僕を見つめ返してきた。
「僕はあの二人と知り合いだったわけではないからねぇ。本当にただの依頼人なんだよ。だから、キョウちゃんほどのダメージはないかな。例えて言うなら30件先のお隣さんが死んだ、とか、チャリこいでたらパンクした、とか。そのくらい気にしないレベルって感じ」
ホントに嫌な例え方だなと思い顔をしかめると、「まぁまぁ」と冨樫がなだめるように手を振る。
「つまり、会社としてのダメージはあるけれど、個人的損失はないってことだよ」
「そういうもんか」
言いたいことはなんとなく伝わってきた。会社ブランドに傷はついたが、冨樫本人は本当にノーダメージなのだろう。確かに冨樫は彼らの様子を見に来ることはなかったし、二人も冨樫と会ったり話したりしているような素振りはなかった。
というか、依頼人を放置しすぎではないだろうか。
「キョウちゃんに預けていたからいいかなーって」
こちらの心を読んだかのように、冨樫がヘラヘラ笑った。
適当すぎるだろ。
「…で?」
「で、って?」
「とぼけんなよ。僕と依頼人を合わせたい本当の理由は?」
「だーかーら、占いの…」
「冨樫」
僕は低い声で鋭く遮った。
「元々アンタの話を全部信じちゃいない。そもそも最初からして胡散臭いからな、今回の依頼。アンタにも言えない理由ってのがあるんだろうが、だからっていいように使われんのもムカつく」
「キョウちゃん…」
降参、というように冨樫は両手を上に挙げた。
「キョウちゃんを誤魔化せるわけないのは分かってたんだけどさ。でも今だけは、騙されていて。お願いだから」
困ったように眉尻を下げ苦笑いする冨樫。
ここまで言っても口を割らないということは、余程の理由なのだろう。
「…分かった。今回の件はこれ以上聞かないよ」
小さくため息をつく。僕もまだまだ甘ちゃんというわけだ。
「ありがとうキョウちゃん。さっ、というわけで間もなく依頼人が来ますよー!13時って約束だからねっ」
「13時って…はぁ!?」
後ろを振り返り壁にかかった時計を見ると、あと3分で予定時刻になろうというときだった。
「いやー、ゴメンね。説明してたら依頼人が来ちゃうからさっ!」
「冨樫…!てめぇ、覚えとけよ!!」
やっぱりさっき追求しときゃ良かったと心の中で後悔しつつ、冨樫に用意された『占い師セット』に着替えに向かった。
隣の物置部屋でゴソゴソと着替えていると、「チリリリリーン」という涼やかなチャイムの音が耳に届いた。
どうやら依頼人が到着したらしい。
部屋を出ようか迷ったが、冨樫から声がかかるまではとりあえず待機していることにした。
にしても、全身黒一色とはどうなのだろうか。テレビで見る占い師は色んな色をしているし、なんならパワーストーンだのなんだのを腕やら首やらに引っさげている。が、僕はというと黒いローブっぽいのに黒のズボン、靴は自前のだがこちらも黒色。
どう見ても黒魔術師だろ。怪しすぎる。
おまけに、まさか依頼人に会うとは思っていなかったので髪はボサボサ。一応鏡で確認したところ目を汚さない程度には見られる状態かな、と安堵した。いや、そもそもの設定に無理があるのだが。
リュックサックからダウジングストーンを出す。念の為持ってきておいて良かった。これが無ければ話にならない。冨樫に進捗を伝えるつもりが、まさか本番になるとは。
一通りチェックし終えると同時に、コンコンと扉をノックする音がした。「はい」と軽く返事をし応接室に戻ると、冨樫と見知らぬ女性がソファに対面で座っていた。
「狭間さん、こちらへどうぞ」
慣れない呼び方に背筋がゾワリとしたが、顔に出そうになるのをグッと堪えて冨樫の隣に座る。
「香山さん。こちらがお話ししておりました、占い師の狭間キョウさんになります。狭間さん、こちらは依頼人の香山和奏(かやまわかな)さんです」
無言で一礼すると、相手もぺこりと会釈を返してきた。
下手なことを言うと冨樫の設定から外れるかもしれないので、できるだけ余計なことは言わないようにするつもりだ。
それにしても、と僕は依頼人をそっと観察した。
恐らく30代半ばだろう。長い髪を緩く一つにまとめている。淡い水色のワンピースを身にまとい、隣には小ぶりの白いバッグが置かれている。品良く散りばめられた小物類は華奢なデザインのものだ。メイクもナチュラルにまとめられており自然な感じがする。全体的にほっそりとしていて、女性の中でも華奢な方になるだろう。今にも消えてしまうんじゃないかと思うくらい、儚げに見える。
だが、それだけだ。
そう、平凡なのだ。その平凡さが、ズレを感じさせる。
人を探し続けているような憔悴感はなく、かといってヒステリックな様子も見受けられない。焦り、不安、疲労、猜疑心…あちこちたらい回しにされている割には、彼女の格好は小綺麗で、表情は曇りなく穏やかに見えた。
それに彼女の面立ち、以前どこかで──。
記憶を巡らせていると、隣で冨樫が「ゴホン」と咳払いをした。
依頼人をジロジロ見つめていたのがバレたのかと思い横目で顔色を伺ったが、どうやらそうではなく、単純に仕切り直したかっただけのようだ。
「では、狭間さん。よろしくお願いします」
おい、丸投げかよ。
と、心の中でツッコミつつ、香山さんの目を真っ直ぐに見た。
「狭間です。改めてよろしくお願い致します」
「香山です。よろしくお願いします」
「ではまず、説明の方から──」
さて、何が出てくるかな。
とびきりの営業スマイルを浮かべながら、僕は目をキラリと光らせた。

***

小一時間が経ったところで、僕達は休憩をとることにした。冨樫は応接室で香山と話しているらしく、時折笑い声が聞こえてきた。
一方僕はと言うと、冨樫の自室で一人お茶を飲んでいた。流石の冨樫も僕に気を使ったらしく、「占いでお疲れだと思うので~」とかなんとか言って依頼人と僕を引き離したのだ。
まあ、気を使うならそもそも僕を呼ばないで欲しいのだが。
それはさておき、香山のことだ。
彼女からの質問は『探し人に会えますか?』『探し人はどこにいますか?』など、探し人に関する質問だけであった。目的に合っていると言えばそれまでなのだが、彼女はどんな返事を伝えてもあまり反応していなかった。
普通ならば『探し人に会えますか?』と聞いて『NO』と出れば少なからず動揺はするだろうし、『何故ですか?どうしてですか?』と理由を知りたがるものだろう。
だが香山は『そうですか…』と呟いたきりだった。
また『探し人は私と会いたいと思っていますか?』と聞かれ『NO』と答えが出たのだが、そちらも特に大きな反応は見られなかった。
これが諦めの気持ちから来ているのならばまだ分かるのだが、彼女の目を見るにどうやら最初からその答えになることを知っていたかのような、そんな印象を受けた。
何がどうと上手く説明はできないのだが。
ただ一つ確信したのは、彼女は占いの結果などどうでもいいと思っているということだ。
もし本当に占いの結果が気になるのならば、固唾を飲んでペンデュラムの回る方を見つめ続けるはずだ。
YESとNOの回り方は予め説明してあるし、紙にも書いてある。それをあまり見ず、違うところに視線を走らせていたのにも気づいている。時計をやたら気にしていたから、何か予定があるのかもしれない。
なんにせよ、とんだ茶番劇だ。
だが、本当の目的がまだハッキリとは分からなかった。
恐らく和真の…。
「狭間さん、そろそろ宜しいですか?」
ガチャリとドアが開けられ、いつものムカつくニヤニヤ笑いを浮かべながら冨樫が入ってきた。
「ええ、大丈夫です…よっ!」
「痛っ!」
ムカついたのですれ違いざまに足を思い切り踏んでやった。
「キョウちゃん…後で覚えときなよ?」
低い声で呪われた気がしたが気にしないことにした。

あの後いくつか会話をし、気づけば30分も過ぎていた。
「では、これにて私の占いは終了とさせていただきます。この度はご依頼ありがとうございました」
心にもない言葉を平坦にならないように気をつけながら、淡々と口にした。すると、隣で黙って座っていた冨樫が突然立ち上がった。
「狭間さん、本日はありがとうございました。香山さん、もしかしたら結果は思っていたものと違ったかもしれませんが、今後の方針についての目処は立ったかと思います。何かありましたら力になりますので、またいつでもお声がけくださいね」
僕は驚いて冨樫の顔を見上げた。丁寧に話しかけているようで、早く帰ってくれと言わんばかりの勢いで一方的に喋っている。
依頼人は驚いて目をぱちくりさせたが、緩やかに微笑むと「そうですね。ありがとうございました」と言い、深々と頭を下げてすんなりと部屋を後にした。
僕と冨樫が残った部屋は一気に静かになった。
とんだ茶番だったな、とバカバカしくなり僕も帰ろうとすると、
「キョウちゃん!ほんっとごめんね!ありがとうっっ!」
冨樫が僕に頭を下げた。それも額が膝につかんばかりの下げ具合で。
僕は流石にビックリして言葉を失った。
「こんな役、やらせたくはなかったんだけど…ほんっとーにすまないっ!」
「や、僕は別に」
「お詫びに今度ご飯奢るからっ!」
「いや、いいよ」
「そう言わずにっ!」
了承しないと帰らせてもらえそうになかったのでしぶしぶ「じゃあ、今度ね」と言うと、冨樫がガバァッと顔を上げた。
「ありがとうっっ!」
キラキラした目で言われてもちっとも嬉しくも何ともない。
ハァ…とため息を一つつく。
「いいか、冨樫」
僕は低い声で話しかけた。冨樫も沈黙し、僕の目を黙って見つめた。
「今回の詳しい経緯は聞かない。代わりに、今日の話はこれっきりだ。僕を巻き込むな」
先程の依頼人が見せた表情に宿る面影。
香山和奏は恐らく──。
「ありがとう、キョウちゃん」
先程とは違う、寂しげで、どこか遠くを見つめるような冨樫の視線がいたたまれなくなり、「帰る。着替える」とだけ短く告げると、物置部屋へと向かった。
「多分、キョウちゃんが思っている通りだと思うよ」
ドアノブに手をかけた途端、後ろからぼそりと呟く声が耳に届いた。
「何のことか、僕にはさっぱり」
振り返って意地悪く冷たい笑顔でそう返すと、僕はドアをバタンと閉めた。

***

ガサッ

右手に持った花束の包みが音を立てる。外の暑さにボーッとしていたら、危うく落としそうになった。日付が変わるか変わらないかという時間帯だというのに、都会のアスファルトは未だ熱を帯びていて、運動をしたわけでもないのにじっとりと嫌な汗をかいていた。
通りにある居酒屋はぼちぼち閉店時間らしく、暖簾や外に置かれた机と椅子を片付けている。中にはまだ煌々と明かりがついていて賑やかな声が聞こえてくるお店もあるが、それ以外は割と静かであった。
何故こんな時間に花束を持って歩いているのか。自分でも気恥ずかしくなってくる。豪奢な花束ならば、例えば歓送迎会の帰りとか言い訳もできるであろうが、白と黄色と緑の地味な花束なだけに、流石にそれも苦しい。そもそも花の選び方からして多分違うだろう。
過去、一回来ただけの道を朧な記憶を手繰りながら歩く。確かめるようにしながらなので進み具合はまさに亀の如くだが、今のところ迷わず目的の場所に迎えている、と思う。
時間が時間なだけに、辺りの背の高いビルはどれも同じように見え、シャッターの下りた店も特別目印があるわけではないので、正直同じ場所を延々歩き続けているような気分になった。
そもそもどうしてここに来る気になったのか、自分でも不思議になった。もう二度と来ることはないと思っていたし、来たとしてもこういう形ではなかっただろう。普通に誰かと何かの時に偶然立ち寄ることになり、何食わぬ顔をして「初めて来ましたよ」なんて言っているであろう姿が容易に想像できた。
そのくらい忘れたい、いや鍵をかけてひっそりとしまっておきたい出来事が、ここではあったのだ。
「──ここか」
とある建物の一角。人目につかない場所に、ひっそりと花が手向けられていた。前に置かれてから随分時間が経っているのか、あるいは暑さのせいなのか、花はすっかり枯れてしまっていた。枯れた花の横には小さなペットボトルも置かれていた。そのボトルは、よく冨樫が飲んでいる種類と同じものだった。
供え物の主は、冨樫かもな。
「…久しぶりだな」
枯れた花の近くにしゃがみこみ僕は小さく呟いた。ほとんど誰にも聞こえないくらいの声で。その言葉も、まるで辺りの暗闇に溶けるかのように吸い込まれて消えた。
「ここへは、もう来るつもりがなかったんだ」
僕はそっと花束を隣に置いた。

ここは和真と蓮の自殺した場所だ。

二人にどんな顔をすればいいか分からない。笑いかけるべきか、涙を流すべきか。どうしたらいいか分からず、ただ沈黙することしかできない自分が何とももどかしい。
今日の依頼のせいで、和真と蓮のことが気になってしまい思いがけず足を運ぶ形となった。
ここに来れば、何か答えが見つかるような気がして。
だが実際は全く何も浮かばなかった。むしろ勢いで来てしまったことを若干後悔していた。
供えた花束をじっと見つめた。白百合と黄色の菊が闇夜に映える。彼らはこんな花など好きではないだろうが、故人に送るならばやはりこの二種類が定番だろう。
「…ごめんな」
ふいに言葉が溢れた。自分でもびっくりしたがどうせならば、吐き出してしまおうと思った。
内に秘めた思いを。
「…あの日、止めれば良かったと思っている。生きろ、という言葉がどれだけ無責任かも分かっている。僕は一生君たちと一緒にいるわけじゃないし、君たちの人生全てを背負う気もない。それでも、」
ブツリと言葉を切り、深く息を吐く。
「それでも、僕は君たちを友人として好きだったし、生きて欲しかった。僕の前から、いなくならないで欲しかった」
俯き、唇をぐっと噛み締める。彼らの何百分の一にも満たない痛みだろうが、せめてもの償いの現れであった。
「僕がそう言ったところで、君たちの決意は変わらなかっただろうな。分かってる。…でもね、やっぱり言えば良かったと思ってしまうんだ。結末は変わらないのに。いや、変わらないからこそなのかな。あれが最期なんだから、不格好でもまとまらなくてもいいから、言ってしまえば良かったんだ」
行う後悔より行わない後悔の方が、こんなにも後からのしかかってくるなんて知らなかった。
そして、それほどまでに二人を大事に思っていた自分に驚いた。
僅かの間、袖が触れ合っただけの縁だと思っていたのに。
「ごめん…。泣く資格すらないから、泣かないけれど」
彼ら二人が決めたことなのに、まるで自分に全ての責任があるかのような、そんな罪悪感で胸がいっぱいになった。
「…最期に言わせて。……ありがとう」
暫くの間黙って立ち尽くしていたが、「バイバイ」とか細い声で告げると、くるりと向きを変えて元来た道を戻っていった。

ここに来るのはこれでおしまいだ。
そう、別れを告げて。

僕の名前は狭間キョウ。
特に取り柄も長所もない。実年齢よりやや若めに見えるらしい。らしいというのは、自分に興味が無いので正直よく分からないというのが本音だ。相変わらず会社と家を往復する日々に明け暮れている、至って普通の人間だ。
ただ一点を除いては。

2話 (了)

***

サイドストーリー/冨樫×香山

***

プルルルルル…

応接室の電話が静かに鳴り響いた。
正直出るのは面倒だったが、何か急な話かもしれないと思い直し、ガチャリと受話器をとる。
「はい」
『すみません、依頼をしたいのですが…』
しまった、仕事の電話か。
今受けたい気分じゃないんだよなぁ…。
どう断ろうか言葉を選んでいると、『真田和真の身内なのですが』と言われ、思わず椅子ごと後ろにひっくり返りそうになった。
何故ウチを知っている?
頭の中に疑問符が浮かんだ。確か真田さんは身内には話していないはずだ。
「失礼ですが、どちら様でございますか」
内心の動揺を悟られないように、平坦な口調で受け答えをした。
『申し遅れました。私、香山和奏と言います。和真の姉にあたる者です』
真田さんのお姉さんと来たか。
「香山さんですね、初めまして。申し訳ございませんが、私の元へ来た依頼人に関しましては守秘義務がございまして。真田和真さんという方につきましては、私の方からは何とも申し上げられないのですよ」
普通の人間ならばここで「私は身内だと言っているじゃありませんか!」と逆上したり、「守秘義務って便利ですね」と皮肉を込めて言われることが多い。
守秘義務という言葉が便利なのは認めるが、反面そのキーワードを出すということは、ウチとの繋がりがあるということを暗に認めてしまっているような気もする。なので俺は基本「知っている」「知らない」とは言わずに、「知っているか知らないかも言わない」という方向性を採用している。
ま、その曖昧な返事で後からいつも苦労するハメになるんだけどね。
『そうですか…』
受話器の向こう側にいる相手は沈黙してしまった。
どう切り返すか悩んでいるのだろうか。言葉選びに困っているのは、正直コチラも一緒なのだが。
『和真から、手紙があったんです。冨樫さんという方に依頼してるって。住む場所も見つかったって』
犬飼さんが本当に手紙を送っていたのだろうか。確かに最初に依頼してきたとき書いてもらった書類の中の家族構成欄に「姉一人」と記載があったように思う。だが、家を絶縁に近い形で追い出され、連絡は全く取り合っていないと話していたはずだ。

気になるなぁ、この女。

一体何が狙いなのかが分からない。ひょっとすると、犬飼さんが亡くなったことすら知らないのかもない。
「おや、犬飼さんという方から届いたお手紙の中に、ウチの名前が入っていたのですか。それはとても気になりますねぇ。ぜひ一度、ウチの方へいらしていただけないでしょうか」
あくまでも「手紙に自分の店の名があったことが気になる」という体で話を進めてみる。
すると受話器をあてた耳元にクスクスと小さな笑い声がかえってきた。楽しげ、というよりかは、どちらかと言えば冷たい笑い声であった。
『あくまで和真の話はしてくださいませんのね。…分かりました。和真からの手紙と一緒にそちらに伺わせていただきます』
一方的に言い放たれたあと、ガチャンと音を立てて通話が切れた。
え、けっこーヤバい感じじゃね?
先程までの柔らかい話し口調とは違い、やや強気な感じがした。
連絡先を聞いていないのでかけ直すこともできないし、日程も決められない。
このまましばらくの間は、会社にカンヅメかな…と僕は一人ため息をついた。

***

チュンチュン

鳥のさえずりが外から聞こえてくる。
いやー、いい朝だ。
ベッドからゴソゴソと出て「うーんっ」と伸びをする。
これでもいい年なので、身体からポキポキと関節の鳴る音がした。
起きたその足で洗面所に向かい、バシャバシャと顔を洗った。最近はそれなりに暑くなってきたので、冷たい水がちょうどいい目覚ましになってくれる。
冷蔵庫をパカッと開けてミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、グビグビと音を立てて飲む。
水はうまい。
そのままついでに冷蔵庫に残っていたコンビニ弁当を取り出した。あのろくでもない電話のせいで、ここ一週間はずっと事務所から徒歩三分のコンビニに世話になりっぱなしだった。おかげさまで店員とは顔見知りだ。
電子レンジに弁当をつっこみ温まるのを待つ間、ぼーっとレンジの中でくるくる回る様子を見続けるのが最近のルーティンだ。別に電子レンジが好きなわけでも弁当が待ち切れないわけでもなく、ただ単に一回座ってまた取りに立ち上がるのが面倒なだけだ。

チンッ

短い音が鳴った。熱くなっているので慎重に取り出し机に置くと、やっとひと心地ついてソファにどかりと座った。
テレビをつけ、弁当片手にニュースをチェックしていく。こんな職業なもんで、きちんと見ておかないと後から困ったりするのだ。
ま、真田さんの件については全然気が付かなかったけれどな。
確かにあの日ニュースでやっていたのを見た記憶はあるが、氏名が公表されていなかったし、そもそもニュースになるほどの出来事が起こっているなんて思わなかったのだ。 夕方くらいに突然キョウから『二人は死んだ』連絡があって、冗談じゃなく「これは夢だ」と思ったくらいだ。
キョウが話しにくそうにしていたからツテを辿って調べていくと、俺の預かり知らぬところで随分とまあ事件が起こっていた様だ。
全く、依頼人に何してくれてんだ。
ふざけた野郎共に殺意が湧いたが、時既に遅しだ。誰も報われないのならば、義憤に駆られて行動する必要はない。

キョウも普通だったしな。

翌日すぐにキョウの元を訪ねてみたのだが、普通に会社に行っていた。ダメージでかいかなと流石に心配していただけに、アイツのその図太さというか動じなさには感心したくなるほどだ。
とは言え、未だ様子見の段階から抜けきれてはいない。隠すのが上手いし、そもそも本人が秘密主義だ。ギリギリまで自分で抱えこんじまうから、気づいた時にはもうボロボロにすり減っている、なんてこともままあった。
人の痛みはまるで自分事のように感じてしまうくせに、自分の痛みとなると途端に鈍くなってしまうのだ。

キョウは人らしくないけれど、多分誰よりも人間臭いんだよな。

キョウと出会った時まで遡りそうになった頭を左右に振り、弁当の残りを口の中にかきこんだ。
しっかし、あのいけ好かないババ…もとい、依頼人の女性はいつになったら来る気なんだ?
思い出すだけでムカムカする。
食べ終わった容器をぞんざいにゴミに捨て、いつも通り身支度を整えていると、まるでこちらのタイミングを見計らったかのように事務所のチャイムが鳴った。
物置部屋を通過して入口の扉を開けると、そこには見知らぬ女性が一人立っていた。
「初めまして、おはようございます」
にこやかに挨拶をすると、
「突然申し訳ございません。依頼した香山です」
「ああ、香山さんですね。お待ちしておりました。ささ、中へどうぞ」
片手でソファを示すと香山はぺこりと一礼し、ソファへと向かった。
その後ろ姿をそれとなく観察する。
大体30代半ばといったところか。緩くウェーブのかかった髪が顔に僅かにかかっている。薄ピンクの洋服と相まってか幼く見えた。女性らしい小さな白いバッグと可愛い小物類がよく似合っている。
そう、普通の女性といったイメージだ。街でよく見かけるような感じ。
可愛らしさについ油断してしまいそうになるが、この前の電話を思い出し気を引き締めた。

多分、裏がある。

「お待たせ致しました」
コトリと香山の前に飲み物のカップを置くと、「ありがとうございます」と小さく返事をしてコクリと一口飲んだ。
緊張して喉が渇いているようには見えない。ということは、出されたものに手をつけないのは失礼というマナーからだろうか。
「それで、ご用件はなんでしょうか?」
俺が話を切り出すと、香山は脇に置いていたりカバンから一通の手紙を取り出しこちらに差し出した。
「この前電話でも言いましたが私は和真の姉で、和真から来た手紙にここのことが書かれていたんです。なのでこちらにお邪魔させていただきました」
説明しているようで、まるで説明になっていない。
和真の姉であるという証明もなければ手紙が本物と言える根拠もない。手紙に何が書かれているかの説明もなければここに来た理由もない。
このままでは埒が明かないと諦め、俺は香山から手紙を受け取った。
「拝読させていただきます」
断りを入れてから、俺は手紙を読んだ。

***

コツコツコツ バタン

「茶番」の占い師役の仕事を終え、キョウは事務所から出ていった。
「…ふぃーっ」
張り詰めていたものを呼吸と一緒に吐き出す。
キョウには「詮索しないでくれ」とは言ったものの、勘がいいから今回の依頼の背景も何となく察しはついているのだろう。
だが、それも半分程度にすぎない。そもそも俺自身が、何故こうなったのか未だに理解出来ていないからだ。
本当はこのまま思考を丸投げしたいところだが、まだ一つやらなければならないことがあった。
事務所の机へと向かい電話の受話器を取った。依頼書の電話番号欄に目を通し、ピッピッピッと慣れた手で番号を押す。
自慢じゃないが、数字の羅列を覚えるのは大の苦手だ。
依頼人のものはもちろんのこと、一番よくかけていると言っても過言じゃないキョウと番号すら覚えられないのだ。
トゥルルルル… トゥルルルル… ブツッ
『もしもし?』
「あ、すみません冨樫です。狭間さんが事務所から出られたので、こちらにいらしていただけませんか?」
『はい、すぐにお伺い致します』
そう言うと電話の主は通話を切った。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。

──5分後。
電話の相手、香山和奏は再び事務所に現れた。
「どうぞ」
お茶をテーブルに置くと、香山は「いただきます」と小さく言いコクリと一口飲んだ。
香山がカップを置いたタイミングを見計らって俺は声をかけた。
「さて、香山さん。今回のご依頼は、アレでよろしかったでしょうか?」
「はい」
香山はとても満足そうに頷いた。
アレ、というのはキョウの占いについてではない。そもそも、彼女の本当の目的は人探しなどではない。
キョウと会うことだ。
それも、自分の身元を伏せて。
「狭間さんがイメージと全然違うくて。ああ、もちろん良い意味でですよ?和真が話していたのとは、別人のように見えたものですから」
「そうでしたか」
俺はにこやかに相槌を打った。
が、頭の中は目の前にいる面の皮の厚い女のことでいっぱいだった。
コイツ、一体何が目的だ?
真田さんから送られてきたとされる手紙の内容は「自分はもうすぐ死ぬ。もし自分が本当に死んだら、狭間キョウという人間と会って欲しい。ただ、自分の身内だと知るとキョウは苦しむかもしれない。だから、絶対に姉だと分からないようにして訪ねて欲しい。困ったらここに依頼してみるといい」とあり、ご丁寧に俺の名前と事務所の住所も書かれていた。手紙の内容を改めさせてもらったけれど内容に不自然な点はなかった。
内容には、だ。
真田さんからは「実家とは絶縁しており交流は一切ない」と聞いていた。確かに依頼書の家族欄には香山和奏なる人物が姉だと書かれているため、死の間際に何か理由があってキョウを訪ねて欲しい、というのならば話の筋は通る。
しかし先日キョウの部屋を訪ねた時には、過去の同居人たちの荷物はきれいさっぱりなくなっていて、キョウが一人暮らししていた頃の状態に戻っていた。
また、キョウにそれとなく聞いてみたのだが、やはり家族とは絶縁していると話していたし、預かり物も遺言も特には無さそうだった。
だから、おかしいのである。
キョウの元を訪ねたかった本当の理由があるはずなのだ。
実は何とでも言い訳をして依頼を断ろうとも思ったのだが、後からキョウが危険な目に合う可能性も捨て切れず、こうして依頼を引き受けることにしたのだ。
「冨樫さん?」
香山に呼ばれ、意識を引き戻された。
「ああ、すみません。考え事をしておりまして」
この女には下手に嘘をつかない方がいい。
冨樫は、今までの経験からそう感じ取った。
見た目は華奢で控えめな印象だ。守ってあげたくなるような女性というのは、まさに香山のような人のことだろう。
だが、香山のそれは作られたイメージキャラであり、本質はもっとどす黒いような気がするのだ。上手くは言えないのだが、言葉の端々や所作の僅かな部分にそれが見え隠れしているように感じる。
「あら、考え事ですか?」
「ええ、香山さんの依頼のことで」
「私の依頼?」
香山は不思議そうな表情でこちらを見つめた。
「そうです。何故、そんなに狭間さんに会いたかったのかなと思いまして」
ズバリ切り込んでみたが、香山は柔らかい笑顔で受け流した。
「それは、あの手紙の通りですわ。和真からの最期のメッセージですもの。ぜひとも叶えてあげたいじゃありませんか。確かに両親とは縁を切り、実家を離れた私とも疎遠になっていましたが、私にとっては今も可愛い弟なんですよ」
目の縁にうっすら涙を浮かべる姿に、実は自分が疑り深いだけなんじゃないかと罪悪感がつのる。
「そうですよね。離れていても大切な家族には違いないですよね」
俺が相槌を打つと、香山はハンカチを握りしめながらコクコクと頷いた。
「でも、だからこそ違和感があるんですよね」
「違和感、ですか?」
「はい、そうです」
俺は、真っ直ぐに香山を見た。
「狭間さんに会わなきゃいけない理由は何なのでしょうかね。何か遺品や遺言があるならばまだしも、そうではなかった。香山さんと狭間さんが面識があるわけでもない。なのにどうして、真田さんは『狭間キョウに会って欲しい』なんて手紙を書いたんでしょうね」
「ええ…そう言われてみれば、そうですわね」
香山は、私は何も知らないわとでも言いたげな顔をしているが、かえって白々しく見えた。
「香山さんの元に、そのことについては何の連絡もなかったのですか?」
「はい、手紙もあれ一通きりで…私も突然のことで動揺してしまっていたので、あまり深く考えていなくて。あの、もうそろそろ帰ってもいいでしょうか?」
苦笑いを浮かべ申し訳なさそうにしているが、言葉尻に微かな苛立ちが感じられた。
早くこの話を終わらせたいようだな。
「では、最後に一つだけ」
「…何でしょう?」
「狭間キョウに近づいた本当の目的は?」
香山の目に怒りの色が宿ったのを俺は見逃さなかった。が、それも一瞬で消えてしまった。
「目的だなんて…そんなものありませんよ。私はただ、弟の望みを叶えたかっただけですから。すみませんがそろそろ時間なので失礼致します」
一気に捲し立てるとカバンを引っつかみ足早に出口へと向かった。口調こそ丁寧だが、もうこれ以上話すことはないという無言の圧力を感じた。
「キョウは、気づいていますよ。貴女が真田和真の身内だって」
去りゆく背中に話しかける。
「…失礼します」
ガチャンと音を立てて扉が閉まった。
「ま、今日の収穫はこんなもんか」
ソファにドカリと腰を下ろし、天井を仰ぎ見た。
やはりあの女の目的はキョウだ。そして恐らく、ろくでもない理由だろう。
会わせたのはマズかったかな、と思ったが今更どうしようもない。
ただ当面の目的は達せられただろうから、暫くキョウにちょっかい出すことはないだろう。
キョウの身辺警護でも配置させようか。でも勘のいいアイツはすぐに気づくだろう。
で、また俺に怒るんだよなー。
怒ったキョウの姿を想像して思わず笑ってしまった。
「ま、アイツとはそこそこ長い付き合いだしな。ちょこちょこ家に様子見に行くことにするか」
アポなしで突撃された時のキョウの嫌そうな顔を思い出し、俺はククッと笑った。

***

バタンッ

表に回しておいた車に乗り込み「出してちょうだい」と運転席に向かって声をかける。
「お疲れ様でした、お嬢様」
「ええ、本当に疲れたわ」
イライラしながらタバコに手を伸ばした。
「何なのよ、あの冨樫ってやつ。しつこいったら」
先程の会話を思い出しムカムカする。
「私の演技に騙されないなんて、意外と侮れないわね」
窓を開け、フーッと煙を外に吐き出す。
「監視を置きますか?」
「やめとくわ。アイツすぐ気づきそうだから」
外見はヘラヘラしているが、時折獲物を狙う猛禽類のような目をしていた。下手に刺激すればこちらに火の粉が降りかかりそうだ。
「アイツは『あの方』を含め裏では人気者だからね。敵に回したくはないわ。こっちが痛い目見ちゃうから」
「その…冨樫という人物は、そんなに危険な人なのですか?」
「危険はないわよ。ただ、やり手の情報マンだって聞いているわ。アイツにかかれば、知れないことはないって。優秀なハッカーを囲っているとか、あちこちにスパイがいるだとか…噂に尾ひれがつきまくって、どれもこれも信ぴょう性に欠けるけど」
「なるほど、情報を扱うプロなのですね」
「らしいわね。しかもアイツのすごいところは、敵を作らないようにしているところ。渡す情報は確実なのに、顧客同士の争いにならないよう上手くセーブしているの。裏の均衡が保たれているのは、アイツのおかげなんて言う人もいるんだとか。ただ…それだけじゃない気がするのよね…アイツにはまだまだ秘密がありそう」
流れゆく景色をぼんやりと見つめた。窓の外側がまるで作り物のように右から左へ淡々と過ぎては消えていく。
「でもま、どこまで本当かは分からないけどね。それに今回は狭間キョウと対面ができた。今のところはそれで十分よ」
「狭間、キョウ?その方は一体…?」
「そいつはね、私の愛しい弟を殺したヤツよ」
運転手がビクリと体を震わせた。
「絶対に許さないわ」
憎愛を湛える瞳が窓ガラスに映る。
私は復讐の日を夢見てニヤリと笑った。

***

サイドストーリー (了)

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