『人魚姫』と夜明け

まだ小学生になる前。
読めるようになった平仮名を使って読んでいた絵本に『人魚姫』があった。
世界の名作シリーズがいくつか家にある中で、この作品には不可解なことがあり印象深かったので覚えている。

私の家にあった人魚姫の本は、記憶に間違いがなければこれ。





家にあった童話のヒロインはみんな絶対ハッピーエンドになる。今思えば当時からハピエン厨だった私はきっとこれもそのはずだと期待して読み始め、だんだんと怪しくなる雲行きに首を傾げた。

声を失った代わりに一目惚れした王子様がいる地上で暮らせる人間の足を手に入れた人魚姫に"泡になって消える"という未来がチラつき始めた。その打開策として姉たちが渡してきたのが短剣。「それで王子の胸を一突きしたら貴女は人魚に戻れる」と説得する姉たち。

人魚姫が泡になるくらいなら王子様には悪いけど一突きしよう!泡になるのはさすがにあかん!王子様には悪いけど。ウンウン。と姉たちに賛同しながら、幼き私はその説得を聞いた。

当時の私にしてみれば物語の最初から共にいてその優しい心根がわかるほど近くにいた人魚姫と、ただ溺れて助けてもらってた王子様への心の距離感が全く違った。人魚姫にとったら王子様は憧れだったかもしれないけど、第三者である私にしてみれば以下に挙げつらう印象しかなかった。

・命を助けてくれた女の子(人魚姫)を覚えてない
・一緒に過ごしている中ですらその正体に気づかない
・一緒に過ごしている中で人魚姫の好意に気づかない
・人魚姫が足を得た対価として発生している、地を一歩踏みしめるごとに体に走る凄まじい痛みに少しも気づかない
・挙句の果てに「命の恩人に似ているから」という理由で隣国の王女と婚約
・人魚姫の気持ち考えたこと一度でもあるんか?

枚挙に暇がない。
多少は目を瞑ってあげたいところもそりゃある。溺れて死にかけたときに誰に助けてもらったかは記憶が曖昧になってても仕方ない。

ただ、貴方と一緒に過ごす時間が楽しいからこそ声を失っても体に激痛が走っても"一緒にいる"という選択肢を取ってくれてたことにはさすがに気づけ〜〜〜。

幼心に王子様への印象が最悪だったので、人魚姫が泡にならずに生き延びることと最低な王子様の命を天秤にかけると、必然的に選ぶ方は決まってた。
短剣を持った人魚姫が王子様の寝所に忍び込んだとき大きなベッドで仰向きで寝ている王子様を見て、チャンスだ!と本気で思った。彼が起きないように、物音を立てないように、人魚姫の邪魔をしないように。世界に入り込んでいた私は息を潜めた。
一方で、人魚姫は本当に刺すのかな?どうするのかな?と怖いもの見たさの気持ちがあったのも正直なところ。

胸を一突きするにはこれ以上ないほどの好機だったにもかかわらず人魚姫は踵を返して寝所を去った。翌朝には泡になってしまうのに。
それだと人魚姫が死んでしまう!私ならたぶん刺すのになんで!と急いでページをめくり、翌朝、天使たちと共に天界へと上っていく人魚姫の優しげな微笑に度肝を抜かれた。

死んだのになんで幸せそうに笑ってるの?

本当に理解できなかった。読み飛ばしたところがあるのかとページを強めにこすって確かめたりした。他の童話は「幸せに暮らしました」で締められているのに人魚姫だけこの世から消えてしまったのが受け入れ難かった。王子様と結ばれなかったうえに死んでしまったのは二重苦に見えるのになぜ幸せそうな表情なのか、その気持ちが一切わからなかった。
頭に大量の疑問符を浮かべながら何回も読み返し、それでもやっぱりなぜ幸せそうなのか理解できず、頭がパンクした未就学児の私は考えるのを止めた。

考えるのを止めたわりに心には残っているので、本屋や図書館に行くたびに手当り次第に人魚姫の話を読み漁って調べていた時期がある。
人魚姫と王子様は実は相思相愛だったので愛の力で乗り越えて幸せに暮らしましたのパターンを読んだときは最も不快感を覚えた。私が求めるところから180度逆にある話だとすら思ったから、家にある人魚姫の物語の方がまだ納得できたのには驚いた。
"王子様と結ばれなければ泡になる"を条件に魔女と契約してるのだからそこは守られなければならないと考える生真面目な性格のせいだと思う。約束と理屈を捻じ曲げてハピエンに持っていかれても1ミリも納得できない。約束は守れ。

多数のパターンを読むうちに物語の細かい部分に対してなんとなく納得したあたりで『人魚姫』への興味が薄れていき、最大の疑問だった"人魚姫は昇天するときなぜ笑顔だったのか"についてはよくわからないまま時が流れた。

ウン十年後。
時が経ち、とっくの昔に成人して嫌々ながら社会人をやっている今。たまたま人魚姫について話す機会があった。

幼かった頃に読んだときは理解できなかった人魚姫のあの選択と、天界に上っていく幸せそうな表情が脳裏をよぎって、あのときの人魚姫の行動を今なら理解できる自分がいることに気づいた。そして王子様への印象が当時と変わらず最低野郎のままになっていることにも気づいてほんの少し笑ってしまった。

王子様の胸を一突きにしなかった理由を今考えると愛する人を殺せなかったのだと思う。あのときの私はその単純なことにすら気づかなかったけれど。

愛する人に限らず短剣を突き立てて人を殺すのは一般的な道徳心を持っていたらできない。当時は"一突きする"の一択だった私だけど、道徳教育と情操教育が成功したのか現在の私はハエより大きいサイズの虫すら殺せないし、人間など言わずもがな。
(サイズを正確に言うならGはギリギリ倒せるけど、倒した後の死体の処理がどうしても無理。踏み潰したら死体ごと消える『どうぶつの森』システムを採用してほしいと常々思ってる)

ただ、このときふと気づいて雷が落ちてきたように衝撃だったのは、愛する人を殺せなかっただけではなく、人魚姫は王子様の幸せをただただ願っていただけだったのでは?ということ。こう考えると"人魚姫は昇天するときなぜ笑顔だったのか"を含めた疑問点がすべて解決される。

王子様と両想いになることが童話のヒロインの共通目標だろうと思っていたし、もちろんそうなったら人魚姫にとっても嬉しいと思うけど、それ以前に"王子様が一緒にいて幸せだと思う人と今後の人生を過ごしてほしい"という願いが人魚姫にとって根底にある最優先事項だったのでは。

愛する人を殺せない、殺したくない、そうまでして生き延びて何になるのか等々もあるだろうけど、昇天のときの笑顔の正体を考えると私が最もしっくりきて納得できるのはそれだった。

隣国の王女を伴侶に選ぶことが王子様の幸せなら、人魚姫にとっての幸せは王子様と王女が幸せに暮らすこと。自分が泡になるなんて眼中に無い。

思わず「アァ〜」と声が出るほど数十年越しに心底納得できて、それこそ真の愛じゃん(キャッキャッ)とテンション上がった。
これは個人的な好みだけど「私が幸せにする」や「貴方と幸せになりたい」よりも「貴方が自ら選ぶ幸せがそれならば、自分が選ばれなかった寂しさが少しあるけれど喜んで貴方の幸せを願います」なパターンの方が心に突き刺さって印象に残るし、読了後の余韻がなんとも言えなくて好き。

カップルや二人の関係性で情緒がめちゃくちゃにされる私は基本的にハピエン至上主義なのでもちろんゴールインしてほしい。
ただ、それが公式で叶わなかった場合はifのゴールイン救済ルートを無限に考えてしまう。些細な行き違いが二人の死を招いたロミジュリを観終わったときと似たようなifの余韻がそこはかとなくもどかしくてたまらん。

人魚姫もロミジュリも、どこかで違う選択肢を選んでいたらハピエン生存ルートだったのかもと想像できる余地が道中に沢山あるために世界観に浸る時間が長くなる。ミロのヴィーナスは腕がないからこそ想像の余地があって美しく、その余白を自由に想像してさらに惹かれるのと似てる。

ヒーローとヒロインが結ばれなかったのは観客である私にとって悲劇だけど、ヒロインにとって幸せな結末ならそれはハピエンなのかもね。
ハピエン至上主義に変わりはないけど、印象に残ったりifの救済ルートを考えたりして情緒がめちゃくちゃにされるのはメリーバッドエンドだなと改めて思った。

そう考えると、光か夜明けか黄昏か闇のどれかと問われて「私は光のオタクだよ〜!」となんの疑いもなく表明したときに「松田陣平に囚われてるオタクは光のオタクじゃねえ!夜明けのオタクだよ!」と断言されたのもすごく納得できる。
(松田陣平の件は名探偵コナン36~37巻を読むか、名探偵コナンのアニメ第8シーズン第304話『揺れる警視庁 1200万人の人質』をご覧ください)


『人魚姫』はこの終わり方だからこそ心に残ってる。

夜明けの味からしか摂取できない、ほろ苦くて甘くてやるせない栄養素があるね。

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