こんな夢を見た。

∵第一夜∵

いつから夢を見られなくなったのか?
大人になって気付けば
あらゆる義務に絡め取られている
仕事、生活、その他もろもろ
好きだったことでさえ

毎朝仕事に行かなければ
洗濯と掃除をして夕飯を考えなければ
もっと上手に出来るようにならなければ
もっとちゃんとしなければ
もっと、もっと、もっと....と思ってしまう

もう、しなければの大洪水である
わたしの中に大洪水から逃れられるような場所はないというのに!

この前、絶対!こんな仕事!辞めてやる!
と思った
奨学金を返しつつ生活できるくらいのお金を貰えて、多少は興味を持てそうという理由で就活もそこそこに選んだ仕事である

入社以来、向いてないのか慣れてないだけなのか見極めるという建前のもと、
ずるずると続けて今に至るが、3年働いて、
仕事に興味も湧かなければやりがいも感じない、向いてもいない確信を得たのだ

ならば次は向いてる仕事を、楽しい仕事をしようと思って考える

【自分にとって向いてる仕事とは、楽しい仕事とはなんだ?】

困ったことに、これっぽっちも妙案が浮かばないのだ、これが
(いや、働きたくないからだろと言われればそれまで、その通りなのだけども)

やってみたいこと、好きなことを思い浮かべれば、
「それじゃ生活が厳しくなるぞ」
「そんな力量があるのか」
「そんな仕事そもそもないわ」
と現実主義と安定志向が待ったをかける
その上、自分には得意なことなんて何もないんだ...
なんて大袈裟に落ち込み始める始末

ああ、かつての大胆とも無鉄砲とも言えるような決断ができる自分は一体どこへ行ってしまったのか...
わたしは、今の自分が嫌いだ

才ある素敵な人間でありたいと願いながらも
なにか行動を起こす訳でもなく
自分には才能がないからと
保険をかけて諦めている
努力して上手くいかなかった時が怖いから
そのくせ周りの見えてる部分だけと比べて
自己嫌悪に駆られる

誰かの言う通り流れていけば楽ちんだ
自分のアタマで考えなくて済む
失敗しても誰かのせいだ

でも最近思った
今まで自分の決断に後悔した事があったか?
むしろ自分のアタマで考えて決断せず
後悔したことの方が多いのではなかろうか?

例えば仕事で自分の判断で失敗したら
罪悪感に駆られる
けど、いつでも誰かの言葉に流されていれば
いつまで経っても1人では何も出来ないままだ
その方が後で後悔しそうだ

例えば生き方を決める時、
誰かの言葉に流されて失敗しても
後悔が残るだけ
逆に自分で最善を選んだ上での失敗なら
次の最善を選べる

そう思えば漠然と不安がっていた事も実はそんなに心配しなくていいのでは?
冒頭に戻ると、今氾濫してる義務達も、
実は自分の決断次第でお風呂の栓を抜くように綺麗さっぱり一掃することが出来たりするのでは?
よく見たら実は皆幻なのでは?と

だから自分の決断でこの仕事とも、
嫌いな自分ともおさらばし、
好きな自分になることを夢にした

まずはその第一歩として、ここに夢日記をつけることにする
手始めに【指をくわえて見てるだけの今】を打開するのだ!

夢日記と言いつつ関係ない事も書くだろうけど
別にいいのだ
夢だから
取り留めないのだ

不精者故、何時まで続くか見物だが
口に出せば叶う、と聞くし
まずは夢十夜、くらいを目指したいものだ






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?