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疑問  -再掲バージョン-

2023年3月6日
騒動の長期化、拡大に伴い、加筆・修正を行います。

突然、ウェブ上で権威から個人に向けられたひとつの悪名がどのように拡大していったか。その過程を、西側先進諸国の一員として育った私はどうしても理解できないという思いで、何も手を下すことなく眺めていました。皆様のお役に立てるからと登場した私には信じられませんでした。ウェブにも疎く、また、向けられた指摘がどう考えても自分とはかけ離れているのに、そのように強く考えていました。
何度拭ってもそのレッテルはつきまとってきます。今もです。自説のどこが、どのように問題なのか、今まで具体的な説明はなくここまできました。「あなたの文章のこの箇所が、このように問題があるのだ」とご指摘を受ければ、ご説明したり、反論もできます。あるいは、考えた上で修正、謝罪はできるのですが、その機会はありませんでした。
多くのかたから促され、あるを時期から内田樹先生にやり取りを断続的に申し込みます。以下は記録のひとつです。

『ABOUT IT』の区分けでいうと、第一期の比較的初期から後期にあたります。これは日本で起こったことですが、世界的にも同様のことが見られることかもしれません。


加筆個所は
・本文中の「佐藤先生」というのは仮名であり、内田樹先生をさすことを明示。

・スクリーンショット中の文字をその下部に掲示します。その際、文頭に「※」を振っておきます。

以上となりますが、『ABOUT IT』と合わせて、騒動の理解にお役に立てることを願います。



『疑問』



混乱を重ねる結果となり、大変ご迷惑をおかけしました。また、お時間もずいぶんと頂戴して本当に申し訳ございません。

「悪意によるデマ」については、とんでもないと考えていますが、意志の有無にかかわらず、意見の相違というものもあります。その際は、ぜひ対話の回路を開き、指摘していただきたいと思います。訂正、謝罪と可能な限り真摯に対応するつもりです。

また、編集はつねに作り手の意図を伴います。コミュニティーによっては切り取りがシステムの大前提になってるものもありますが、作為からは免れないという意味では同様です。一方で、情報は平等に開かれているので、この備忘録を読んだあとは、公平性のためにも、ぜひ、そちらもお探しになることをお勧めします。

渦中の人物、当事者が騒ぎを周知する立場は、概要としてザックリと語ろうとすれば、印象操作、歴史修正、悪意と判定される罠が待ち、反対に、緻密に周辺のディテールをじっくり掘り下げても、生々しい、呪いの仕返しと見られるリスクを伴います。読み手なら当然の感覚だと思います。こちらとしては、書かれたものの信憑性が高まるように、どこまで解像度を上げるか、バランスに工夫を重ねてゆきたいと考えていますので、今後もご指導よろしくお願いいたします。状況に応じ、手本のないことを手探りで進めていますので、みなさまの反応を道標にしています。

第二者、周囲のリアクションを載せることも検討しましたけれど、気の進まない方の証言を掲載することはこちらも望むものではありません。疑義を向けられ、生の証言さえもらえれば、証拠を使えれば、どれだけ信憑性が持たせられるかと考えましたが、不躾なお声かけ、大変失礼いたしました。私自身が匿名という立場ですので、お気持ちはよく理解できます。一方、快諾くださった方については、本当にいつもありがとうございます。今後も許諾を伺う機会があるかもしれませんが、その際は、意志を明示してくだされば幸いです。


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騒動を扱うにあたって、こちらに瑕疵があれば、謝罪と説明を行う、佐藤先生からは騒動についての説明がない、そして、こちらが立証責任は負う一方で、先方からは反証もない(「嘘」「お話」という抽象的な声は常に挙がります)、という状況が定着していて、これまで私はその枠組み内で交渉に励んできました。

同時に納得できない気持ちがありました。相手が存在している問題なので、佐藤先生の騒ぎに対する説明が聞ければ、実は明日にも終了する話であるのかもしれないと。また、こちらの立証に関しては、事実か否か、意見の相違を当事者に具体的に答えてもらい、それを踏まえた上で事件の真実性を第三者が判断すべきものだとも考えていました。

とはいえ、相手の立場やこれまでのやりとりを考えれば、説明や事実確認を求めるのは期待できないとも思っていました。

しかし、先方が説明や事実確認をスルーし続けていれば、政治家の不祥事をめぐる状況のように、不問に付されることが明確になってきました。そして、私が不在の間も、現在も先方の私に対する嫌がらせのメッセージは続いています。これは、今の問題であり、これからの問題でもあります。

これまでも先生は、騒動に疑問を持つ方々から度々「丁寧な説明」を求められてきました。その説明要求の資料が以下になります。


先生が使用される私の符丁は以下です。
「クソリプ」……私は2度、別のアカウントから先生に乱暴な言葉で抗議しています。謝罪の際に使った言葉がこれです。
他に、「生活保護受給者」「相模原障害者殺傷事件、植松聖被告」「長谷川豊」「トランプ」……といったものです。


■騒動開始から1年と4か月。

私は不在。先生の私に対するメッセージ、騒動の牽引が高じていきます。一方で、批判、牽制の声も。
テレビを通じ、放送テーマに掛けて私へのメッセージを呼びかけることでひとつのピークを迎えます。そして、先生は騒動の説明を求められることになります。

時系列順に。 放映から約20日前のサイン。

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(※「とりあえず原稿二つ仕上げました。一つは「小児看護学会」のための抄録。一つは劇団「態変」の出してる「イマージュ」に寄稿した「津久井やまゆり園事件」について。「愛国リバタリアン」という奇形的な政治的生き物がどうやって出現したかについて。は~、疲れた。ちょっとやすも。」)


その2日後

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(※『GQ』の原稿、4500字をリタッチ。共謀罪の話。これ先月号にも書きませんでしたっけ?まあ、いいや。機会がある限り「共謀罪のどこが問題か」は書いておかないとね。僕が恐ろしいのは「国内に国を滅ぼそうとしているたくさんの人々が共謀の機会をうかがっている」という法制定の前提です。」)
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(※「処罰のおそれも報復のおそれもないと知るといくらでも卑劣にも暴力的にもなれる人間がこの世には一定数存在していることを僕は経験的に知っています。ふつうの市民社会では出番がない彼らですが、共謀罪は彼らに「政府がオレたちの活躍を期待している」という錯覚をもたらします。」)
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(※「相模原のやまゆり園での大量殺人事件の植松容疑者は事件の前に首相と衆院議長に書簡を送りましたが、それは彼らから「殺人許可」がもらえるかもしれないと期待していたからです。だから事件後も「権力者に守られているから死刑にはならない」などと口走っていたのです。」)
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(※「もちろんこれは妄想に過ぎせんけれど、妄想に燃料を備給したのは、ヘイトスピーチや生活保護受給者への罵倒や「病気は自己責任」論や嫌韓・嫌中本であり、特定秘密保護法や共謀罪の前提にある「国内に反日勢力がうじゃうじゃいる」という現実認識です。それらはリアルに今ここに存在しています。」)

上からの一連の流れから「嘘も百回」や「印象操作」「子ども」といった言葉が文脈を知る人たちから上ります。


さらに1日後

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(※「『GQ』原稿送稿。共謀罪について。この法律は当面は「一罰百戒」的運用されて、反政府的人物を恣意的に選び出して、恣意的に処罰し、メディアを怯え上がらせることと市民の間に相互監視・相互不信感情を扶植することをめざすと思います。市民の相互監視・密告が一番監視コストが安いですから。」)



10日後

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(※「劇団態変の金満里さんのご依頼で『イマージュ』に「相模原事件」について一文を寄稿しました。事件そのものはもう忘れられ始めていますけれど、この事件が露呈した日本社会の歪みは日々さらに亢進しています。」)

(これは私宛のテキストの中でも代表的なものの1つで、複数回提示されます。)

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『○○○リバタリアンという怪物』

(特に私に対するメッセージと思われる部分を抜粋)

相模原の大量殺人事件のもたらした最大の衝撃は、植松聖容疑者が事前に安倍晋三首相宛てと大島理森衆院議長宛てに犯行を予告する内容の書簡を届けていたことにある。

自分の行為が政権と国会多数派には「好ましい」ものとして受け止められ、権力からの同意と保護を得られるだろうという期待をこめたものだった。逮捕後も容疑者は「権力者に守られているので、自分は死刑にはならない」という趣旨の発言をしている。

もちろん、これは容疑者の妄想に過ぎない。けれども、何の現実的根拠もない妄想ではない。彼の妄想形成を強化するような現実が今の日本社会内部にはたしかに存在しているからである。
アナウンサーの長谷川豊は事件の直後の2016年9月に自身のブログに「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」というタイトルの記事を投稿した。

重篤な病人や障害者に対する公然たる差別発言にはまだ一定の社会的な規制が働いており、有名人の場合には、それなりの批判を受けて、社会的制裁が課されているが、在日コリアン、生活保護受給者やLGBTなどの社会的弱者に対する差別や攻撃の発言はほとんど何のペナルティもないままに垂れ流しされている。

際立つのが片山さつき議員で、生活保護受給者は「実質年収4百万円」の生活をしているという無根拠な都市伝説の流布に加担して、生活保護叩き発言を繰り返してきたが、最近も捏造投稿に基づいてNHKのニュース内容にクレームをつけて、生活保護受給者が社会福祉の「フリーライダー」だという世論の喚起に励んでいる。もちろん、本人がそう「信じている」という信憑の問題もあるのだろうが、「そういうこと」を公言すると選挙で票が集まるという現実的な打算も同時に働いているはずである。

アメリカではドナルド・トランプ大統領が「弱者叩き」の代表格である。「ラストベルト」のプア・ホワイトたちの輿望を担って登場したはずのトランプだが、就任後実施された政策は富裕層への厚遇措置ばかりで、移民排斥や、海外企業の国内移転への圧力などの「雇用対策」は今ここにいる社会的弱者のためには何の利益ももたらしてはいない。

今の日本で起きている「弱者叩き」はアメリカ原産のリバタリアニズムが日本に漂着し、日本独特の陰湿なしかたで退廃したものだと私は理解している。

他者からの同情や公的支援を当てにしてはならない。医療保険制度はいらない(医療は「サービス」なのだから金を出して買え。金がないやつは死ね)。公立学校も要らない(教育は「サービス」なのだから、金を出して買え。金がないやつは働いて学費を稼ぐか、有利子で借りろ)。社会福祉制度はいらない(他人の施しがないと生きていけないやつは死ね)と、ずいぶん非人情ではあるけれど、バケツの底が抜けたように「あっけらかん」としている。

しかし、さすがに日本では(心ではそう思っていても)そこまでは言い切れない。居酒屋のカウンターで酔余の勢いで口走ることはあるだろうが、公的な立場ではなかなか口にはできない。

その不徹底をとりつくろうために、日本的リバタリアンは「排外主義」的イデオロギーを装飾的に身にまとう。そして、貧乏人も、病人も、障害者も、生活保護受給者も、みな本質的には「外国人」であるという摩訶不思議な理説を噛ませることで、話のつじつまを合わせようとするのである。

植松容疑者がこれは「日本のために」したのだとか、「社会が賛同するはずだった」とかいう自己弁明を繰り返し、「国益を害するものたち」を「処分」する「官許」を首相や衆院議長に申請したことには論理的には必然性があったのである。彼は自分が「○○○リバタリアン」という政治的奇形物であり、現在の日本の政界の指導者たちの多くが程度の差はあれ自分の「同類」だと直感していたのである。

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先生に対して「嘘」「イジメ」などの批判が続出し、翌日、先生の炎上のサイン↓

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さらに翌日。

共謀罪について、『権力者の全能感が見える』の文章。
「権力者が全能感を覚えるのは、不合理で、不適切なことをしても誰もそれを咎(とが)めない時である。だから歴史上の独裁者たちはまったく無意味な苦役をその臣民に強いることで、おのれの全能を確認しようとしたのである。」

そして、

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(※「朝稽古だん。共謀罪は採決されました。この法律によって政府は「気に入らない人間をいくらでも拘束できる法律」を手に入れました。共謀罪に賛成の議員たちの多くが「理想郷」として思い描いているシンガポールに一気に近づきました。」)

ある方の「体罰」「暴行」という批判の声。

(上記一連のメッセージとは別に連日、先生の私に対するサインは平行。)


上から3日後。テレビ出演。

「共謀罪通った朝から僕のツイッターのところに来たクソ”リプ”(返信)すごかったですよ。」
「本当にね、共謀罪があけたチャンネルというのは市民が市民を密告したり、どう喝したり、罵倒したり、自分の隣人を敵だとみなすことを政府が奨励していると」

「実際には監視社会の中で起こることのほんの一部分なんですよ。一番怖いのは市民による市民の密告なんで、それはもう、ゲシュタポ(ナチスの秘密警察)の場合なんかでも、ほとんで、隣人が隣人を密告したわけですから…。」

「何をやっているかというと、国会審議には意味がないんだということを、まさにその印象を 国民に広く植えつけるということを目的として、一貫してやってると。立法府不要ってことを全身で訴えてるから、今回どれほど野党が反対しようとも、 内閣が決めた法律は必ず通るんだと、ということは立法府って存在意義がないじゃないかと、まさに、法の執行機関と制定機関が同一であるような同一形態のことを 『独裁』というわけですから。」


テレビを通じたメッセージは、多くの賛同を得る一方、「権力の私物化」「個人攻撃」「悪意と憎悪」といった批判も受けます。

対して、先生
「してしまったことについて後悔する方が、しなかったことについて後悔するよりましです。」
(後に『アレについて』公開時にも同様のサイン)

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数時間後、精神的に和解(?)のサイン

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しかし、先生に向けられた「排外主義」といった批判は止まらず。

先生、私への好意的なメッセージを含んだテキスト『○○○○、声の力』をアップ。

しかし、批判はとどまらず。さらに多くの方から、騒動の「説明責任」を問われます。

その際のある方のメッセージ。

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(※引用rt「エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』を158ツイートで読む(1)」

rt「抑圧された「敵意」や「嫉妬」は直接的には表現されず、「道徳的な憤り」や、正義の仮面をまとった「公憤」、または「良心」や「義務」などの仮面をかぶって表れる。「良心」とは、自分の中の「奴隷監督者」に他ならない。」)
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(※続き「ルールを逸脱する者、ルールに逆らう者に人々が浴びせる感情の正体」)
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(※「魔女狩りではコミュニティの女性たちの間で嫌われた女性が順番に魔女として処刑されたんだよ。」)


「説明責任」を問われますが、結局、先生はお答えくださりませんでした。


■質問

当事者として説明を求める気持ちは、当然ながら誰よりも強くあります。騒動の発端となったことに対する迷いや申し訳なさ、自分の無能さに対する苛立ちは実感しないわけにはいきませんでした。一方で、著書を拝読していた立場としては、説明や疑問にも答えられず、ウソを重ねながら、炎上を牽引される状況は、かなり不条理なもので、先生について抱く疑問も鮮烈なものでした。

現実ではなく虚構の世界であり、肉体ではなく言葉の上での話だから、という批判もありますが、それでも、確実に被害を受けてきました。そして、加害については、説明と謝罪の時間をずっと積み重ねてきました。あらためとなりますが、2年半に渡り、あまりに多くの人を巻き込みながら、現在も進められている炎上騒動について、ご説明をお聞かせください。


■※追記) 文章アップ後の反応。

現在から約1年10ヶ月前になりますが、当時の反応も記しておきます。この文章のテレビ出演の流れから説明を求められる交信は、他の方の助力もあって、後に先生から事実確認をいただきました。ただし、3日後には否定のメッセージが散見され出します。

先生の「確認」の記録だけで止めるべきではないかともよぎったのですけど、記録という観点から、そういうわけにもいかないという考えに落ち着きました。展開は以下になります。良否は皆様の判断に委ねたいと思います。


●事実確認をしていただいた後、先生のサイン

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対して私の返信

Screenshot_2020-07-30 ■デマ・ウソについて|kw778|note
(※「”あなたの力で認めさせたのではない”というメッセージでしょうか。”認めさせた”という感覚ではなく、ひとつほっとしたというのが本心でした。情けない話ですが、交渉でうまくいったことは、何一つ自分の力ではないとしか言えないことは自覚するところであり、この時も他の方々からこちらの質問に答えるように促してもらいました」)

●3日後、先生から

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(※「ホロコースト虚偽説を描いたDenial という映画があります。歴史修正主義はどんな妄説も、その正否にかかわる論争に持ち込みさえすれば、それなりの学問的根拠があるように見えることを利用する、という実話の映画化。歴史修正主義は「両論併記に持ち込んだら勝ち」なんです。」)
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(※「Denial の邦題は「否定と肯定」。いきなり「両論併記」に持ち込んで歴史修正主義者に軍配をあげてしまいました。配給会社は映画を観ないでタイトルを作ったのか、悪意があったのか、どちらか?でも、この「両論併記」による迂回的な妄説支援はどうやら今の日本のメディアの常套手段であるようです。」)

ここから先生のメッセージに「デマ」「ウソ」というワードが頻出されるようになります。

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(※内田先生「ううむ。真相はますます藪の中ですな。でも、久しぶりに名前見ましたダリオ・アルジェント。」)

対して、私のメッセージ

Screenshot_2020-07-30 ■デマ・ウソについて|kw778|note(2)
(※「佐藤先生に置かれましては、事実の誤認、味方の相違がございましたら、抽象的な”ウソ””デマ”といった声でなく、ぜひ具体的にご指摘いただきたいと思います。上でも自分のダメな部分を挙げましたが、こちらに一転の間違いも存在しないなどとは、けっして想像していません。ぜひ、指摘してください。」)


こちらの問いかけと先生のメッセージが平行線になります。

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