共鳴する人生を選ぶと決めた日
ずっと書きたいと思っていたことがある。
結構過去のお話だけどやっと自分に向き合う時間ができたので、書いてみようと思う。
縁はなかったけど、大切な人と共鳴した話
今更すぎるけど、以前、大切な人に思っている人がいた。
趣味も価値観も似ている人で、他の人に話したことがない自分の核となるような話ができる位に波長が合い、びっくりする位に自分らしくいれた。
相手のことを丸ごと愛せる自信はあったし、その人といる時の自分が自分でも好きだった。そしてご縁があったら嬉しいなと思っていた。
ただ、残念ながらその人とは縁がなかった。
縁がなかったこと自体はもちろん悲しく、寂しかった。
悲しかったけど最高の体験をした
だけど、悲しみ以上に心が満たされる最高の体験をした。
それは自分の感じている気持ちをまるごと伝えて、受け取ってもらって、相手と共鳴できたこと。
その時は「もう、正々堂々とその人に好きだと伝えるのは最後になるかもしれない。後にも先にも機会がないかもしれない」と思って、「この好きという感情が存在するうちに、目を見てちゃんと伝えたい、私自身もその尊い時間を100%感じ切りたい」と思っていたので、その時に感じていた事をゆっくりと感じながら、全て伝えた。
自分がその時感じている気持ち…ポジティブな気持ちだけではなく、悲しみなども伝えた。
その一つ一つの思いを言葉として紡ぐ時に、否定されることもなく、急かされることなくゆっくりと受け取ってもらえた。
そうしたら相手も少し涙ぐんでいて「ああ、私の思いが伝わったんだな、受け取ってくれたんだな」と感じられて。
恋愛という形ではないにせよ、関係性を大切に思ってくれていたのが言葉や態度で十分に伝わってきた。
望む結果ではなくても、好きな人に好きと目を見て言えることは幸せだった。負の気持ちだってあるけど、それを丸ごと話すことができて、相手も受け止めてくれたことが本当に嬉しかった。
自分が感じている気持ちがありのままに共有でき、そして相手の気持ちも感じれると、こんなにも幸福度が高まるのだと。
(そしてそんな気持ちを受け止めてくれる相手にも感謝しかない、ありがとうございました😭)
そして、私が人生の中で欲しているものってこれなんじゃないかと思った。
きっとこうやって大切な人たちと心を通わせる瞬間を、恋愛でも友達とも会社の人とも家族とも分かち合える回数を増やしていきたんだろうなと思った。
だけどそれは、私がこれまで避けてきたことでもあった。
過去の記憶から思い出したこと
私は人と心を通わせることや向き合うことを無意識に避けてきたのだと気づいた。
自分の素直な思いを伝えて拒まれるのが怖くて、傷つかないように避けてきた。
相手から感謝や愛をもらっても恥ずかしかったり、自信がなくて素直に受け入れることができなかったのかもしれない。
でもこれまでを考えてみると、恋愛だって友達だって、人間関係にはすごくすごく恵まれてきた。
友達や前に付き合っていた人から過去もらったメッセージを読み返してみたら、皆、愛を沢山くれていた。
一生懸命さや誠実さをちゃんと見て伝えてくれていたし、別れてもそんなあなたを尊敬しているよ素敵だよって、言ってくれている人も何人もいた。
・・・本当は前から周りから愛をいっぱいもらっていたことに気づいた。
ただ自分が受け止められていなくて、本当は過去の人達とも互いに愛があるのに分かち合えていることに気がついていなかった。
愛に気づいて、涙が溢れて、すごく満たされた気持ちになった。
そして、これから
今回の件を通して1つ成長を感じたのは、こうやって大切な人にまっすぐに向き合える位に、恐れを超えることができるようになったことを実感した。(+相手が良い人だったことも大きい)
やっぱり私は大切な人たちと心を分かち合い感動して、共鳴したい。
もっと自分の心を開示したり、感動したら理性とか関わらず涙してシェアしたい。
そして相手の感じている事もじっくり知りたいし、感じたい。
そのために、もう恐れずもっと自分から無邪気に心を開いていきたいし、相手からもらった愛をちゃんと自分の中で感じ切って自分の中に染み込ませたいと思う。
きっとあの経験は私の今後の人生での、大きな転機になる。
それから人との関わり方をもっと今まで以上に良くして、大切な人達に愛し愛される人生にしていこうと決意したので、これからが楽しみ。
もしここまで読んでくれている人がいたら、本当にありがとうございます。正直かなり内省的なnoteなので、何も提供できていないかもなので、そこはごめんなさい。
でも言葉になっていなかった人生の中での大切な思い出を、何度も思い出せるように言葉で記したので、誰かが読んでくれていたら嬉しいです。