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【全員向け】慶應義塾幼稚舎、慶應義塾横浜初等部の「お互いが師」という考え方の根拠(福澤の文書より)

いつもお世話になっております。

慶応幼稚舎における教師と生徒が互いに師であるという考え方は、同校の特徴であると思います。

この理念は、慶應義塾大学の創立者である福澤諭吉の教えに基づいており、「独立自尊」という人材を育成することを目指しています。このアプローチでは、お互いの違いを認め合い、思いやりの心を持ち、自分ができることを一生懸命に行うことが重視されています​​​

​このような教育方針は、教師と生徒の間で相互の成長と尊敬を促すと慶応義塾では考えています。

なお、その考え方は、福澤が山口良蔵に宛てた以下の書簡によく表れています。

最高の慶應義塾幼稚舎、慶應義塾横浜初等部の願書を書くためには、このレベルの知識が必要となります。はっきりいって、みなさんは慶應義塾の研究が甘いと思います。

「僕は学校の先生にあらず、生徒は僕の門人にあらず」
山口良蔵宛書簡

天下は太平ならざるも、生の一身は太平無事なり。兼て愚論申上候通り、人に知識なければ固より国を治ること能わず。甚だしきに至ては国を乱だるにも規則なし。皆無知文盲の致す所なり。 今人の知識を育せんとするには、学校を設けて人を教るに若くものなし。

依て小生義は当春より新坐に屋敷を調、小学校を開き、日夜生徒と共に勉強致居候。この塾小なりととも、開成所(※)を除くときは江戸第一等なり。然ば則 日本第一等か。(福澤は幼稚舎の教育にメチャクチャ自信を持っていますね・・・)

(※)開成所について
江戸時代の開成所は、日本における近代教育制度の前身の一つであり、幕府が設立した官立の学校です。開成所は、幕末の時期、西洋の科学技術や学問を学ぶために設けられました。その主な目的は、西洋の知識を取り入れて、日本の技術や知識基盤を強化することにありました。開成所では、数学、天文学、物理学、化学などの科学技術の分野だけでなく、英語やオランダ語などの外国語教育も行われました。この学校は、日本の近代化に向けた重要なステップとなり、後の学制改革や技術革新の基盤を築く役割を果たしました。

なお、江戸時代の開成所と現在の開成中学校・高校とは直接的な関連はありません。江戸時代の開成所は幕府によって設立された官立の学校であり、西洋学問の習得を目的としていました。一方、現在の開成中学校・高校は、1886年に設立された私立の教育機関であり、開成所とは異なる歴史的背景を持っています。したがって、両者は名前が似ているものの、直接的な繋がりはありません。

勘違いされている方がいらっしゃるかもしれませんが、それは完全なる誤りですので、ご指摘しておきます。

校の大小美悪を以て論ずれば、敢えて人に誇るべきにあらざれども、小は則小にして規則正しく、普請の粗末なるは則粗末にして掃除行届けり。

『僕は学校の先生にあらず、生徒は僕の門人にあらず。』之を総称して一社中と名け、僕は社頭の職掌相勤、読書は勿論眠食の世話、茶の始末まで周旋、その余の社中にも各々その職分あり。 尊藩の人にて在塾の面々は、当時松山、小泉、草郷、辻村、小川、吉田六名なり。

松山の上達は格別、小泉も輝母しき品物。一両年の内には、一人物たること
謝なり。独怪む、御国許には少年才子幾人も可有之。方今その人々は何をいたし居候や。

この時節に当り筋力もなき弱武士を軍に出すとも、殿様の御徳用にも相成間敷。又一方より論ずれば、当人にても、世緑の丸潰れたるべきは、天下一般必然の勢にてのがるべからず。

その時に至りツプシ地金の直打なくば、飢寒を免かれざるべし。何卒有志の筋へ御相談、少年を鼓舞して出府御取計被成度奉存候。

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