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【全員向け】慶応義塾は貧乏で「半学半教」せざるを得なかったという悲しいお話し

いつもお世話になっております。

さて、本日は願書などでも良く引用される「半学半教」について書きたいと思います。

「半学半教」とは、慶應義塾の創設者、福澤諭吉が掲げた教育理念の一つです。この言葉は、文字通りに解釈すると「半分は学び、半分は教える」という意味になります。

この理念の背景には、学生が自ら学ぶことの重要性と、学んだことを他人に教えることによって更に深く理解を深めるという考え方があります。つまり、学びと教えることの双方が互いに影響し合い、共に成長することを促進するという考え方です。

福澤諭吉は、学生が授業で学んだ知識を同級生や後輩に教えることで、その知識をより深く理解し、自分自身の学びも促進すると考えました。

このようにして、学生たちは単に知識を受け取るだけでなく、能動的に学び、社会に貢献する人材として成長することを目指したのです。

・・・というのは、後に慶応義塾大学が世間を洗脳して根づかせた知識であって、そもそもの「半学半教」の始まりは「慶応義塾が貧乏すぎて、そうしないと経営が回らなかったため」です。

まあ、半学半教を願書に使っても良いと思いますよ。慶應義塾幼稚舎の教師の半学半教に関する知識は、上記に書いた「福澤諭吉は、学生が授業で学んだ知識を同級生や後輩に教えることで、その知識をより深く理解し、自分自身の学びも促進すると考えました」レベルだと思いますので。

半学半教の理由は、1876年に福澤が書いた「慶応義塾改革の議案」にばっちり書かれています。

『・・・(いろいろ書いてます。「読書をしよう」とか。これもネタになるか)・・・
・社中素より学費に乏しければ、少しく読書に上達したる者は半学半教の法を以て今日に至るまで勉強したることなり。この法は資本なき学塾に於て今後も尚存すべきものなり。(やべー、マジでうちの塾は金がないわ。半学半教にしないと持たないよー、と書いてます。慶応義塾の内部向けの文書だからリアルだ・・・)
・然るに年月の沿革に従い、或は社中の教師たる者、教場の忙がしきに迫られ、教を先きにして学を後にするの弊なしと云うべからず。(現代語訳すると「しかし、時が経つにつれて、教師たちが忙しさに追われることがあり、教えることを優先し、自分自身の学びを後回しにすることの弊害があるとは言えないわけではありません。」という意味です。つまり、教師が忙しさによって自分の学びを後回しにしてしまうことの問題点を指摘しています。時間が経つにつれて、教える仕事に追われることで、自分自身の学習や成長がおろそかになる可能性があると述べているのです。福澤は、決して半学半教がベストだと思っていたわけではありません。おそらく、慶応幼稚舎の教師陣は誰もそんなこと知らんと思うけどな・・・)
方今世上の有様を察するに、文化日に進み、朋友の間にても三日見ずして人品を異にする者なしとせず。 斯る時勢の最中に居て空しく一身の進歩を怠るは学者のために最も悲しむべきことなり。故に今より数年の間は定めて半学半教の旨を持続せざるべからず。・・・」

まあ、個人的には人に教えると、自分自身にも知識が定着するので、半学半教は悪くないと思うだけどね。「教え合うことの良さ」を前面に出して塾内のマネジメント層に伝えればよかったと思うんだけどなあ。

まあ、半学半教はこういう事情があるので、願書で使うには少し注意が必要かな。さすがに慶応幼稚舎の教師陣には頭のいい奴もいると思うので、ちょいと本来の文脈から外れた使い方をすると、落ちるよ。

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