私の想像する死後
これはただの妄想だが、思ったことをとりあえず書き連ねる。
私は、天国や地獄というものはあると思っている。しかし、それはキリスト教のような世界でも、極楽浄土のような場所でもない。
我々は、死後を作っている
思い出というものは、時にそれは心を癒し、時に鬱屈とさせる。私はこれを天国と地獄、だと考えている。
私は死んだ後、その人生をプレイバックする。そこには、なんの変哲もない世界や、温かく明るい世界、暗くつらい世界もある。生まれてから死ぬまでの全てを追体験するのだ。
つまり、私は今死後の世界を作っているとも言えるわけだ。今生きている世界、この現実はやがてあの世となり、当時の心情、記憶のまま再生される。あの時の痛み、喜び、苦しみ、それら全て再現される。
再生終了
ではその後はどうなるのだろうか。リピートされるのか、いや違う。その先には、何もない。
レコーダーで録画した時のように、最後は突然画面が止まり、そのままなのだ。私が記憶という録画映像を完全に消去し、また次の生命を録画し始めるまで、あの世はずっと静止画だ。
答え合わせ
私が生きた意味はなんだったのか、この世界は何のために、誰が作ったのか、私の人生は誰にどんな影響を与えたのか、それらの答え合わせなどはされない。何が正解だったのか、何もわからないまま、生まれ変わるのを待つのだ。記憶の追体験をする過程で、自分を客観視し、「これはこうするのが正解だった」や「この行動は人生を良くしてくれたのだ」など、自分が作ってきた採点基準で自分が答えを作っていく。記憶を変えることはできないが、映画のように、ガラス越しに最善を考えることはできる。
今を救うために
少しでも心を軽くするための考え方だ。「正解は何か、それは死後の自分が考えてくれるから私はそんなものを考えなくてもよい」と自分を納得させ、失敗を恐れる私を慰めるのだ。
以上。
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