雨と怒声と終わらない夏休み。
これは私にとってとてもとても大事なお話。
そしてみんなにも知っておいてほしかったこと。
今年、やっとお話ができる気がする。
いつものねこーる。さんを見ているみんな。
ここのねこーる。さんしか知らないみんな。
ねこーる。さんを知らないみんな。
大事な話。ずっと言えなったこと。
ゆっくり、下書きしながら書くと思うから、
ゆっくり聞いてほしいし、
すごく、辛い思い出だから、
共鳴しちゃったら迷わずブラウザバックしてほしい。
いや。
次の単語でだめな人は、
迷わず、必ず、ブラウザバックして。
動物の動画とか好きな歌とかに移動してください。
(ちなみに結局、4日ほど寝かせたあと軽く推敲しただけで投稿に至ります)
自ら命を絶ちました。
私のニコ生やツイッターを見ている人なら、不思議に思ったことないかな?
ねこーる。さんっておかんの話とかばーちゃんとか弟とか出てくるけど。
とーちゃんどこ?
あまり話さないよね。
パパの話。
パパだって(プークスクス
そんな風に言わんといて。
だって、パパは47歳で、止まってるの。
パパはある日。
突然行方不明になった。
その時パパはトラックの運転手してた。
パパは私が生まれる頃トラックの運転手だったんだって、大型の。
それから私が生まれて、2歳下の弟が生まれて、パパは自営業を始めた。
けれど、私が17歳くらいで自営業辞めた。
急に、トラックの運転手を再開した。
しばらくして、パパは怪しい女の人と交流を持ったり。
お金絡みで悩んでいる様子だった。
その頃の私は、ちょうど「精神科に通いだして数年」の今で言うメンヘラで。
りすかあむかおーでぃーと。
やることやって、パパから。
「4にたきゃ首切れ」
まで言われた。
泣いた。
理解してくれないって、泣いた。
でも、何も解ってないのは私の方だった。
パパが仕事に出ると遅いときは丸一日家を空けてたから、
帰りが遅くても、気にならなかった。
私は自分勝手に生きてたし、ほとんど引きこもりで、一日の間隔も薄くて。
だらだらしながらパパからの頼まれ事もだらだらと先延ばししていた。
パパが帰ってこない。
何日家を空けてたか全く覚えていない。
とにかく、パパが帰ってこない。
母が、そう言ってどこかに連絡していたと思う。
よく分からないけれど……
というのもこの頃の記憶がほとんどない。
気が付いたら警察のお世話になっていたと思う。
何日かして。
パパが見つかった。
山の中で。
パパの家族で乗る愛車が見つかって。
パパがその少し行ったところで。
ぶら下がってたんだって。
弟が外で大きな声を出してた。
馬鹿とかそんな感じだった。
それを私は自室でレースのカーテンを少し開けて聞いてた。
6月の終わりだった。
パパの命日は6月28日。
その少し前に、父の日があって。
「頑張ってね」
って言った。
覚えてる。
それは間違えなく言った。
「頑張ってね」
パパはもう頑張りすぎてたはずだった。
知らなかった。
知ろうとしなかった。
「頑張ってね」
そんな無責任なこと。
あの頃の私が言える筋じゃないのにね。
なんで、あんなこと言ったんだろう。
雨だったかもしれない。
お葬式。
頓服忘れたって言って。
私は泣くことしかできなくて。
多分お手紙書いたけど、読んだんだっけ。
顔は見れなかった。
見ていいよって言われたけど。
どんな格好で式に出たかも覚えてない。
ただ泣いてた。
それだけ。
お通夜とかお骨拾うのとか全部参列したけど。
あんまり覚えてなくて。
パパの骨の中から、パパの口の中にあった歯医者でつけてもらった、
金属だけ異質を放ってたのは覚えてる。
心のなかで笑ってた。
その頃。
「いま、会いにゆきます」ってドラマやってたけど。
小説先に読んでたから内容知ってたから見てるのしんどかったけど、
母が見てるから、一緒の空間でぼーっとしてた。
夏ぐらいには電車男のドラマやってて2ちゃん民だったから、ヘラヘラしながら見てたら弟にキレられた。
それから、私はもっと病んだ。
鬱がひどくなって統合失調症が酷くなって。
だから記憶が抜け落ちてる。
手首切ったり、首筋切ったりして。
2回閉鎖病棟行った。
おくすりいっぱいのんだり。
たくさんしたけど。
覚えているのは。
夢の中にパパが出てきたとき。
いつも夢はこうで。
「あれ?パパ、帰ってきたんだ?」
私をそう思わせて、目が醒める。
パパもういないよ。
頭の中でぶつかる言葉と夢の中のパパ。
何回夢を見て何回泣いたか覚えてない。
昼間だって、急に急にダムが決壊するみたいに泣いた。
当時デイケアに行っていたが。
何回も何回もダムは決壊した。
その結果の入院2回。
ある時、私は本の虫に戻ってた。
何冊も何冊も本を読んだ。
そこで覚えた言葉が
「贖罪」
そうだ。
私は、私の所為でパパが4んだから。
私は罪滅ぼし、しなきゃいけないんだ。
罪滅ぼしって?
私にできること?
今までの行い。
私がここにいること。
私が、私でいること。
私の贖罪は「生きることです」
パパが、もしかしたら、パパが。
いいよ
って言ってくれたかもしれない。
いいよ
大丈夫だよ
急にふうっと、
肩の荷が下りた。
パパのことで突発的に泣かなくなった。
夢に出てこなくなった。
パパが、
虹の橋を、
渡りきれたのかもしれない。
ちゃんと、そっちに、
逝ったのかもしれない。
それから、何年かして。
今の旦那と出会って。
私はここにいる。
旦那が、
パパと同い年になった。
私も、
年を取りました。
なので、ここに書きました。
一旦、区切り。
私の中で整理する。
きっかけの年。
でもね、毎年、この季節と、夏の終わりは、苦手なんだ。
どころがどっこいよ。
最近は、パパがね。
お盆より少し早く、
実家に帰る前に、
「ちょっと様子見に来たぞ」
って、私のところに来てくれるの。
感じるの。
今パパ、居てるなって。
ごめんけど、ちょっと気配しんどいねんけど。
ってね。
ってね。
そういうお話。
聞いてくれて。
ありがと。
来年は、
パパのお誕生日、
します。
夏の終わり 夏の終わりには
ただ貴方に会いたくなるの
いつかと同じ風吹き抜けるから
作詞:森山直太朗/御徒町凧
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