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フリコが虹の橋をわたって3weeks passed. 不思議なこと①

ここ最近のわたしの口癖は「仕方ない」。
いろいろフリコのことを思い出しては
「会いたいなぁ、でも仕方ないんだよね…」
と溜め息をつく。

「だってもう身体が無いんだし、天国に行くしかないんだもんね」
「もう苦しまなくていいんだもの、それがフリちゃんにとっては一番だよね」
そう言いながらまた「仕方ない…」。

でも「仕方ない」はマジックワードにもなっていて、今日あたりからは、そう言葉にしながら重い気持ちを一つ一つ薄皮を剥がすように手放していっている感じがしてきた。
言葉にすることで納得するというか、目に見えない温かい存在に諭されているようにも感じるというか。

もうわたしの朝はフリコがもういないのはわかっている目覚めに変わってしまった。朝もう少し寝ていたいわたしと起きて欲しいフリちゃんとの幸せで姑息な攻防戦も、さびしいけれど、もうない。

数年間のかわいい幸せだった毎日が目の前からなくなったことに数日で慣れられるわけもないし、それに贖う必要もない。いまはただ何も決めずに漂っているだけでいい。

先日の蝶の出現も不思議なことだった
愛犬フリコをなくして失意のどん底にいた私たち家族の目の前にある朝、アゲハ蝶が現れた。
北海道、外には昆虫の類はいないマイナスの外気温、外は雪。
普通に生まれた蝶に比べてきっといろんなハードルをかいくぐって、なんとか今日も生息している。

実はまだいくつか不思議なことがあったので、忘れてしまう前に記しておこうと思う。

霊感は強くないはずなんだが、いきなり止まっていた加湿器が動き出したり、誰もいない物置のライトが点いたりなどもあったりして、いよいよわたしも満を持して憧れの美輪明宏さまに自信を持って弟子入りをしたい気持ちが高まる。

こういう一連のことを気のせいとか繊細だとか言う方もいるので、こういうことがわかる人だけに話すようにしている。

でもここは無料note。大切にしていた愛犬との記録をちゃんと完了させるモチベのためもあって公開しているんだから、まあ書いておいてもいいかな。

げんきにしています     蝶より


フリコが亡くなった翌日。

うちの車のメーターパネルの警告灯ABSランプが、フリコの亡骸を火葬場に運ぶ間だけずっと点いていた。

ABSランプとは、車に搭載されているAntilock Brake System(アンチロックブレーキシステム)」という頭文字を略した言葉で、タイヤがロックしないようにコントロールする機能の警告ランプ。
「よりによってこんな時に」と思ったが、点いたのはその時だけ。後日、車屋さんにも持っていったが原因不明。この前にも今に至るまでの後にもランプが点いたのはその時だけ。(最初の見出し画像)

魂や霊というのは電気を通して反応を送ってくるのは映画とかでも使われているのでご存知の方も多かろう。でも自分に実際期待していない時にこういうことが起こると気のせいだとしたくなる人の気持ちもわからないでも無い。だってあまりにも何気なく起こるし、まさかと思うし、脳内がバグを起こしたようになるから。

また別の日は、ふと空いた時間で娘と定山渓方面に温泉に行った。
娘はフリコの夢をよく見たり、あのポップコーンみたいな肉球の匂いが、ふとした瞬間にしてみたり、部屋の中をフリコがいつものようにわたしの足元に追いて走って行ったりするのを見た気がするそうだ。

わたし、娘、フリコの3姉妹のようにしていた1人が欠けてしまって日々の歯車が狂ってしまったわたしたち。変えられない事実はあるけど、まずは身体を温めて緩めて美味しいものでも食べて同志の心に寄り添いたいと出かけることにしたのだった。

車通りの多い定山渓までのまっすぐな道を運転していると、前にスッと車が入ってきた。その車のナンバーが、わが家の苗字の最初の1文字のひらがな+フリコの亡くなった日の1129との組み合わせで、後部座席に座っている娘に「フリちゃんの亡くなった日と同じナンバーだよ」と言った次の瞬間、横に来たバスの車体ラッピング広告に「こころも からだも あたたかくなる おいしいものを たべよう 」と書いてあった。娘と思わず「フリちゃんからのメッセージかもねえ」なんて笑いながらフリコの思い出話に花が咲きはじめて、あたたかな優しい気持ちでその後の温泉の時間も過ごした。

車といえば、私たちはフリコの存命時からトヨタの ROOMY(ルーミー)という車を見るとなんとなくキュンとしていた。フリコは動物保護団体から譲渡された子なのだが、団体では多くのレスキューをする中でわかりやすいように出身地名から1文字とって名前が付けられているらしく、留萌の多頭飼育崩壊からきた子ということで団体名をルーミーと名付けられていたこともあり、同じ名前の車を見つけるたびに、ちょっと時間が引き戻されるというか、ずっと赤ちゃんから家にいたような気がしていたけど、そういえばそんな過去があったんだったと思い出すと同時にご縁に感謝する時間にもなっていた。

温泉と美味しいご飯でゆるんだわたしは帰りの雪道の運転が面倒でどこでもドアが欲しいと思いつつ、これは北国の日帰り温泉を自家用車で利用する者の宿命で、夜になると昼間とけた雪が凍ってアイスバーンになるので運転は真剣だ。悪天候の中、同じくツルツルの雪道を老若男女が普通に猛然と車を飛ばしていく全雪国の民はパリダカに出れるのではないかと本気でいつも思う。じゃあ温泉効果は台無しなんじゃ?と思われるのだが、良質な源泉かけ流しの温泉だと芯から温まり癒やされるのでそれでも大きくプラスなのである。

雪は降ってるし、そんな真剣な帰路でようやく少し道がなめらかになってきてホッとした赤信号待ち。
過酷な雪道運転に「ひ〜〜〜っ」と停車した瞬間に声が出る。と前の車を見るとそこには、トヨタのROOMY
娘に「ルーミーだよ〜、またフリちゃん」と、ふと車の番号を見たら39だった。

「サンキュー。」

これはもう涙腺崩壊だった。

ワンコと生活する友人が持参してくれたかわいいキャンドル。いつも清々しくてまっすぐな心の彼女の思い遣りに家族で癒される。


まだフリコが亡くなる少し前に参加した月とカヌー「暦と暮らす こよみのクラス」(こよみのお話会)。

もうかれこれ使いはじめて7年目のお気に入りのカレンダーと手帳

とても素敵な鈴木匠さん&よし子さんのお2人のお話し会が北海道で初めて開催されるということで参加した時に、その時は、まさか自分ごとになるとは思わずに聞いた匠さんご自身の経験談のお話しの中での
「亡くなった魂は、その人だけにわかるようなサインを送ってくる」という言葉。妙に心にしんと残ったこの言葉が再び心の中に静かに浮かび上がってきた。



また不思議なことが増えるようだったら②を書こうと思います。






ありがとうございます(*Ü*)*.¸¸♪