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フリコ 虹の橋を渡りました


我が家の元保護犬フリコ。本名 フラッフィ。
御年推定14歳。
推定ポメラニアン。
この子は8年前に動物団体からのご縁でウチの子になってくれた元保護犬。
お誕生日はわからないのでウチの子記念日にしました。
でも保護されているのは実はわたしの方。
人生の荒波を乗り越えて来れたのは伴走者のこの子のおかげです。

11月29日 水曜日


さっき息を引き取りました。
まだ身体があたたかい。
あまりにも急にいろいろ進んで今どうしたらいいかわからないので
ただ、ただ、これを書いている。

今日も、かかりつけの病院に行って来たばかりだった。

帰り道はもうすでに暗くなっていた。
雪道の運転手の緊張はよそに、いつもは寝息を立ててすぐ眠ってしまうのに、今日のフリコはずっとずっと起きていた。
脚が居心地が悪くて眠れないのかもと娘に何度も体制を変えてあげるように言ったりしていた。娘はその度にフリコに話しかけて丁寧に直してくれていたけど、やはりフリコは眠らなかった。

うちの車はルーフウインドウがついているのだが
フワフワ落ちてくる雪を見上げるようにしていたり
一緒に行って横に座っていた娘をずっとじっと見ていたそうだ。
いつもはそんなことはない。

思えば、我が家に来た時からフリコにとって娘は守るべき存在だった。
フリコは子どもを何度も産まされては取りあげられていた繁殖犬だった。
フリコは必ず娘のあたまのまわりに寝てはおでこを舐めていた。
喘息で苦しい時も、学校が大変だった時も、いつも。
滅多にないが夫が娘に怒ったように話すと必ずフリコは唸って威嚇した。
動物は話さないからこそ、その存在の幼さや純粋さの度合いがわかるんだと思う。
他の家族とは少し違った扱いをしていた。
もしかしたら子どものように思っていたのかもしれないな。

帰宅してフリコは少し虚ろな感じ。眠るのかな?
でもわたしが晩御飯の準備にキッチンに行くのを見つけて、いつものように身体を起こした。お腹が空いているサインだ。
起き上がって来れないので座っている場所まで行って、今朝作ったばかりの手作りお粥を食べさせた。沢山こぼしてしまうので本当に少しづつ、赤ちゃんに離乳食を食べさせるようにゆっくり口に運んだ。

そして、食べ終わってしばらくしたら呼吸が苦しそうな様子がまた始まった。
食べたものが詰まったのかと水を口角から注射器で飲ませたらちゃんと飲んだし、様子的に喉詰まりではない。
昨日、一昨日とあった発作のような症状だ。

どんどん呼吸が荒くなってきたので急いで近くの病院へ電話した。
「出先から戻る途中でもうすぐ着くので、すぐ連れて来ていいですよ」と言ってくれた。
その間にもどんどん呼吸は荒くなっていって、わたしの腕の中で目を見開くような感じになってきて、今度は逆に少しづつ身体に力がなくなってきてしまった。そのうち軽く2〜3回痙攣した後にオナラをした。これは絶対に良くないイヤな感じ。その間、あっという間の3分くらいの出来事だった。
家族全員がみんなフリコを触ったりして声をかけていた。
フラ!大丈夫?フリちゃん!しっかり!
首がだらんとしてきてしまい、泣きながら身体をさすり続けた。

夫と私で車を飛ばして夜間診療の病院へ向かう。
家の前の道は夜間に工事が入っていて交互通行。夫は少しイライラした。
わたしは車の中で心臓マッサージをしてずっと声をかけ続けていた。
だらんとはしているけど、まだ身体はあたたかい。

車でほんの10分くらいの場所にある病院に着いて、診察台に寝かせて先生が診てくれたときには、もう心臓の音は止まっていた。瞳孔も開いて反応がない状態。
かわいいたいせつなフリコは車の中、もしくは自宅を出る前に家族に囲まれて声をかけられていた最中に、わたしの腕の中で息を引き取っていたのだった。

病院では心臓が止まっていても心臓マッサージをしてくれたが、心臓の音は戻らなかった。「先生、生き返ることはないのでしょうか?」と涙と鼻水で朦朧としながら確か聞いたと思う。先生はわたしにフリコの反応がなくなってから経った時間を確認してから、静かに心を込めて「この状態で仮に蘇生したとしても、今よりももっと大変な症状を抱えてこの子は頑張って生きていかなくてはいけない。それはかなりこの子にとっては辛いことだったと思いますよ」と言ってくれた。現在進行形の悲しい感情とは逆に、わたしを縛っていた何かから心が少しだけ解放されたのを感じた。実家の老齢の両親の介護まわりでも経験したが、病や喪失の時に必要なのは、血の通った言葉や会話、人間っていいものだなあと思える、心の見えないコードの繋がりだなあとしみじみ思った。

実はここの看板犬は同じポメラニアンでとても可愛がられているのを知っていたので同じ種への愛を持つ心が繋がった同胞としての真実も感じられた。
ああ、自分のエゴや自己満足ではいけないな、と思えた。ありがたかった。
いい先生だ。いい人だ。最後に家族親族以外で看取ってもらえたのがこの人でよかったと心の底から思えた。

夫の雪夫はフリコが亡くなったのをまだ気づいていなかった。
帰りに近くの24時間営業のスーパーで氷とお花を買うのをお願いしてはじめてわかったようだった。外国人なので日本語の亡くなった時に医師が親族にかける言葉のニュアンスが伝わりづらかったのかもしれない。わたしは継続して泣きながらぐったりしたフリコをおくるみに包んだ赤ちゃんのように大事に大事に抱っこしていたので、昏睡状態で手の尽くしようがないと言われただけだと思っていたらしく、知った瞬間に大きなショックを受けて車を一時停止していた。どおりで「明日またいつもの病院に行ってみる?運転するよ」などとと言ってきたりしていたわけだ。

子犬から育てた先代が亡くなったのを看取ったのは夫。
わたしはその数分前まで一緒にいたが家の中の別の場所にいた。
なのでフリコの時はしっかりと見送る、と思っていた。
出来ればわたしの腕の中で、と。
まさにその通りになってしまった。
呆然としながら赤ちゃんのようにかわいいフリコの亡骸を抱っこして帰途に着いた。

車の中から家族LINEでフリコが天国へ行ってしまったことを報告した。
息子と娘は病院には行かなかった。
人それぞれの事実を受けいれる方法は違っていいと常に思っている。
息子は先代のメッチャンの時はまだ小学校1年生、娘は初めての経験だった。

今回は大人のわたしが大きく取り乱しすぎたら子どもたちが感情を出せなくなると思い、それでも泣いてしまうけれど帰宅した時に子どもたちの前では冷静になれるように努めた。

まだ温かさの残るかわいい小さな身体やパウをずっとずっとなぜなぜして、
ゆっくりと家族一人一人が代わりばんこにフリコを抱っこしてあげてお別れを言っていた。

ベッドのようなしっかりした箱にフリコが寝ていた布のシートを敷いて
その上に氷、その上にタオルを敷いて、そっとかわいい身体を寝かせた。
病院でそうするといいと教えてもらった。

かえりしなに夫が買ってきてくれた色とりどりのかわいいお花たちと、フリコと夏に一緒に行ったラベンダー畑でたくさん摘んで作ってあったラベンダースティックを身体のまわりにみんなで入れてあげた。大好きだった鹿肉ジャーキーとお菓子も入れた。

でもまだ身体はあたたかいんだ。
映画みたいに生き返るかもしれない。
そうしたらベッドが冷たかったらダメじゃん。

何回も思った。

でもフリコは動かない。
たくさんたくさん触っているし、何回も触ってなぜなぜしては、いつものようにフリちゃん!フリちゃん!と呼んでお口にチューもしているけど息はなくピクリともしない。

悲しくて頭がすごく痛い。
でも覚えているうちに詳細を自分のために書いておきたい。
むしろこうして気持ちを書いていなかったら自分の心のやり場がない。
悲しくて身体全体が痛い感じがする。

先に休んでいた息子が起きてきて、今しがた金縛りにあった話をする。
「初めてでびっくりしたー。フリコの魂がお家の中を駆け回ってるのかな」
フリコにとても甘い息子。
部屋までよく付いて行っては持久戦を勝ち抜いて公然の内緒のオヤツを貰ったりしていたからフリコの挨拶だったのかもしれない。

みんな自分の部屋に戻っていって今はわたしとフリコだけ。
もう動かないフリコの身体をなでなでしながらずっとずっと話しかけている。

「今度は子犬の頃からまっすぐうちに来てね」
「必ずまた会おうね」
「だいすきだよ」
「世界で一番大好きな犬だよ」

いつもはフリコは「世界で一番大好きな生きている犬」と言っていた。
先代のメッチャンが一番だった。
でも今日はメッチャンもわかってくれるはず。

まだあたたかい。
起きてきそうな感じがする。
明日の朝起きたらまたお腹が空いたよと
いつもみたいにキッチンで私がご飯を作る横でずっと待っていて欲しい。
ハッと起きてくるんじゃないか。
奇跡が起きて明日の朝になったらいつもみたいに私の横にいるんじゃないか。

何がいけなかったのだろうとついそればかり考えてしまう。
あのせいかな、これせいだったかな。
もしかしたらあれがいけなかったのかな、もしかしたら、もしかしたら、etcetcetc….

泣きすぎとパソコンでお陰で目がしょぼしょぼして少し眠くなってきた。

目をつぶって少し寝ようか。
もしかしたら夢に出てきてくれるかな。出て来て欲しい。
もしかしたら朝起きたら生き返ってるかもしれないから
もうとりあえず寝よう。
そういえば今日は1食しか食べてないのにお腹がまったく空かないな。
いいや。
もう寝よう。



ありがとうございます(*Ü*)*.¸¸♪