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ゴイゴイスーミュージカルはテレビっ子国崎少年の理想郷

 TBS系列で放送された大型特番「お笑いの日2022」は、当日予定があったので全部は見られなかった。本当はキングオブコントも観れるか怪しかったのだけれど、数年前にも予定を入れてしまってて、「絶対に結果言わないで」と言っていたのに、ジャルジャルが好きな相手が「あっ!」と反応してから、私は急激に元気をなくしてしまったので、賞レースの生観戦は死守することにしている。で、KOCはもちろん面白くて、本当はいぬが優勝してほしいと思っていたが、や団に脚光が当たったならいいかと相殺。

 というのもあり、8時間の特番でキングオブコントを除いた5時間を全く見れていない(正確にいえば、帰ってきたところでコサキンがネタ後トークしてた)ので、話題になっていた冒頭の、人気芸人にプラスワンゲストを入れてネタをする番組で「ランジャタイ×ダイアン津田」のコントというのをみた。

 このコントに面白さと同時に食らってしまったのがこのブログの動機で、観ていない人がいるならば見てほしい。こぶしとこぶしがぶつかる一瞬だけ時間を止め、脳内に話しかけられるというダイアン津田によるミュージカル。詳しい筋書きは下に引用した。


お互いに逆方向から歩いてきたランジャタイの国崎和也と伊藤幸司。肩がぶつかる。メンチを切り合う2人。どちらも引かない。2人は相手に殴りかかろうとする。その拳が相手に届こうとするその瞬間、2人の間に置かれた箱を突き破って津田が出てくる。
「ゴイゴイスーーー!」
 そして津田は歌う。『ザ・ヒットパレード』の曲に合わせて「ゴイゴイー、スーススー」とリズミカルに歌う。舞台の上を左右に動き回る津田。最初少し緊張気味だった顔が、客席の笑いを確認して徐々に緩んでいくのが可笑しい。
 その後は、見る者の脳にダイレクトに語りかける津田。突如『戦場のメリークリスマス』の曲がかかると「すみません。わんこそばの、時間です」と舞台の端でわんこそばを食べてゴイゴイパワーを溜める津田。ゴイゴイパワーを使って国崎と伊藤をハトにする津田。くノ一のミユキちゃんにフラれる津田。母ゴイゴイスーに「めげないで」と鼓舞される津田。全身全霊ゴイゴイスーのモードに入る津田。「ゴイゴイスー!」「スー!」「スーススー!」「ゴイゴゴーイ!」としつこく連呼し続ける津田。ミユキちゃんとよりを戻す津田。改めて「ゴイゴイー、スーススー」と津田。そして最後にまた「わんこそばの、時間です」――。

https://www.cyzo.com/2022/10/post_324379_entry.html
サイゾー

 「天才」とは、自分の想像できる範囲外の人間に対して指すが、反面その人を突き放している。「どうやって生きてきたら、こんな事思いつくのか?」と褒め言葉的に捉えることが多いが、しっかり考えてみればこのコントは完全なるナンセンスではない。私は今日20回ぐらいみたのでわかってきたことをまとめる。

 このネタ内で用いたテーマ曲は、
「ゴイゴイスーミュージカル」パートの『ザ・ヒットパレード』と
「わんこそばの時間」パートの『戦場のメリークリスマス』
後者に関しては、まっちゃんも「戦場のメリークリスマス・・・」と反芻しているが、この選曲は太陽と月の関係があり統合されたイメージである。

 国崎は既存の漫才内においても、「盛り上がる音楽」のイメージとして『ザ・ヒットパレード』のOPをテーマ曲のように用いているとの指摘もある。


 この番組『ザ・ヒットパレード』は1960年代にフジテレビでやっていた、歌謡番組であり、国崎少年がテレビっ子だとしても明らかに世代ではない。しかし、すぎやまこういちが作曲したこのテーマは、90年代のバラエティ『ボキャブラ天国』のタイトルテーマとしても用いられていた、と考えると国崎のもつ華やかさと懐かしさのイメージが納得できる。

 では、なぜ「わんこそば」パートは『戦場のメリークリスマス』なのか?
これも幼き頃のなつかしさに起因しているのではないか。というのも同じく90年代、『北野ファンクラブ』という深夜番組のワンコーナー「亀有ブラザーズ」からの連想であろう。「亀有ブラザース」はたけしが工事現場のおじさんのような衣装をしたバンドで、名曲を卑猥に替え歌していくコントである。必ず最初に『ザ・ヒットパレード』の替え歌で「ヒッパレ~ヒッパレ~ちんぽをヒッパレ~」と一節歌っている。

 『ザ・ヒットパレード』の音楽を軸に据えると、この2曲の関係に納得がいく。多分、『ボキャブラ』は太陽で、正統派で華やかな世界のイメージに対して、『北野ファンクラブ』は深い時間のダークな面白さというイメージがゴイゴイスーミュージカルの対比のイメージと重なる。つまり、この2者が太陽と月の関係なのである。そう考えると、ビートたけしからの連想、かつ、ミュージカルと対比になるものと連想して『戦場のメリークリスマス』が思いついたのではないか。ミスターローレンス。

 国崎少年は1987年生まれで、90年代中ごろは10歳前後のはずで、多感な時代をテレビの華やかな世界から感じていたはずである。よく考えると、国崎が見ていたと思われる上記のテレビ番組はすべてフジテレビ制作のものである。このネタこそ、フジテレビの特番でやるべきネタではないか。セットの豪華さを含めて、ダイアン津田のゴイゴイスーが更に面白くなるだろうし。

 ランジャタイ国崎の脳はカオスだというが、テレビっ子が純粋に目を輝かせてきたものを模倣し再生産している。このネタに関して、ダイアン津田の「戸惑い」が面白いと言われるが、そんな事はランジャタイ自身はそこまで考えていない。ダイアン津田が大舞台で、黒スーツで、大団円で、全力で、ひたむきにゴイゴイスーをする。その画を観たいのだ。ゴイゴイスーを真正面から面白がっている。

そして、美しき時代のテレビと幼き頃を反復するこのコントでは、国崎少年は殆ど端役を演じる。代替可能なダイアン津田という存在がいるおかげで、国崎はその夢を外からみている。

「参加しつつ観客である」というのは、いいとものグランドフィナーレのエンディングを客席で見守る出演者と被らないだろうか。ウエストランドやアルコ&ピースはなし得た、いいとも出演には間に合わなかったランジャタイがテレビに送る最大限の賛辞だ。

ということで、今日も元気にゴイゴイスーでいきましょう。


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