教育論② 教育って結局「人」だ

教育って結局【人】だなと思ったのでその瞬間を記録してきます。(最近これ多いw)

教育というとざっくりすぎなんですが、まぁ教育の話です。モノを教えるとか人を育てるとか、広い意味でもそうなんですが教育というのはなかなか難しいもので、考え始めるとキリもないです。

パッと見【良さそうな教育】というのは方法論として山ほどありますが、その先に何があるのかが曖昧で、結局【本人とか周りが喜ぶ】とか【時流に乗っていて良く見える】ってのが【良さそうな教育】の代表例です。(あまり発展性のないロボット教材とか、「Scratchなんて遊びだぜ」って言ってコーディングにこだわるプログラミング教室はオレから見るとこの類です。)

「これをやると成績が伸びる」「これを教えると〇〇ができるようになる」「こういう教え方がわかりやすい」「この教材がわかりやすい」とかいう方法論はたくさんあります。本当にたくさんあるんです。習慣・心理・脳機能・具体的なメソッド(暗記法や練習法)などなど、勉強やプログラミングに限らず、いろいろな教育・指導の現場でいろいろなことが試されて、どの分野でも王道と言えるパターンもありますし、特定の分野に特化した指導方法もあります。うたい文句もそれぞれです。

具体的な手法はもちろんそれぞれが磨きをかけていくところなのですが、大きな真理として見えていることから言うなれば「教育は人だ」ということです。

教師は模範的な人であっても、反面教師であっても、何らかの影響を生徒に及ぼします。むしろそれらが対照的に生徒の前に現れることも必要なのでどのような人がいいとかいうのは難しいものですが、人が与える影響が一番大きいというのは間違いありません。(たぶん)

厳密に言うと【環境】であろうと思いますが、その【環境】の大部分を成すのが人になるかと思います。なぜ人が与える影響が一番大きいかというのを語ろうと思ったのですが、今自分にその体力がないことに気づきました(笑)(このブログは単に思ったことをバシバシ書いてみたり、実験をしてみたり考えをまとめるために使ったりと、かなりラフな使い方をしているのでご容赦をww)
なので手短に書いて続きはまたノッたときに書きますw

一般的なところからいくと、だいたい子どもというのは模倣から学びます、つまり大人のマネをするのです。これは行動だけではなく、趣向に関してもある程度同じことが言えます。シンプルに、親がやっていることをやってみたくなったり、周りの人が楽しいと言っていることを一緒になって楽しんだりするからです。
逆に言うと模倣以外からは学びようがありません。オカルト・スピリチュアル・宗教的な考えを除けば、目の前のこと・見聞きすること以外は人間に届かないからです。
たとえば、スマホがない世界で育った子供にはスマホなんてものは興味の持ちようがありません。ジャングルで育った子供なら社会のルールではなく自然の掟を学びます。通常、自分の外側にある世界を自分の中に投影しながら自己を形成していくしかありません。

その中に子どもたちが興味を示したり、特定の人からの影響を強く受けたりするのには、きちんと見つめればいくつも要因がみつかりますが、一番めだってわかりやすいのが「楽しそうだからやってみたい」「好きな人のいうことだから信じる」の二つです。

「誰かが楽しそうにやっているから楽しいに違いない」→「一緒にやってみると楽しい(一緒に楽しめるから+刷り込みバイアス)」こういう構図がまずあります。ここでいう「楽しい」は便宜的なもので「頑張っている・いつもやっている」などと同義でとらえてください。彼らが何をやっているかは差しおいて、まずやってみるきっかけと「そこに楽しみ(報酬・動機)があるのだろう」という予想は立つからです。

二つ目は、好きな人の言うこと、というのが真理だと思いますが、わかりやすく言うと「こいつの言うことは信用できる」って思うかどうかです。加えて人から褒められるケースもここに含みます。(好きな人が褒める=その人が肯定する向きである)
基本的な価値観の構成がここにあります。子供の状態では良し悪しは判断できませんが(自然法を除く)周りが良しとするものを起点にして、自分の得る知識や経験から自分の価値観を構成します。もちろんその知識や経験もすべて周囲の環境で決定づけられます。この価値観は人間である間は常に未熟ですが、子どもなら特に判断材料が少ない状態です。

簡単に言うとこれら二つは学ぶモチベーションやきっかけです。アクティブラーニングというか、学ぶ側の本人のモチベーションは非常に絶大な効果をもっていて、どれだけ高等な教育を施したところで、本人が受け取る意識がなければ効果は半減です。本当です。強制的に机に座らせることができても、脳が潜在意識から拒否すれば、教師は心理士の類いでもない限りかれらの脳内にはアクセスできません。

端的に言うと、子どもたちの成長は周囲の環境が作りますし、その周囲の環境はまわりの大人が作るということです。物や経験を与えるというだけではなく、単純に言葉や考えかた、行動までを模倣するからです。

なので、子どもたちにとって良い教育を施すためには
子どもたちから人間的に信頼され愛される人、子どもたちが学ぶ事柄の楽しさを知り自身もそれを学び楽しむことができる人、その二つを両立した人材を教師として配置することが最も大切なことだと思うのです。

小手先の技術なんかは1~2年気合いいれて勉強すれば、だいたいどの人もある程度基礎くらいはできますし、逆にそうでないなら向いてないと判断すべきでしょう。
そんなことよりベースとなるマインドセットの理想を追求し、そのマインドセットを教師を通じて教育として子どもたちにおろしていく、これが「成績が上がった」とかいう小手先の教育ではなく、その人の人生を育てていくということではないでしょうか。
そして、教える側も投影的に自己を見つめることができ、お互いに成長できるのだと思います。(子どもが学んでいないならば大人の姿勢に問題があるということ)

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