好きなだけ優しくしていい
「こんなに優しくしていいのかな?」
「私は自分が気持ちいいと思う範囲で優しくすればいいと思うけどなー」
この言葉を聴いたとき、僕は自分のやさしさを受け容れてもらえた気がした。
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僕は長年これに悩んできた。本当は際限なく優しくできるんだけど、そんなことをして本当にいいのだろうか。少し非情になるべきなんじゃないだろうか、って。
シェアハウスに住んでいると、自分以外の人のお皿を洗うこともある。大勢で食べたときは、ある程度洗ったら、別の人と交代という暗黙のルールみたいなものがあって、それでうまく回ってる。だけど、正直にいうと、僕は交代しなくてもいい。ずっと洗い続けていられる。
洗い続けても損をする気がしないのだ。フラットな感情で洗い続けられる。
だけど、こんなに優しくするのは変なんじゃないかなという思いが段々と湧いてくる。そうなると、恥ずかしく、照れくさくなってきて、途中でやめたたい気持ちに駆られる。洗い物も中途半端に「代わって」と誰かにお願いをしてしまう。その度に軽い自己嫌悪を抱いていた。
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過去にも同じことで悩んでいて「優しくする・しない」の葛藤をアクセルとブレーキに例えていた。
ブレーキのほとんどは自分の人生に関係のない誰かを気にしてしまい、踏んでいる。
(記事より引用)
そして、それが他人の目を気にしているからだということに気づいていたけど、今となってはすっかり忘れていた。
それを改めて思い出させてくれたのがこの言葉。
「私は自分が気持ちいいと思う範囲で優しくすればいいと思うけどなー」
とてもシンプルなことなんだけど、気づいてなかった。
他人にどう思われるかを意識しすぎていたみたい。自分の優しさなんだから、自分が思うように使えばいいはずなのに。
この言葉に、救われた。
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優しくしたいと思う人には優しくしたらいい。
余裕がないときは、優しくしなくていい。
好きな人には思いっきり優しくしていい。
これが「愛情を表現する」ってことなのかも。
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