北海道考古文化の連続性(瀬川拓郎抜き書き)

 《平地住居(チセ)、砦状の遺構(チャシ)、金属製品とガラス玉を組み合わせた女性の首飾り(タマサイ)、鉄鍋や漆器椀など、近世アイヌに特徴的な文化はおもに中世に出現した。そのため中近世の考古学的な文化は「アイヌ文化」と呼ばれる。考古学的文化に民族名を冠することには問題があり、そのため私は「ニブタニ文化」と呼び変えることを提唱しているが、いずれにせよ「アイヌ文化」はそれ以前の考古学的文化と大きく異なるものであり、そのため考古学の研究者は、アイヌという集団の存在を中世以前に遡らせることには慎重であった。

 しかし、北海道の考古学的文化は連続的に変化しながら「アイヌ文化」へ移行したことが明らかになってきた。つまり縄文時代以降、北海道では続縄文文化(弥生・古墳時代)、擦文文化(奈良・平安時代)、「アイヌ文化」(鎌倉時代以降)へ遷移したが、この間に断絶は認められない。また続縄文ー擦文時代には異民族集団のオホーツク人がサハリンから道北・道東へ南下し、様々な影響を及ぼしていたものの、ヒトの入れ替わりはなかったと考えらえている。》
※瀬川拓郎『アイヌ文化と縄文文化に関係はあるか』(北條芳隆編『考古学講義』筑摩書房2019年所収)より。

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