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「残念で貧しいインターネットとアートの関係」はもう見たくない

今日は初めてTwitter社にお邪魔した。普段はご挨拶する機会の少ない、いろんな美術館・博物館関係の方にお会い出来て貴重な機会だったものの、実は内心始終イラついていたかもしれない。

Twitterのワールドワイドなキャンペーンの #ミュージアムウィーク に参加した/しようとしていた館の担当者が多かったわけだけど、「こんなツイートやハッシュタグは反響がありました〜」とTwitterの担当の方が仰っていた。

だが前提として、そもそも広報担当者のSNSスキルのレベルは様々だ。さらに言えば、名刺を切らすほど話を伺ったところで、上長に当たる方のリテラシーは優れたものにはとても聞こえなかった。
当のTABは現在フォロワー数は16万を越え、Klout値は70近く、普段広告主の方々にこのダントツぷりを豪語すること自体はなんのてらいもない。今日いらした方々の中では恐らく数は一番多く、高い影響力だろう。広告として利用したいと申し出てくださる方も多くてありがたい。
とは言え、美術館のみなさんにはこの数字に何の意味がある? と問いたい。6年近く1人で運営した経験から言えば、単なるフォロワー数はむしろどうでもいい。問題はそのつぶやきひとつひとつが、誰にどう影響したか、その人たちの行動を、思考を、どう変えたか、だ。(Takさんの仰った「中の人の声を出す」こと、都美館の山崎さんの仰る「美術館よりアイドルがTwitterでは重宝されるなんて」の危機感はどこも共有すべきことでもある。)

RT数での一喜一憂? フォロワー数が3万越えました? 税金や財団の運営費の一部を費やし、SNSにつぎ込んだ確認の手間で、ほんとうにフォロワーの皆々様は館に足を運んでいるんですか?
バイトで日銭を稼いで自前のスペースで地道に集客して、ネットワークをつないだアーティストより、ソーシャルキャピタルが高いと言えるんですか?
マーケティングもブランディングの概念もない畑に、急にSNSを持ち込んでも土壌が痩せるだけ。そもそも育てる気概がどこにある。このままだと乱立するバイラルメディアで焼き畑農業をされるだけされて、インターネットには何も実らない、残らない。今更身内をハッシュタグでまとめてどうする。5年前からできたことでしょう? 世界に自慢できる収蔵品があるなら、Instagramで言語の垣根を越えればいい。館内撮影もいい加減認めればいい。ミューぽんへの参加を渋る美術館の多くも、実は大して合理的な根拠はない。

インターネット20年。千年単位のモノと価値を扱う方々が何を手間取ろうか。
素直に言えば、ただただ、これ以上、「残念で貧しいインターネットとアートの関係」を見たくないのだ。

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