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静岡ブレードランニングクリニックイベントレポートvol.2

静岡県で開催予定だったブレードランニングクリニックの代わりに、健常者障害者関係なく「走ること」を熱く語り合ったイベントのレポート。
今回は第2回です!

※vol.1はこちら


※アーカイブ動画はこちらからご覧になれます↓

走ることと筋トレの割合

司会:競技やっている方って、走ることを主にやっていると思っていたのですが、みなさんの話を聞いて筋トレが大事なんだと感じました。ちなみに走ることと筋トレの割合ってどんな感じなんですか。

高瀬:中学校の頃は長距離をやっていて、中1の時は学校の周りを走ってました。中2、3の頃から陸上競技マガジンなどの専門誌を見て、それを真似して練習をしたりとかして。本格的な筋力トレーニング、走る以外のトレーニングをし始めたのは大学2年生くらい。この辺りから記録がぐんと伸びました。これまでは走る練習しかしてこなくて。走るだけの練習だと限界もありますし、自分の理想としている走りに近づくためにはしっかりした土台がないといけない。その土台を作るための練習ということで、だいたい1日の中だと3時間くらい走る練習。そのあと午後に1時間半から2時間くらい筋力トレーニングというサイクルで練習をしてましたね。

高瀬慧さん

(▲異色のキャリアの高瀬さんの発言に全員が興味津々でした)

池田:自分は1日3時間練習するときには、ランニングは2時間くらい。あとの1時間は補強、ウェイトトレーニングなど。ただそのランニングメニューの前にも、筋肉に刺激を与えるためにちょっとした補強トレーニングは入れて走ったりするので、ちょっとランメニューの方が多くなってしまうんですけど、筋力トレーニングの時間はしっかりとってやっています。 

コロナ禍での義足ユーザーの練習

司会:今コロナで走って練習できないという義足のユーザーさんを知っているので、自宅でできる筋トレなどでオススメを教えていただきたいです。

大西:自宅であれば重いもの、例えばお米10kgとかを担いでスクワットするとか、お子さんがいればお子さんを担いでやるとか。大きな筋肉って負荷が高くないとなかなか入りずらいので「ちょっと重いかも」くらいの方がいいんじゃないかと思います。あとは神社の階段とかをひたすら登ったりとか。


山本:普通に道路走ったらいいのかと。競技場じゃないと走っちゃいけないわけではないし。僕自身も坂道ダッシュするときって、道路の坂道使う。この角度の道路いいな、と思ったら、そこを坂道ダッシュに使ったり。登りだったり下りだったりやりますよ。

佐藤:篤さん下りやるんですか?

山本:やりますよ。軽く下っているところ。

佐藤:大腿(義足の方)って難しそうだと思ったんですけど。

山本:全然。家の前の坂道がちょうど登りも下りも適してる。そこの歩道で全開で走ってる。人通りの少ないところで走るのはありなんじゃないかと。

何歳から筋トレを始めればよいか

山本:高瀬選手に聞きたいんだけど、いつくらいから筋トレを始めればいいと思います?大学2年から始めたって言ってたけど僕もそれくらいがいいと思う。小さい頃からやりすぎちゃうと伸びしろを減らしちゃってると思うので。ある程度走れてきて頭打ちになった時に、新しいことの1つとして筋力トレーニングとか変えてやるのがいいのかなと思うのですが、どう思いますか。

高瀬:僕自身も中学・高校と筋力トレーニングをあまりやってこなかったので、伸びしろを残すという点では遅い時期からでいいと思うのですけど…でも中学・高校生でも自重のトレーニングだったらやってもいいのかなと。自分の体を支えるという意味ではやった方がいいのかな。例えば鉄棒とかすごくいいんじゃないかな。懸垂逆上がりしたりとか。自分の体を操れるくらいの筋力というか体の使い方というのは、していくと後々にも生きてくると思いますし。僕はずっと伸びしろのことを考えながらしていたので、そういう重いものを持って、という練習は大学生あたりでもいいのかと思います。

全体写真

(▲皆さん1つ1つに真剣に、わかりやすい言葉で答えて下さいました)

大西:懸垂逆上がりはめちゃくちゃ大事で。自重で引いて、腕をひききる。そこから足をもってくるので体幹トレーニングにもなるし手っ取り早いです。是非皆さんやってください!

池田:僕は一般の健常者と同じ高校に行って陸上部で活動していたのですが、ウェイトトレーニングはほとんどやっていなかったです。基本的に高瀬さんが言った通り自重のトレーニングですね。片手でも支えてもらって逆立ちとかはできるのでやってました。小学生のときは跳び箱とか全然片手で飛べましたし。自分の体重を支えるって話を聞いていて確かに大事だと思いました。

憧れの選手

司会:みなさんの憧れの選手をお聞きしてみたいです。

小須田選手(以下小須田):やっぱり山本篤選手ですね。

山本:僕は鈴木徹選手に憧れて。あんな風になりたいと思ってパラリンピック目指しましたね。2歳年上の鈴木徹選手が(健常者と一緒の)大学にいって競技をしているのを見て、僕も筑波行きたいと思いました。

池田:僕は競技始めたきっかけが山本選手で。山本選手の写真と当時の記録が自分の行っていた義足製作所にあって。正直、今だから言えるんですけど「あ、勝てるな」って思ってたんです(笑)当時パラリンピックも知らなかったしマイナースポーツだったから、自分のように障害を持って体を動かせる人って数が少ないんだろうな、と考えた時に勝てるなと思ったんですけど。1番最初に高2の夏に山本選手と一緒に走らせてもらったときがあって…ボッコボコに負けて。それがめちゃくちゃ悔しくて、陸上競技で勝ちたいという気持ちになりました。それで今も走り続けています。
小学校は野球とサッカー、中学はバスケットボールをやって、中3のときにバスケットボールの最中に義足を壊してしまって、そこで篤さんの写真を見て。高校から陸上競技部に所属して走ろうと決めて。

司会:その走り始めの時でも山本選手と走る機会があったのですか?

池田:たまたま高校の先生がパラ陸上の登録とかお手伝いしてくれて、高2の時に山本選手と一緒のレースに出させていただきました。

司会:今走る練習をしている人からしたら、とっても羨ましいことですね。

池田:そうですね、でも自分も1年間はパラ陸上の大会には出られなかったんです。手続きなどが当時は難しくて分からなかったから、なかなか進めなかったんですけど、今はそういった部分もサポートしてくれる体制が整っているので、きっかけはたくさんあるのではないかと思います。

佐藤:僕は憧れの選手というか「この選手すげーな」って思ったのが、アメリカのリチャードブラウンという選手です。2015年にドーハで一緒に走ったんですけどもう本当に体が完成されていて。本当にこいつにはかなわないなというのを唯一感じた選手ですね。他のオリンピックチャンピオン、パラリンピックチャンピオンにはそんな風には感じなかったんですけど、彼には「こいつは本当にヤバい」と感じました。高瀬さんはそういう「こいつにはかなわない」と思った人はいますか?

(▲佐藤選手が一緒に走ったリチャードブラウン選手)

高瀬:僕は憧れの選手が同じ大学の高平さんだったんで、同じ富士通の先輩の。それを高平さんに僕が引退した時に話したら「お前は俺を目標にしていたから活躍できなかったんだよ」って言われて(笑)
一番印象に残っている選手は合宿とかで一緒だったこともあるジャスティンガトリン選手。ずっと長く競技を続けていて2004年のアテネからずっと活躍している選手で、2013年に一緒にトレーニングさせていただいたんです。海外の選手って体もすごいし走るのも僕から見たら才能が違うんだろうなと思いながら一緒に合宿させてもらっていたんですけど。その時にすごく節制をしていたんですよね、食事から時間の取り方だったり、生活に対して。海外で活躍している選手でも、それくらい色んな所で我慢したりしながら競技生活しているんだというのを見た時にハッとして「この選手みたいになりたい」と思いました。

佐藤:そういう圧倒される選手って、競技していると絶対出てきますよね。

大西:僕は長く陸上界にいて、パラもそうなんですけど色んな選手を見させてもらって、すごいなって思う選手はたくさんいるんですけど、今すごいなって思う選手は桐生選手です。桐生選手って高校2年生くらいのときに活躍し始めて、2013年に高校記録を出して、そこからずっと代表に入り続けているんですね。高校生からあのレベル…しかも今100mってレベルが高くて、去年の東京オリンピック選考会の日本選手権でも、アップ場で物音一つ立てたら全員そっちに視点が行っちゃうくらいぴりついていて異様な空気の中で、これだけ代表になり続けている。本当にすごい選手だなって、記録以上のすごさだなと感じます。もちろん高瀬選手もそうなんですけど、トップで競技をするっていうことの精神的なすり減り方っていうのは本当にすごいなって思いますね。

vol.3へ続く



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