ドラマ版『パリピ孔明』第3話を観たので、三国志について語りたい


今回も『パリピ孔明』第3話の中で三国志ネタを感じた部分を挙げていきたいと思います。
第2話までの元ネタ列挙で出てきた部分はそちらを参照していただければと思います。
年号に関しては該当項目のwikipediaなどで調べていますが、元ネタエピソードなどはわりと記憶とノリで書いていますので、詳細の齟齬はご容赦いただくか、コメントなどでご指摘ください。

第3話に出てきた三国志ネタ

横山光輝版「三国志」

第2話でオーナー小林が持っていた漫画が再登場です。このサイズの場合、全60巻。
文庫本サイズだと全30巻です。

「かつて周という国の基礎を作った文王という人物」

周は、孔明がかつて生きた三国時代より1200年ほど前に中国で成立した王朝です。
文王は、周を建国した武王の父です。武王が周を建国した時にはすでに死去してましたが、それまでに周の基礎を気付いた人物でした。

「その文王が太公望を訪ねた際、太公望は釣りをしていて・・・」

太公望は、文王や武王に仕え、周の建国に大きな貢献をした人物です。

「三国志演義」の孔明の言動において、文王や太公望を引き合いに出すエピソードは思い至りませんが、ともに君主に礼を尽くされた上で出仕し(劉備と孔明の場合は「三顧の礼」)、君主の建国に尽力した(劉備は孔明の貢献もあり、蜀を建国し皇帝となりました)という共通点を見出すことができるかもしれません。

「蒼天は円蓋、陸地は棋局~」

コインランドリーにて孔明が歌ったお経のようなラップです。
これは「三国志演義」において、劉備が孔明の庵を訪れた際(「三顧の礼」)、近所の農夫が歌っていた孔明作の歌の歌詞が元ネタになっています。
ちなみに、劉備軍の軍師の前任者である徐庶も大変有能だったのですが、登用される前に劉備の気を引くために謎かけのような歌を歌っており、その前ふりもあって劉備は「孔明はたいそう有能な人なのだろう」と会う前から期待感爆上げになっていました。

「南陽に隠君あり、東京渋谷にKABEあり」

「南陽に隠君あり」の部分は、上述の農夫の歌の一節です。
南陽は当時孔明の庵があった場所。隠君は当然孔明のことを指しています。※何度も言いますが、孔明が作って歌わせている歌です。
コインランドリーの孔明は、かつての自分と目の前のKABEを並列に扱うことで、KABEの才能を高く評価していることを表しているのかもしれません。

「本物の孔明も、馬超を味方に引き入れるのになかなか苦労した」

馬超は、劉備軍の五虎大将軍に数えられる猛将です。
かつて劉備は蜀の地を得るため劉璋の居城である成都を攻めましたが、その背後を張魯配下の馬超に攻められる窮地に陥ってしまいました。
この時、孔明は張魯配下の楊松を利用し、馬超が張魯を裏切ろうとしていると張魯に思い込ませ、馬超を孤立させ劉備に寝返らせて難を逃れました。
劉璋は張魯に頼み馬超に劉備の背後を攻めさせたものの、結果馬超が劉備に降ってしまったため、成都防衛は困難になってしまい、劉璋もまた劉備に降伏することになったのでした。

兵法三十六計 第十五の計「調虎離山」

第2話に続いて登場の兵法三十六計です。
虎を山から離す、すなわちオーナー小林の言う通り「敵を本拠地から誘い出し、味方に有利な地形で戦う」ということです。

赤兎馬カンフー

六本木のクラブに現れたラッパーの名前です。
赤兎馬とは「1日に千里を駆ける」と言われた三国志随一の名馬です。
当時の千里は現在の約400㎞ですが、長距離を表す慣用句としての「千里」かもしれません。
赤兎馬はもともと董卓が所有していましたが、丁原から寝返らせるために呂布に送られました。
呂布は三国志最強とも言われる武将で、「人中の呂布、馬中の赤兎」と言われるほど、呂布も赤兎馬も傑出した存在でした。

赤兎馬から呂布を連想するのは容易いため、著名なラッパーである呂布カルマ氏を連想させる名付けと言えそうです。

「我が主君劉玄徳公にも頼もしい仲間がおりました」

孔明はもちろんのこと、これまでの元ネタ列挙でも登場した関羽、張飛、趙雲、馬超、馬謖など、多彩な人材が劉備の周囲にはいました。これからの元ネタ列挙でも新たな名前が出てくることでしょう。
なお、"大手事務所"こと魏軍(曹操軍)は、劉備軍とは比較にならないほどの規模の人材の宝庫です。国土の規模の差ももちろんありますが、劉備が40を過ぎてようやく軍師の必要性を認識し孔明に三顧の礼を尽くすはるか前から、人材集めに力を入れていたのが曹操で、有能ならば人格に多少問題があろうと構わないと言うほどの人材コレクターでした。

KABE太人の行き先を先回り

赤兎馬カンフーに自宅を強襲され外に逃げ出したKABE太人ですが、行く先々のトイレが封鎖されており、BBラウンジへと誘導されてしまいます。
封鎖されたトイレに必ず孔明がいることから、これらは孔明の策であるのですが、「三国志演義」においても、孔明は敵の行く先に先回りして兵を伏せているシーンがあります。
第2話までにも出てきた「赤壁の戦い」において、孫権軍の奇襲が成功し曹操軍の水軍が壊滅状態になった後、曹操と側近武将たちは本拠地許昌への逃避行をするわけですが、その行く先々に孔明の指示により劉備軍の伏兵が配置されていました。
横山光輝版「三国志」においては、逃げる先々で曹操が「わしならここに伏兵を置く」と言うたびに趙雲、張飛といった劉備軍の武将の伏兵が登場するフラグ建築士っぷりが楽しめます。
また、劉備軍の伏兵の最後に関羽が登場するのですが、ネットミームでお馴染みの「げえっ関羽」の名台詞が見られるのもこのシーンです。

「典韋と許褚の一騎打ち」

典韋も許褚も曹操配下の武将で、「三国志演義」においては両者とも曹操のボディーガード的な役割を果たした人物です。まだ農夫だった頃の許褚がひょんなことから典韋と一騎打ちを始め、互角の勝負を繰り広げたため、曹操が許褚の登用を決断したという逸話があります。

「三国時代のレジェンダリー論破オバケ」

「三国志演義」において、軍師や文官同士の論戦はいくつもありますが、孔明もまた論戦で論破しまくったシーンがあります。
何度も出てきている「赤壁の戦い」開戦前夜。孫権軍は曹操軍と戦うか降伏するかで配下が二分されていました。そこに現れた孔明は、孫権軍と劉備軍の同盟と曹操軍との開戦を目標に、孫権軍の降伏派の文官との論戦を繰り広げました。
直前に曹操軍にぼこぼこにされた劉備軍と孫権軍がわざわざ同盟を結ぶ意義、漢の皇帝を擁する曹操と戦う大義、軍事規模が強大な曹操軍に勝つあてはあるのか、劉備の出自や身分についてなど、正論も詭弁も全て論破しつくした孔明は、そのまま孫権の前でも演説をぶちかまし、孫権軍と劉備軍の同盟締結、そして曹操軍との開戦へと貢献したのでした。

バイクで登場する孔明

「三国志演義」において、戦場の孔明が乗っていたとされるのが四輪車です。
さすがにモーター駆動ではなく、人が押していたようです。
今回のバイクでの登場シーンや、各話のオープニング映像の車に乗っている映像は、この四輪車に乗っている描写をイメージしたものかもしれません。

おわりに

第3話を最初観た時は、意外と三国志ネタ少ないかなと思ったのですが、列挙してみたらいつも通りという感じでした。三国志ネタの密度が濃いところと薄いところがはっきりしていたため、そう感じたのかもしれません。
次回予告を見た感じだと、第4話は三国志ネタがめっちゃ詰まっていそうで今から楽しみです。
また記事にしたいと思います。

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