ドラマ版『パリピ孔明』最終話を観たのに記事を書くのをすっかり忘れていたので、覚えている範囲で三国志ネタのメモを残す


今回も『パリピ孔明』最終話(第10話)の中で三国志ネタを感じた部分を挙げていきたいと思いますが、9話まではTVerで1回観た後、再度TVerを再生しながら記事を書いていたのですが、今回は1回観ただけで記事を書き忘れTVer再生期間が終了したため、そのまま放っていました。
とはいえ、最終回だけ記事にしないのもどうかと思うので、年末を機に記憶を遡ってメモだけでもしておこうと思います。いつか普段利用しているサブスクに解禁されたら清書するかもしれません。
第9話までの元ネタ列挙で出てきた部分はそちらを参照していただければと思います。
年号に関しては該当項目のwikipediaなどで調べていますが、元ネタエピソードなどはわりと記憶とノリで書いていますので、詳細の齟齬はご容赦いただくか、コメントなどでご指摘ください。

最終話(第10話)に出てきた元ネタ

関羽の「五関突破」

正確な言い回しは忘れましたが、英子をフェス会場まで送ろうとするも行く手を阻まれたオーナー小林が孔明に状況を説明した際に出てきたエピソードです。
三国志演義において、関羽が一時的に曹操の元を去り劉備の所へ向かう際に5つの関所で行く手を阻まれたことが元ネタです。関羽は関所のトップを斬ることで突破しましたが、オーナー小林はさすがにそうはいかず、立ち往生することになりました。

「お前は張遼かと思ったが、趙雲だったか」

立ち往生した英子をバイクで迎えに来たミア西表に対して言ったオーナー小林のセリフです。
張遼は曹操配下の猛将ですが、その前は呂布についていました。呂布が捕まり処刑された際、張遼も同時に捕らえられましたが、臨席していた劉備の部下関羽の助命により処刑を免れ、曹操の配下となりました。
張遼はその恩を感じ、関羽が曹操軍に包囲された際に一時的に曹操配下になるよう説得しました。上述のように関羽は曹操の元を離れるため、張遼と関羽は敵味方に別れましたが、友情とも尊敬とも言える関係性が描かれることが多いです。オーナー小林はこの関係性を英子とミアに重ねていたのかもしれません。
趙雲は劉備の配下ですが、このシーンでオーナー小林がミアを趙雲に例えたのは、劉備軍が曹操軍に追われて壊滅状態になった長坂の戦いにおいて、曹操軍の中に取り残された劉備の妻と子供を趙雲が単騎で救助したエピソードを意識したものと思われます。

「あとを頼んだ」

英子をバイクの後部座席に乗せたミアの背中に向けてオーナー小林がつぶやいた一言です。
普通に聞くと、「後を頼んだ」、ここまで送ってきたオーナー小林の後をミアに託した一言なのですが、ここでは「阿斗を頼んだ」と変換することができます。
上述の通りミアを趙雲に例えたオーナー小林ですが、趙雲が助けた劉備の子供が阿斗(のちの蜀の二代皇帝劉禅)だったため、このような言い回しになっています。

「お前は母を人質に取られた徐庶か」

元の時代に帰るかもしれない中で煮え切らない態度をとる孔明に対してオーナー小林が言った言葉です。
徐庶は孔明の前に劉備の元で軍師をしていた人物です。
それまで曹操軍に対して連戦連敗だった劉備軍ですが、徐庶の加入により小規模な戦闘ですが勝つことができました。曹操軍側は劉備軍らしくない戦い方に違和感を覚え、調査の結果徐庶が配下に加わったことを突き止め、徐庶の母を人質にとり徐庶に曹操軍の配下に着くよう強要しました。徐庶は迷った末に曹操軍の下へ向かうことになりましたが、最後に劉備に対して孔明の存在を告げたのでした。

覚えているのは以上です。おわり。

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