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自給自足は貧困の表徴であることの考察を電車の中で音声入力してみた

突然だが、あなたは今からウシだ。1日にすることを考えてみて欲しい。

1日にすることは基本的に4つしかない。眠り、食べ、捕食されるのを避け、ウシ付き合い(縄張りに匂いの跡を残す、異性の仲間を追う、仔牛を育てる)をする。それ以外のことをする必要はあまりない、と、ウシ行動心理学入門の僕は考えている(ウシガチ勢憤激不可避)。

🤤🤤🤤

では僕のような人間はどうだろう。

基本的なものだけを数えても、4つどころではない。眠り、食べ、料理をし、衣服を身につけ、家事をし、出かけ 、入浴し、買い物をし、組織をし、SEOと感染の対策をし、インドアでFPSに明け暮れる...と挙げていくときりがない。

なるほどウシは毎日がバトルロワイヤルなので、PUBGやApexのような複雑なゲームコントロールにはいささかの価値も感じないだろうが、ウシには人間より多くの自由時間があるはず。なのに、モノを読んだり、書いたり、発明したり、歌を歌ったり、Tinderで延々と右スワイプ(like)をするだけの十分な時間を見つけられるのはウシではなく人間だ。

このような自由時間はどこから来るのか。僕は、それは交換と専門化から、それとその帰結である分業から得られるものと考える。ウシは自分の食べ物は自分で集めなければならないが、その間、他人ならぬ他ウシのために何かができる。そうすることによって双方が時間を獲得できる。

したがって、自給自足は繁栄につながらない、貧困や文明の抑圧に繋がる。下記では、当該貧困について考えてみる。

ヘンリー・デイヴィッド・ソローはこう尋ねた。
「ひと月でどちらの方が先に進んでいるだろう。必要なだけ本を読みながら鉄鉱石を掘り出して精錬し、ジャックナイフを作った少年か、それとも教育機関で冶金学の講義に出席し、父親からロジャースのペンナイフをもらった少年か。-『Walden:or, the Life in the Wood』」

後者のほうがずっと先へ進んでいる。

なぜなら、彼の方が他のことを学ぶ時間がはるかに多くあるからだ。実際に完全に自給自足するしかなかったらどうなるか想像してほしい。来る日も来る日も、必要とするものを専ら自分の資源から調達しなければならない。あなたなら1日をどのように過ごすだろうか。最優先に考えるのは、衣食住と燃料の4つか。

畑を耕し、豚に餌をやり、小川で水を汲み、森で薪を集め、ジャガイモを洗い、マッチを使わずに火を起こし、昼食を料理し、屋根を直し、綺麗なシダの葉を取ってきて寝床に敷き、針を作り、糸を紡ぎ、革を縫って靴にし、小川で体を洗い、粘土で壺を作り、鶏を捕まえて、料理をして夕食にする。

ロウソクもなければ読む本もない。金属を精錬したり石油を掘削したり、旅行したりする暇もない。インスタ映えする人気カフェに呑気に並んでいる時間もない。

生きていくのがやっとなのは明らかなはずで、現代の都会人からすれば喧騒の日常から抜け出せてなんて素晴らしいことか、と思うかもしれないが、率直に言って、数日もするとこの暮らしは不快極まりないものとなる。

時間はどうあがいても捻出できないので、自分の暮らしに最低限の改善をもたらそうとするなら、自分の日課の一部を誰か別の人にやってもらう必要がある。

というわけで、自分の生活水準を上げるひとつの方法は、誰かの生活水準を下げること、奴隷を買うこと。何千年もの間、人々はそうして富を築いてきた。

だけど、僕たち人類は今日、奴隷を持っていないけれど、朝ベッドから起き出した時に、Amazon(いつもありがとうございます)やUberEats(いつもありがとうございます)などが食料や衣服や燃料をとても便利な形で提供してくれるだろうということが分かっている。

あなたの賃金が人並みなら、数10分か働けば食品が、さらに数10分か働けば必要な服を新たに買う代金が、おそらく1時間働けば1日ぶんのガソリン代や光熱費が稼げる。屋根の下で暮らせるだけの家賃やローンの返済金を手に入れるためには、もっと長く働かなければならないかもしれないが、お昼時までには、その日の衣食住と燃料代の心配がなくなり、安息できる。

今度は何か面白いもののために働ける。Netflixの月額料金、携帯料金、休暇のための貯金、趣味のためのお金、所得税...。ミルの言葉を借りるなら、「生産するというのは生産者が消費したいということだ-『経済学原理』(岩波文庫) 」っといったことろ。

ちなみに僕はNetflixで、シリーズ男はつらいよとガンダムくらいしか視聴していないが、内容を暗記するくらいまでには視聴を繰り返している。

2009年、 トーマス・スウェイツという芸術家が、店で4ポンド出せば買える類のトースターを自力で作りにかかった。必要な原料は鉄と銅、ニッケル、プラスチック、雲母だけ。

雲母

だがやってみるとそれすら手に入れるのはほぼ不可能だった。

鉄は鉄鉱石から生産するのだが、鉄鉱石はおそらく掘り出すにしても、マシンなしに十分な温度に達するような溶鉱炉は作れない。(ちなみに彼はズルをして電子レンジを使ったそう。)
プラスチックは石油から作られるが、石油は自分で手軽に掘ることができない。ましてや 一人で精製することなど不可能だ。他の原料についても同様。

それ以上に問題だったのはこのプロジェクトには何ヶ月もの期間と多額の費用がかかり、しかも粗悪な物しかできなかったという点。

一方、4ポンドのトースターを買うのであれば最低賃金で働いても1時間もかからない。スウェイツにしてみれば、絶望的なほど、自給自足がいかに自分に不適合かが明らかになった。

太陽王ルイ14世は、毎晩一人で晩餐を取った。

なんと、498人がかりで準備される40の料理が、金や銀の皿で配膳され、選んで食べることができた。これは主にサービスという形で提供される。他の人々の労働を消費したからだ。 当時フランスの平均的家族は自ら食事を用意して食べ、合わせて宮殿にいる王の召使いを支えるための税金も支払った。

だから、ルイ14世は他の人が貧しかったために裕福であったという結論を禁じ得ない。

だが今日はどうだろう。

例えばあなたが35歳の女性で、職を持った夫と二人の子供とともに東京に住んでいて、平均的な賃金を得ていたとしよう。あなたは少しも貧しくないが相対的に言えばルイ14世とは比べ物にならないほど貧しい。

王様は世界一豊かな都市きっての金持ちだったのに対して、あなたは召使いも雇っていなければ宮殿も馬車も王国も持っていない。スーパーカーに乗って「御スーパー」に寄って、食材を4人分買いながら、ルイ14世みたいな宮殿でスーパーマンを鑑賞するという生活に、混雑した山手線に揺られる職場からの家路で憧れているかもしれない。

そして、スーパーに入ったあなたを迎えてくれる商品の豊かさを前にして、ルイ14世が食べたことのあるどんな晩餐もすっかり影が薄くなってしまう(しかも衛生的)。

生鮮食品、冷凍食品、燻製、チキン、魚、エビ、卵、じゃがいも、あなたの家にお抱えのシェフがいなくても、近所に何十件もある居酒屋・レストランや、イタリア料理、中国料理、日本料理、韓国料理の中から思うままに選んで出かけられる。

そこでは腕利きのシェフ達が待ち受けされていて、わずかな時間であなたに料理を出してくれる。Amazon を使えば AからZまで、「ア(a)」から「ン(n)」までほぼ無限の商品の中から選んで直ちに注文できる。

あなたは馬車を持っていないが、UberやJapanTaxiを使える。チケットを買えば格安航空会社の熟練パイロットの操縦で何百という都市に飛ぶことができる。

ここから考えるに、あなたは他人の労働や資源を消費しているだけでなく、他人の発明も消費している。

無数の起業家と科学者の叡智は、あなたが恩恵を受けているサービスやプロダクトに今も具現化されている。もし近い将来SpaceXが利用可能になるとしたら、あなたは自分の召使いとしてイーロンマスクの名前を上げることすらできる。なぜなら彼が生きていようと死んでいようと、あなたは彼の労働の恩恵にも与っているから。

498人の召使いよりもずっと多くの人を意のままにできるということ。それらの人々は他の大勢の人のためにも働いているのだけれど、あなたにしてみれば何の違いがあるか。これこそ交換と専門化が人類にもたらした魔法の力〜。

アダム・スミスは「文明社会においては....個人は常に膨大な数の人の協力と援助を必要とするにもかかわらず、一生かけてもかろうじて数人の知己を得るのが精一杯だ-『国富論』」と言っている。

知識は、集中されたり統合されたりした形では決して存在せず、多数の個人がバラバラに持つ、不完全でしばしば相矛盾する知識という分散した断片としてのみ存在する。

完璧であれば、それ以上は無い。そこに創造の余地は無く、それは知恵も才能も立ち入る隙がないと言う事だ。-涅マユリ

こうしたことの意義は、再びアダムスミスの言葉を借りると、「より少ない労働でより多くの仕事を生み出すこと」にある。

考えてみると面白いが、これだけ様々なサービスの見返りとしてあなたが生み出すものはひとつしかない。

つまり、あなたは数え切れないほどの人の労働や研究の成果を消費する一方で、なんであれ自分の職場でひとつの商品やサービスを生み出している。それは理髪だったりボールペンだったりSEO対策のツールだったり、戦略のアドバイスということもある。

だが、あなたのために働いている大勢の人の一人も、また同じように単調に仕事をしており、それぞれがひとつのものを生み出している。それが仕事という言葉の意味するところ、つまりあなたが労働時間を注ぎ込む単純化された単一的生産だ。

フリーランスで短編小説を書きながら脳神経科学を研究していたり、戦コン会社の重役を務めながら写真家もしていたりという具合に、複数の仕事で稼いでいる人でさえ2-3の兼業がせいぜい(そうじゃない人↓もいるけどそれはレアリティが高い)だが、彼らもそれぞれ何百何千というものを消費する。

これが現代生活の特徴であり高い生活水準の定義そのもの。

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多様な消費と単純化された生産、一つのものを作り、多くのものを使うこれとは対照的に、自給自足の農家あるいはそこで働いている自給自足の小作農や、その先駆けである狩猟採集民は多様な生産と単純な消費を特徴とする。

自分の食料、住まい、衣服、娯楽など、彼らはひとつのものだけでなく多数のモノを生産する。自分の生産したものだけを消費するので大して消費できない。

宮崎駿の映画とも、Louis Vuittonの靴とも無縁な彼らは、それぞれが自分独自のブランドなのかもしれない。

今度、水道の栓をひねる時に想像してほしい。

利根川や荒川まで数キロ歩いて水を汲みに歩かなければいけない。バケツの中に人体に影響のある菌まで汲み上げなかったことを願い、それから何リットルの水を持ち帰り、その水で一家が丸1日過ごさなければならない。

毎日、Googleカレンダーのどこかに「水汲み at利根川」。ええ、これは暮らしを良くする要因を突き止めなければいけない。

その要因とは、生きていくための重労働を、市場や機械や他の人の助けを借りて楽にすること他ならない。

あなたが自分の住む町の最寄りの川から、ただで水を汲んでくるのを妨げるものはおそらく何一つないが、あなたは自分の収入の一部を払って蛇口からきれいな水を手軽に得ることを選ぶでしょう。?

つまり貧しいとはその対極のように感じる。

自分の必要とするサービスを買えるだけの値段で、自分の時間を売れなければ貧しく、必要とするサービスだけでなく望むサービスまで手に入れる余裕があれば豊かと。

これまでずっと繁栄や成長は自給自足から交易的相互依存への移行と同義語だったが、それは人類を、骨が折れて大変で、多様な生産の次元から、専門化した生産の爆発的増加によって賄われる、楽で早くて多様な商品の次元へと変えること。

専門家によって知識が次第に積み重ねられ、そのお陰で僕たち一人ひとりが生産するモノの種類を次第に減らしながら、次第に多くの種類のものを消費できるようになる、これが人間の歴史の中心をなす物語なんじゃないかと思う。

イノベーションは世界を変えるが、それはイノベーションが労働の分割を進めるのを助け、時間の分割を促すからに他ならず、交換の普及と専門化と、それが引き起こした時間の創造が、歴史の1テーマではないかと。

もし繁栄とは交換と専門化であるなら、この人間特有の習慣はいつ始まったのか知りたい。

さて、表題だが、この文章はGoogleドキュメントの音声入力を介して入力されている。残念ながら音声による句読点の入力はできないが、英語ではピリオドやカンマ、改行が標準のファンクションとして実装されている。

実は、最近埼玉県のクリニックをM&Aした。
一部のオペレーションをとったり学んだり、ただでさえこの時期に体力のないクリニックの成長曲線を、スタッフと視座を合わせいかに健康な状態にするのかという課題をクリアすべく、埼玉県まで電車で向かう機会が増えた。

「アイデアの量は移動時間に比例する」という定説がある。割と僕はこれを実感している方で、今までは読書をしたり仕事をしたりしていたけど、最近は電車の中で考えたいテーマを作っておいて、それを都度考えている。

乗車時間にして約1時間が、純粋な思考の時間に使われて、いつも使ってる手帳にただあれこれブレスト⇆精錬する以外、この間は本を開いたりパソコンを開いて仕事をするようなことはしない。

今回の自給自足というテーマも、ここ数ヶ月間に起こっている「資本主義」の崩壊を懸念して、これに対する究極の選択肢としての地方移住や、脱サラ→農業デビューという事例が散見されるようになったことからきている。

もちろん句読点や記号類を除いた全ての文字は音声入力していて、記事冒頭の「突然だが、あなたは今からウシだ。😑」も車内で発せられた僕の音声を読みとったものだ。周囲の人はさぞ混迷を極めただろう。

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