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初めに①

これは日本国際協力機構の活動の1つである青年海外協力隊事業で中国北京市にある中日友好病院の国際部に派遣された日本の看護師が、2019年12月末から現在までの新型コロナウィルスを通した経験を文章化したものである。
私は日本で感染症病棟に勤務していたが、感染症の専門家ではない。政府や関係機関の対応などを批判する目的で書かれたものでは無い。
ニュースでは報道されない、あくまで一般市民の目線での繋がりを通した経験を共有したいと考えたためである。

その前に私の簡単な経歴を紹介したい。

看護師歴は10年弱、大学病院・市民病院・クリニック・介護施設などで看護師経験を積んだ。カナダにワーキングホリデーし、英語も仕事に差し支えない程度には話すことが出来る。中国には医療系外資企業に勤務していた際に10日間研修で北京に滞在(ほぼホテルと事務所の往復)と、広東州中山市に仕事の関係で弾丸1泊2日で訪れたきりだった。

元々海外で働きたいという気持ちがあり医療系外資企業に勤務していたのだが、配属されていたプロジェクトが契約打ち切りになり解雇、そんな時に見つけたのが青年海外協力隊であった。
実は応募は2回目である。1回目は医療系外資企業入社前、丁度カナダのワーキングホリデーから戻ってきた時である。面接の時に「なぜこの派遣国を希望されたのですか?」に特に思い入れのある理由もないので「きれいな海が見たいから」と大真面目に答えたアホである。正直行ければどこでもいいと思っていたし、自分の今までのスキルを鑑みれば、そして面接を上手くやり過ごせば、合格はほぼ間違いないと思っていた。同じ間違いはしまい、と深く自分に言い聞かせた。
出来れば2年間、日本から遠く離れたところで過ごしたいと思い、南米のいくつかの国を派遣希望国に書き、それらしい作文を書いた。一次試験の書類審査は通過、そして二次試験の面接の日が訪れた。
職員が「いくつかの業種で派遣要項が追加になったので見てください」と言われ、看護師の要項を見た。そこには「中華人民共和国 北京市中日友好病院国際部」「大学卒、臨床経験5年以上」「多言語が話せることが望ましい」(...これかもしれないなぁ)
その時何となく、分かっていた。自分が中国に行く予感が。


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