無題
こんなにも中国を恋しく思うようになるとは、2年前は考えもしなかった。
私は2018年7月末から2020年1月末まで、北京市にある中日友好病院国際部外来で、日本国際協力機構の活動の1つである青年海外協力隊の看護師隊員として活動していた。中日友好病院という場所柄、日本との関わりも多く、温かい同僚たちや国際部という国際色豊かな環境で有意義な時間を過ごした。何よりも、日本で言われていた中国のイメージを覆す沢山の素敵な経験をし、私は中国、特に中国の方々を知れば知るほど好きになっていった。
青年海外協力隊の任国での活動は2年間、私は2020年7月末まで活動の予定だった。2020年1月上旬、湖南省にいる知人が春節遊びに来なよと誘ってくれ、南方の春節の過ごし方を体験しようと思い航空券を買った。残り半年の任期中にどんな活動をしようか、帰国したらどんな仕事をしようか、考えていた。中国でいつも通りの私の日常が、そこにはあった。その数ヶ月後に世界が本当に大きく変わるなんて、想像すらしなかった。
年明けから、武漢で発見された原因不明の新型肺炎患者さんについて、ニュースで頻回に取り上げられた。春節が近づくにつれ、病院内の緊張度が高まるのを肌で感じた。来院患者さんは全員体温検査、医療従事者はマスクとヘアキャップ着用、毎日行われる感染症専門家の院内研修、防護具の着脱練習...十分とは言えない私の中国語力でも、会話や行動から「恐怖」を感じていた。同僚から「春節の旅行はキャンセルした方がいい、北京に戻れなくなる」と助言を受け、苦渋の決断をした。春節は家に引きこもろうと決めた。1月23日、中国政府は武漢の都市封鎖を決定した。私の春節はこうして始まった。
日本国際協力機構からは「北京も封鎖するかもしれない、日本の本部から緊急帰国の命令が出るかもしれない」と言われた。今後が不透明な中、ウィチャットで武漢に関する投稿を見つけた。それは、武漢で新型肺炎患者さんの治療に当たる最前線の医療従事者の記事だった。私は溢れては流れ落ちる涙を、止めることが出来なかった。読み終わってすぐ、一心不乱にその内容を拙いながら日本語で翻訳し、知り合いのフリーペーパー発行元に「この内容を沢山の中国に住む日本人に届けて欲しい」と依頼した。結果としてオンラインで2500人以上の人が目を通してくれた。中国にいる日本人として、医療従事者として、私に何か出来ることはないだろうか考え、手洗いやマスクの付け方、咳エチケット、自粛生活の注意点をイラストにした。これも同様にウィチャット上で広めて欲しいと呼びかけた。結果、日本人中国人関わらず、多くの人に届けることが出来た。
そんな中、中日友好病院の恩師である陳さんから連絡が来た。
「明日、中日友好病院から武漢への緊急援助隊を出すことになりました」
私にとって新型肺炎は遠くで起こっている出来事ではなく、より近くで起こっていることに感じられた。
次の日、緊急援助隊の中に国際部外来同僚の王麗麗さんがいることを知った。直ぐに彼女に中国語でメッセージを送った。
「丽丽老师,一定保护自己,一定安全归来!(麗麗さん、どうか気をつけて、無事に帰ってきて!)」返事はすぐにあった。
日本語で「頑張って」
溢れる嗚咽を止めることが、出来なかった。
2020年1月29日、日本国際協力機構の命により、日本への一時帰国を余儀なくされた。帰国後、王麗麗さんだけではなく、程金麗さんと王萍さんも武漢へ向かった。100名以上の中日友好病院の医療従事者、事務方の職員が武漢へ向かった。そして全員無事、北京に戻ってきた。
今私は新型肺炎軽症感染者隔離施設で看護師の仕事をしている。あの時の「頑張って」をしっかりと受け取り、私は自分の出来ることをしている。
また、中日友好病院で皆と笑顔で会える日を楽しみにしながら。
山川異域 風月同天
青山一道 同担風雨
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