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玉島の森 異聞録


※この物語は史実とフィクションを絡めて書いています。

玉島の森 創世記

平成25年 女装専用サイト「仕置き人」や女装SNS「js love 」が突如として女装界隈に浸透し全国の女装子たちに衝撃を与えた。
これまでの女装子たちの活動といえば深夜に闇夜にまぎれ、公園で密やかに純男とまぐわう発展行為が主体でありネットに自身の写真を載せプロフィールや日記を作成するといった、自身の存在をアピールするSNSというものが皆無であった。

ましてこの界隈で自分自身を主張することが身バレに繋がるとも考えられていた時代である。

しかし、このjs loveの出現により今まで世に出なかった女装子がSNSやネット掲示板に台頭するようになり、『男の娘』という女装という言葉に変わる新たな呼び名が界隈に旋風を巻き起こした。

世に名高い【男の娘時代】の到来である。

そして、この男の娘時代の到来により今までは無かった男の娘と旧発展女装子との間でいざこざが各地で絶えず勃発する。

「男の娘という存在は発展行為を嫌い公園を仲間が集まる場所にしている。」
発展女装子がそう呟けば…

「真夜中に公園で性行為をする発展女装は気色が悪い時代遅れの汚女装どもらめが!」
とこう切り返す。

こうした男の娘派と発展女装派との争いは女装幕府(通称幕サイ)やjs love(女装SNS)を中心に拡大をしていき戦火は全国に広がりつつあった…

平成末期…この動乱の時代に発展場をみんなが平等に集まれるそんな場所にしようとしていた1人の旧発展派の女装子がいた…

酔っ払い純男の噺

「当時、岡山最大の発展場といえば皆がみな口を揃えてこう言うだろうょ…笠岡干拓ってね!」

純男は土産に貰った熱燗に気分を良くしたのかほろ酔い加減もほどほど、軽快に喋りだす。

「で?あんたぁなんでそんなに昔の事を聞いて回るんだね?…ほーう玉島の森の歴史をね!取材してるだぁ…変なことに興味を持つ人もおったもんじゃのぉー。」

一度熱燗を口につけて口を湿らせた後で、ぽっと高揚した頬に手を当てながら純男は続ける。

「今じゃほら塚原公園だの浦高公園に集まる輩が多いじゃろ…御一新の前はなんといっても干拓一択、岡山港派や玉森派もおるにはおったがまだまだ、塚原公園じゃって浜田グリーンパークがある頃にゃーがらんがらんのてんから虫よ!」

そう言いきると今度はぐいっと熱燗を飲み干して、ぷはーとひと息ついた酔っ払い純男はこちらを振り返って言った。

「そうじゃのぉ、塚原公園にはミニスカルーズのビピちゃんというすこぶる可愛い女装さんがおるけぇ会って話を聞いてみるといいぜよ。」

「おっと…東北訛りのビピちゃんの偽物が最近じゃ塚原公園に現れて純男たちをたぶらかしてるって悪い噂も聞くから塚原公園に行く時は充分気をつけるこった!」

くわばらくわばら、そう言いながら酔っ払い純男はシートを倒してぐーぐーイビキをかいて寝てしまった。


元女装子Y子の噺

「亜由美さんという女装さんが最近玉島の森で
募集をかけているらしい。」

「そんな台詞があの頃はあっちでもこっちでも干拓に行きゃ誰かが話題にだしてたねぇ。」

還暦を迎えたばかりの元女装子、Y子さんは昔を懐かしむように話しだした。

笠岡干拓とは当時週末ともなれば何十人もの界隈人が集まる県下最大の発展場だった場所である。

「そんなたくさんの女装子、純男が集まる場で玉島の森の名前が最初に出た時は歯牙にもかけなかったねぇ。」

元女装子のY子さんは少し恥ずかしそうに言った。

「私が女装子だったのなんざもう10年も昔のお伽話の世界だょ。」

「え?どうしても聞きたい!?…やめとくれよ旦那。今更昔の事を聞かせてくれなんて小っ恥ずかしくて顔から火がでちまうよぉ。」

「やれやれ…旦那もしつこぃねぇ〜そんな調子じゃ発展場で女装さんからしつけぇって嫌われちまうよ!」

「まぁあたしなんかが、女装してた理由ってのは当時は発展場には身分の違いてぇのがあってねぇ純男、下着女装、首下女装、完全女装っていう士農工商ならぬ完首下男よ。」

「あらやだ…あたしったらつい旦那が食い下がるもんだからこんなにお喋りになっちゃって。まぁいいか旦那もこんな話が聞きたくって来てくれてんだからねぇ。」

「そんで完全女装名乗って発展しに行くなら10人中10人がまず相手をしてくれる。発展場で相手をしてもらうならまずは女装しろってね!」

自分で納得したかのように首を縦に振ったY子さんは休む間も無く続ける。

「発展目的で行くんなら、お天道様じゃなくてお月様もそう言うはずだよ。つまり女装じゃ無い丸腰なら見向きもされんで空振り決め込むはめになるからわたしゃ女装してたねぇ。」

「そうそう、亜由美さんが初めて干拓に来たのはちょうど10年も前の夏だったねぇ、蒸し暑い夏の夜でむらむらしてたもんだから干拓行って、一丁ハッテン決め込んでやろうとしてた日だったよ。」

「当時玉島の森といえば亜由美さんがたった1人でせっせと発展の募集をしたり女装さんが来るのを歓迎したり、そんな書き込みを女装幕府や仕置き人にしていたねぇ。先に歯牙にもかけないって言ってたのは結局募集したとこで集まる人数なんざ笠岡干拓の三分の一にも満たないし、干拓といえば当時は【干拓で発展を歓諾そんな干拓一択】なんて洒落た言葉も流行った時代さ。」

けどねぇ時代の波は亜由美さん向いていたんだろうねぇ…すっかり饒舌になったY子さんは尚も話続ける。

「…亜由美さんが玉島の森で活動し始めたのは2013年GW辺りから単独で週3日から4日ハッテン書き込みしてお出かけしてを続けていたのよ。よく覚えてるわあの頃、新規開拓をする女装なんてめったにいなかったからかな…そしてよく続くわねと思っていたわ。だって大抵の女装さんなら1度か2度書き込みをしてお出かけや発展をしたらその後は期間が空くか、ぷっつり音沙汰無し…なんてことはザラだったからねえ。それは今と昔は変わらないわね。」

Y子さんはそこまで話すとやっと、ペットボトルのお茶を一口飲んで口を湿らせる。
これはまだまだ長くなるわよという意思表示なのか…

「そんな活動が2、3ヶ月継続したあたりから、玉島の森はかなり知名度は上がっていたわ
最初は誰も見向きしなかった活動が1人2人と玉島の森に行く女装や純男が増えていった。
そんな中であたしのホーム、そう当時県下最大の発展場・笠岡干拓に土曜日の夜に亜由美さんがご挨拶に来たのよ。」

そしてY子さんは干拓に居合せた人のほとんどは亜由美さんを知っていたこと。
その日居たメンバーが今の玉島の森の主要常連が多数いて、玉森にも顔を出すと言われこうして玉島の森が軌道に乗り出したことを話してくれた。

「どう?時代の波が亜由美さんに向いていたと思うでしょう? でもね玉森を新規開拓できたからといってそこからが大変だったみたいよ。
あなたは知ってるかしらjs loveや女装幕府の存在を…。それまでSNSにいた男の娘と呼ばれる新しい女装の形態、発展場を良しとしない男の娘と県下最大級の発展場である干拓派による玉森潰しが錦の旗を掲げたらどうなると思う?」

それだけ言うとY子さんは今度は一度かぶりを振ってから言った。

「残念ながら私はもうこの頃に引退をして界隈には関わっていないから詳しい話は玉森の常連に聞いてみるといいわ。」

※当時の亜由美さんの日記
女装専用SNS ts loveより引用



玉森ガールズ ビピの噺

「今年はやけにじめじめするねぇ…」
私はひとりごちながら公園の駐車場からトイレに向かう。
6月下旬、梅雨に入り夜の塚原公園の地面は水気を吸ってじっとりとしている。
湿気を含んだ空気が肌にまとわりついて不快指数がかなり高い日だった。

確かに女装幕府の書き込みにはミニスカルーズのビピちゃんが書き込みをしていた。
女装幕府(通称幕サイ)の書き込みは信頼度は低いが女装子ビピちゃんは滅多に現れない。
今は幕サイの書き込みを信用するしかないのだ…。

しかし今年に入ってからこのビピちゃんを名乗る東北訛りの偽物ビピが純男や女装をたぶらかしているという悪い噂も絶えず聞く…

不穏な気が私の心を波打つ。

ここ塚原公園は元々は古墳公園で発展場としての知名度は無く、近くに浜田グリーンパークや撫山公園といった旧発展公園があったが御一新の折夜間閉鎖の沙汰を受け発展公園としての機能を失ってしまった。
そこで注目されたのがこの塚原公園である。
平成末期に起きた大水害により玉島の森が機能しなくなった折、塚原公園に集まる女装子、純男が多数いた。

またこの令和の新時代に塚原公園のトイレ前で写真を撮ってツブヤイッターにツブートすると投稿が爆発的に伸びるという迷信じみた噂まで飛び交っている。

私は塚原公園のトイレで用を足し、トイレ前で写真を撮って見た。
試しにツブヤイッターに撮った写真をツブートしようかと思ったが、少し考えてからやめた。

その時、ふと遠くにある時計台の方に1人の女装さんらしき姿を認めた。
足早に近づいて行き私は思い切って声をかけてみた。

「すみません、もしかしてビピさんですか?」

「わだす?そーです!わだすがあの有名なビピさんです。」

女装さんがビピさんだとわかると私は改めて当時の玉島の森について取材をしようとペンとノートを取り出した。

その時…

「御用改でござる!」

大きな声で数人の女装さんが私たちの元へ駆け寄って来る。

塚原公園の女装警備隊の皆さんと本物のビピさん

「偽ビピ御用だ!」そう言いながら刺股を掲げる女装子たち、後ろを振り返ると先程まで女装子ビピを名乗っていた女装はいつの間にか煙のように消えていた。

どうやら先に声をかけたのが悪名高い偽物だったらしい。

塚原公園を警備している女装さんの中に本物のビピさんや玉森ガールズの副長YUさん、ツブヤイッターの有名人、凜々さんがいて今宵は眼福だった。

時代が令和に変わり御一新された女装界隈を牽引している女装さんたちだ。

改めて私は本物のビピさんに玉島の森について取材を申し込んだ。(本当は発展したかった)

ビピさんがマスクを直しながら話す。

「私が玉森ガールズなんて呼ばれるようになったのはここ最近の話です。玉森ガールズは私やリーダーのるー大盛りちゃんがみんなで撮った写真をツブヤイッターや玉森掲示板に載せたのがきっかけで、県外の女装さんたちが玉森ガールズと呼び始めたのがきっかけで当時はそんな風に呼ばれるなんて夢にも思っていなかったです。」

ビピさんが玉島の森に初めて行ったのは今から10年前だった。
当時軌道に乗り始めた玉島の森は土曜日の夜ともなれば15人〜20人程の女装と純男が集まる程になっていた。

2014年1月20日 ビピさん初玉森
提供 亜由美さん


また、当時の女装発展場情報を載せているサイトで県下最大の発展場・玉島の森と掲載されたのは大きく影響し、その後広島県関西圏四国からも女装子さんが来訪されるようになった。
数年後には中四国最大の発展場として紹介されることとなる。

「当時は平日はもちろん、土曜日ともなるとハッテン女装さんが5人から10人はいました。冬場はテニスコート管理棟の周りをシートで覆い防寒対策もしていたんだよ。けどね亜由美さんだけじゃなくて、一番の功労者は裏方として女装子さんのために尽力してくれる男性陣の存在なんですよ。亜由美さんはこういう人達に恵まれた状況で今も玉森を支えていると思います。 」

ビピさんの話に隣にいるYUUさんや凛々さんは号泣していた。

「ううっ…そんな涙ながらの努力や活動が今も玉森を支えていたなんて。」

「すごいすごすぎるよ〜。」

YUUさんや凛々さんが口々に所感を口にした所で再びビピさんが口を開く。

「私は当時この玉森で良い人と知り合ってね、夢中になって暫く玉森に行かなくなっちまったんですよ。だから当時を知ってるのはここまで!再び行くようになったのは御一新の後で世はツブヤイッターだのジョソスタグラムだのに新世代の女装子さんが溢れかえった辺りよ。詳しい話は実際に土曜の夜に玉森に行ってみるといいわ。」

玉森ガールズ るー大盛の噺

玉島の森(通称玉森)には玉森ガールズと呼ばれる女装集団がいる。
リーダー格のるー大盛さんは絶世の美女装で率いる玉森ガールズは玉島の森の看板女装たちである。

玉森ガールズリーダーのるー大盛さん
2024年7月某日撮影

「玉森の歴史を調べて回ってるみたいね。」

快活に笑って話しかけてきた女装さんは一瞬どきりとするほど美しかった。
肩を露わにしたタンクトップにピンク色の薄手パーカーを羽織ったギャル系の女装さんは

「初めまして、るー大盛です。よろしくね♡」
そう名乗ると、わたしが知っている昔の玉森はいかんせん、苦難の道だったらしいわ。」

そう言うと、るー大盛さんは私に一緒に座るように促す。

ここ玉島の森は土曜日の夜23時から沢山の女装子や純男が集まる。
るー大盛さんは玉森最強と呼ばれる美女だった。

「今日は亜由美さんが腰痛でお休みなんです…」

悲しげにるー大盛さんは話す。
悲しい表情も可愛い。

「代わりに玉森ガールズのリーダーである立場として亜由美さんから玉森のことは色々聞いたことがあります…先程苦難の道と言ったでしょう。玉森は当時、亜由美さんともう1人の女装さんが作り上げた発展場なの。」

玉島の森を一躍県下最大の発展場にしたのは亜由美さんともう1人悦子さんという女装子さんがいたという。

「玉森は昔、ほぼ毎日、亜由美さんか悦子さんのどちらかあるいは2人ともハッテンでお出かけしていたらしいんです。そうこうしていると一躍発展場として注目を浴びて、毎夜エッチしたい男性が10人ほど毎晩のように来るようになったんですって…そうなると女装子さんも次第に集まり世話役男性も毎夜の如く集まる…それが玉森の起源ね。」

るー大盛さんも発展するんですか?と聞きたくなるのを我慢しつつ私は真剣に話に耳を傾ける。

「その当時、玉森では毎日ハッテン書き込みは続いていましたが、さらに拍車をかけたのが、笠岡干拓のメンバーが土曜日の夜は全員大移動するようになったというのが大きな出来事だったみたいです。亜由美さんはいつも玉森ガールズを集めてその話を何回もしてくれるんですよ。おかげですっかり覚えちゃいました。」

るー大盛さんは嬉しそうに話す。

そんな折、ふと疑問に思ったことを私は口にだす。

「いつから玉森の集まり…開催は始まったんですか?」

るー大盛さんは間髪入れずに答えた。

「玉森が2013年8月2日スタートだと亜由美さんは言ってました、それはその日某掲示場に玉島の森のスレッドが承認されて出来上がった日だからです。亜由美さんはずっと前から某掲示板に申請していましたが、中々承認されず悦子さんが管理者に直接連絡を取り、2週間程度のちの事だったみたいです。」

2013年 玉島の森 
初期メンバーは亜由美さん、悦子さん、アゲハさん、お父さん、なおさん、たけさん


私はるー大盛さんの玉森に関する知識に脱帽すると共に、もっといろんなことを聞きたくなった。

その時、遠くの方から大声で叫ぶ誰かの声が

「発展させろ!!」
「アッーヤメテー」

その声が聞こえてた後で玉森ガールズの面々がるー大盛さんの所に集まる。

「ごめんなさい。最近玉森にもハッテンを無理やりしようとする輩が現れて…被害が拡大する前に討伐しに行かなきゃいけないんです。」

それだけ言うとるー大盛さんと玉森ガールズたちは刺股を持って、大きな声がしたトイレの方へ連れ立って行ってしまった。


女装子N子の噺

「あんた玉島の森に行ってきたんだってねぇ。
どうだった?そうお話しが絶えず楽しかったのね、あんたは知らないだろうけど、あすこは昔はハッテンの森なんて言われてたのよ。なつかしいわねぇ。」

白髪混じりの頭髪を櫛でとかしながら女装子のN子さんはカカッと笑いながらそんなことを言う。

「あたしはハッテン全盛期の玉島の森が好きだったねぇ…今はお話し系じゃハッテンできませんだのごちゃごちゃ言う若い女装娘が増えてきてつまらんねぇ…女装なら黙ってケツ突き出してりゃいいのよ!あたしみたいにね。」

N子さんはまるでつまらないものを見るかのように私を見ながら矢継ぎ早に次の言葉を口にした。

「全く昨今は玉森にぜーんぜん行かなくなっちまったよ。あたしがよく行ってた時期は玉森が軌道に乗り始めて3年目くらいだったかな…当時玉島の森がハッテンの森と呼ばれたあの頃の話さ。」

「けどね、発展場として玉島の森が出来てから3年も経つと、当然の事ながら個人的に馬が合わないあるいは玉島の森の雰囲気が合わないなんて距離を置く人さらにはアンチ玉森の人も出てくるもんさ。」

N子さんは空虚になったような顔つきではあーとため息をつき言葉を続けた。

「あたしはハッテンができればそれでいい口だったさ、だから好きだったね昔の玉森は…。ハッテン系女装子さんが多数いる公園として、まさに発展場としての最盛期を迎えていてね、さっき言ってたハッテンの森とも称されていたのさ。そんでもって常連さん誕生日にはホールケーキが出てきたり、仲間内でコスプレして集まったりねぇ何より仲間の絆ってのが深かったよ。」

それはどんな風にですか?当時の写真なんかはありますか?と私はN子さんに問う。

「あんたTK倶楽部って知ってる?取材してるなら誰かに聞かなかったかい?」

私は正直に知りませんでしたと言うと、呆れた顔でN子さんは詳細を語ってくれた。

「TK倶楽部っていうのはね当時繁栄を極めた女装専用SNS 『j's love』の中に作ったコミュニティで玉島の森・笠岡干拓の略さ。どちらかをホームにしている常連女装子さんと影で支える一部男性がメンバーで数十名いてね、玉森でのエッチ画像・卑猥画像・SM画像も修正無しで掲載してたり、TK倶楽部が主催する広島遠征を計画してバスを借りて広島の「市立」(正式には市立大学上の公園)に行ったりしたもんさ。」

素直に凄いと驚愕した。
N子さんの話では広島では岡山から大挙やって来ると話題になっていたらしく、山口県・福岡県の女装さんも参加し、おそらく女装子さんは30人以上、純男さんを含めた総数は50人以上いたらくハッテン全盛期の玉森に集まる人数に驚かされる。

玉島の森 2016年頃
常連さんの誕生日にはホールケーキが🎂
コスプレで集まる女装さんたち メイド服
コスプレで集まる女装さんたち キャバドレス👗


「良かったのはこのあたりまでさ、そんな折だったね。玉島の森でかってない大事件が起こったのは…。」

それは一体どんな…私がそこまで口にするとN子さんは間髪入れずに答えた。

「玉森内の分裂さ。」

事の発端は、玉森を憎んでいる人がまた別の人に玉森の悪評を吹聴する。

「そうして反玉森勢力はいたるところから淘汰される対象となっていくのよ。」

この時の玉島の森といえば飛ぶ鳥を落とす勢いで急成長して干拓メンバーや県内外の女装さん、純男がわらわら集まるもんだから当然面白く思わない輩もでてくるのさ…というN子さんの説明がスッと腑に落ちた。

今まで話を聞いてきた大半が玉森は苦難の連続だったと話をしていた。
特に人と人との対立は難しい問題だったであろう。

「それは突然訪れたわ…玉森を良く思わない連中が人を集めて夜苦情を言いに来たの。」

「そして、同時に倉敷市公園緑地課にも通報してたんでしょう。同じ時刻に警察署から5〜6人、公園管理事務所から数人やって来て、不審者が多数集まっている…警察からは集まりにどうする事も出来ないが、今夜はいったん解散してほしいと頑なに説得されてね、初期メンバーのなおさんやお父さんが対応して、その時は、ひとまず3キロほど離れた第二玉森に大移動して、1時間後頃を見計らい再集合したわ。」

昔を思い出しながら話しているN子さんの表情は苦虫を噛み潰したように苦渋を浮かべていた。

「わたしもこの時その場にいたからね。警察やら反玉森勢力やらこの日はてんやわんやで…ただひとつだけはっきり覚えていることが、この日集まった女装子さんが28人だったってこと、そして、玉森が賑わっている事を、苦々しく思っている人の差し金が来たことで長い反玉森勢力との闘いが幕を開けたってことね。」

その数日後には公園内のあちこちに張り紙が貼られていた。
内容は『県迷惑防止条例により罰せられる事があります』と大きな見出しに箇条書きで…

①卑猥な行為
②大声で騒ぐ
③犬のフンを放置する

案の定【女装幕府】(通称幕サイ掲示板)ではネタを得たとばかりに玉森叩きが始まった。

玉森全体の誹謗はもちろん、女装子さん個人の名前を挙げて誹謗中傷の限り。亜由美さんの個人スレも10個以上出来上がっていた。

N子さんは続ける。

「幕サイに名前もあがり叩かれる事に平気な女装子さんもいれば、そうでない女装子さんもいまるからねぇ…。これまでの玉森が目立ち過ぎたのね。サイト等へのエロ画像の書き込みを減らしては・・など意見が出たけど、あたしや亜由美さん含めた発展主流派は、基本女装外出は自己責任。不安に思ったり幕サイ等で叩かれるのを嫌うならば、玉森に来なくていいという考えだったわ。」

そうして玉森内部(TK倶楽部)でも一ヶ月ほど議論が続き、徐々に離れて行く人は離れて行き、今も玉森に来ている古い常連さんはその時の残留メンバーだということをN子さんから教えてもらった。
この事件により約三分の一の女装さんは玉森を離れるか距離を置くようになった。

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