系統発生なんていうロマンチックな現象は存在しない

発生の過程が初期ほど似て見えるのは単に細胞の数と形成すべき器官の優先順位に制限があるからなのではないか。

点が1つでは線は引けない、2つでは面が張れない、3つでは立体を構成できない。

ヒラムシは薄っぺらいため拡散で物質を輸送でき、循環器を必要としない。しかし、厚みを持たせるなら循環器が必要となる。循環器よりも先に付加的構造を形成しようとしてもそれは無理なのではないか。

必要が満たされてはじめて付加的構造が形成できる。その優先順位を見誤り、基礎を蔑ろにするような社会にこれ以上の発展は望めない。

なぜ見誤るのか。それは「他人と同じことしかできない人間は無能だ」と言う薄っぺらな言葉をこの社会システムが濫用するからだ。改善のために他人と違う視点を持つことは必要になるだろう。しかし、それは「要らないものを作って売り込め」とはまったく違う。添いつつずらす、これが肝要だ。目的が同じでも方法は色々あって良い。功を焦って突拍子もないことをするのとは違う。

改善はゆっくりでも確実にすれば良い。進化というものがそうであったように。しかし、急進的に要らないものを作れば、社会という個体の発生に破綻が生じて系全体が成立しなくなってしまうのである。

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