異国で精神科にかかるのしんどい

精神科がしんどい。中国語はわりかし上手いほうな自信があるが、それでも精神の機微を表すには語彙が足りない。まあ精神科は薬をくれるだけでいいのでどうでもいいのだけど。僕の精神の中心を占めている「虚無」という概念すら、中国語で的確な表現が見当たらない。"空虚感"とも違うし、なんなんだろう。ひとこと、「虚無がある」で足りるのだが、日本でもよくわかってもらえたためしがないし、諦めた方がいいのだろう。
希死念慮が首をもたげてくる夜は、シェイクスピアの「そんなふうに考え始めてはいけない。そういうふうに考えたら気違いになってしまう」という台詞を呪文のように唱えている。死を否定しているわけではないが、「いま」死ぬといろいろと困るから、整理整頓が終わってから死のうと思っている。と言いながらもう希死念慮との付き合いも15年近い。「死ぬ死ぬ言う奴ほど死なない」のはほんとうなんだろうな。僕も死ぬ死ぬ詐欺ばかり繰り返して、医療現場には多大なる迷惑をかけて、親は僕が死んだら後追いするとか言う。僕が死んだら僕の世界は消えるから、僕が死んだ後に発生する全てはどうでもいいじゃないか。都合のいい唯心論。
ハシゴ先の精神科の方が丁寧に話を聞いてくれるような気がする。でも僕は僕の内心など誰にも話さないと決めているから、別に今まで通りロラゼパムとゾルピデムを出してくれればいい。深い人間不信。愛は虚構だ、信頼は虚妄だ。希望も救いもどこにもない。他者に救いを求めている人間はまだ健全だ。僕はいったいどうやってここに辿り着いてしまったのだろう。

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