僕とは何者なのか

どうも思想強めのハッピークソ野郎です。
この間思想強いよね〜と社長に言われた事でようやく自分の思想の強さに気がつきました。今更。

そんな僕の自己紹介と脳みその中をアウトプットしてみよう、そんな試みのnoteです


About me

h2を自己紹介にしようか経歴にしようか一瞬悩みましたが、英語にすることでアバウトにしてます。about meだけに。
僕はお喋りクソ野郎でもあるので、これだけで卒論くらいの文章書けそうですが短くまとめます。

僕は哲学が好きで今でも勉強しています。
功利主義、リバタリアニズム、サピオセクシャル。僕のAboutはこのあたりだと思うのですが、それだとただの哲学の授業になってしまうので
今回は僕が最近意識していること、考えていることを2つお話します。



隣人の幸せ

僕には世の中の幸福値を最大化したいという思いがあります。
自分にも他人にも、世の中を幸せにしない人には容赦なく切り捨てていますが。ホームレスのような人も含めみんなを幸せにしたいです。
近い未来の僕の目標は、僕の稼ぎで周りの人にベーシックインカムを導入することだったりしてます。


この考えに至るまでのエピソードは退学と初恋です。
高校をとある理由で退学することになったのですが、同時期に初恋の子との恋も終わってしまいます。
どちらか一方であれば失恋を学校の友人に慰めてもらったり、逆に退学の傷を癒やしてもらうことができたと思うのですが、急に1人になりました。高校3年生、17歳。


別れた初恋の子は1つ年が上。高校を退学した僕とは違い、彼女はこれから華々しい大学生活が始まります。
僕は別れたあともその子が大好きで、1日に何万回も彼女のことを考えるくらいには重症でしたが、どうにか迷惑をかけるまいと、連絡を絶っていました。
高校の退学の辛さがミジンコくらいに感じるくらいには、好きでしたね。


自分の幸せを追求するのではなく、他人の幸せを願う。
そんな事を実践していたらいつの間にか、他人の幸せが自分の幸せへと変わっていました。

ちなみにこの失恋はその後5年以上引きずることになります。ほとんど連絡もとることもありませんが、今でもただ彼女の幸せを願っています。



人にやさしく

退学後僕は付属校の頭では進学校の生徒についていけないだろうと判断し個別の塾に通いだします。個別塾って1コマ、1万円もするんですよね。両親には頭が上がりません。

朝起きた頃には家族は仕事に出ており、1人で予備校へ、寝静まった家に帰るような生活。1日誰とも会話をしないような勉強生活はとても辛いものでした。
僕は大学1年の頃に鬱病を発症するのですが、それはこの経験が強く起因していると思っています。


鬱病であっただろう期間は2015年〜2018年の3年間。主に大学在籍していたころです。家族にも友人にも社会にも迷惑をかけ続けていました。
迷惑をかけたエピソードは沢山あるのですが
長くなるので割愛させていただいて(個人的に聞いて下さい笑)

それで、これだけ人に迷惑をかけたのだから、その分残りの人生で人を幸せにしようと考えている次第でございます。
ですので、いじめっ子気質の僕ですが、性格の棘を取ろうと努力しております。人にやさしくね。


見捨てずに今でも見ていて下さる方々、これから一生かけて幸せにしますのでこれからも末永くお付き合いください。


社会人前の僕を知っている友達からはこぞって棘が取れたことを言われるので、ほんとに丸くなってきているのでしょう。
ただ社会の平均値からしたらまだ棘だらけと自覚しています。




最後に自分も他人も幸せにする、棘の取る方法をひとつお話します。

「でも」を無くす

これだけです。
これは今の社長から一緒に仕事を始めてすぐに教わったことです。


---

社長 「あべくん、『でも』って言うの辞めてみない?」

僕「でもそれって、最適解を追求するのに適切じゃなくないですか?」

---


本当に、口癖のように「でも」を言う僕でした。
「でも」は相手の発言の問題点をみつけて、改善する上では有用です。

ですが(でも)世の中の事は最適解が正解じゃないことだってあるんです。世の中無駄だらけ、理に合わないことだってあるんです。


「でも」で始めて否定から入るのではなく、肯定から入って相手を認めるだけで世界って変わるんです。本当に。

一番太い棘を社長に抜いてもらったお話でした。




話すことと考えることが好きなのでまたClubHouseでもやりましょう、皆さん

それでは







以下、書いていたけどつまらないのでお蔵入りになった文章です

---

幼稚園、小学校はとにかくやんちゃな子であったと記憶してます。やんちゃなせいで3歳上の兄からはよく暴力を振るわれ、よく泣く子でもありました。
昔の出来事って自分がしっかりと覚えている、というよりは知識として覚えているような感覚なんですよね。
「1853年にペリーが黒船で来航した」みたいに。僕は身体と声の大きな少年でした。

公立中学時代はバスケ部で部長をしていました。
バスケやってる人ってかっこいいですよね。きっとその頃の僕はカッコよくなりたくてバスケ部をやっていました。体育祭で団長をやったり、高校受験で慶応に行こうと思ったのはやっぱりモテたかったからなのでしょう。

の割には中学卒業まで坊主頭で、そのせいか高校2年生までは童貞でしたけどね。

高校時代、このあたりから記憶が鮮明になってきます。
高1は水球部、高2は文化祭の実行委員、高3は殆ど何もやっていないです。
御存知の通り高3の4月に学校を辞めたからなのですが。
悪どい慶応高校は学費も半年分持ってきました。

高校は物凄く楽しかったです。一生付き合える友人とも出会いました。
抑圧されている中学時代から急激に世界が広がり、自由を満喫しておりました。

大人になってから友人には「阿部くんは虐められているわけでもないのに、中学校に居場所がなかったよね」とも言われました。IQが20違うと会話にならないなんて言いますが、どうなんでしょう。純粋に歯に衣着せぬ性格が受け入れられていなかっただけのような気もします。

もっともっと伸びそうな、、
てかこれ誰が読むねん、公開するの恥ずかしいなあ笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?