Influence : 影響力・愛の手を差し伸べること
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Retina Nebula IC4406
人はまるで一つの星のようです。ただそこに在るだけで、多くの影響を周りに与えているのです。
自分は何も表現していない、何も伝えていないと思い込んではいませんか?
いいえ、あなたが存在している時点で、すでに多くのものを表現し、伝えているのです。言葉でも行動でもなく表現しているもの、それがあなた自身の輝き、光の放射です。
自分には関係がない、興味がないと決め込んでいませんか?
愛は人の手によって伝えられるように、創造されたのです。その手は、目や耳を覆う為だけにあるのではありません。手を伸ばし、他者を助ける為にもあるのです。
コミュニケーションとは、相互理解、相互信頼を築き上げる作業に他なりません。
まず自分から手を伸ばしましょう。まず自分から他者を助けようとしましょう。
ともすれば、人は自分の欠点や足りない部分を挙げて、助けを求めるばかりになりがちです。しかし求めることに期待しすぎれば、結果として裏切られることになります。
なぜなら世界はあなた自身の反映でもあるのですから。
まず与えることから始めましょう。あなたの愛の源泉は無限ではありませんか。
(IC4406 レティナ(網膜)星雲はトーラス状をしている星雲です)
相模原の障害者殺人事件に思う
「なにもできない人間には価値がない」
2016年7月に相模原の障害者施設でおきた殺人事件のことは、皆様もご存知のことでしょう。
以前、私もその近くに住んでいたことがあり、知人にも施設の関係者がいたことから、非常にショックを覚えました。
犯人は、社会的に不要な存在は死んでもよいといったような考えをもっており、それを実行に移してしまいました。
問題はこれだけではなく、インターネット上で、その犯人に共感し擁護しようとする書き込みがかなりの数あったということです。
人が心に思い描くことは、意識的なエレメンタル(要素)として、空中に放出されます。
同様の波動を持つエレメンタルは、同調し、引き合い、集合していきます。
そしてある一定の量が集まると、それは意識を持った霊的な存在として、活動を始めます。
良い思いが集合して形成されたエレメンタルは、しばしば、天使や神だと思われています。
しかし、悪い思いが集合したものは、悪魔や悪霊などと呼ばれます。
そしてそこに、そのエレメンタルと同調する思いを強く持った人がいると、エレメンタルは引き寄せられ、その人の心に強く働きかけたり、その人の願いを叶えたりします。
もし、社会的に不要な存在は死んでもよいと思っている人がたくさんいるとしましょう。すると、その波動によって生まれたエレメンタルが存在することになります。
そしてそのエレメンタルは、犯人である青年に力を貸したというわけなのです。
つまり、これは犯人である彼だけの問題ではなく、それを無意識に支えている多くの人々がいるということを意味しているのです。
自分を大切にできない人は、他者を大切にすることもできない
社会的に不要な存在は死んでもよいと思っている人が、みんな悪い人かというと、そうではないと思います。
おそらくは、殆どの人は普通の人でしょう。
中にはネットに誹謗中傷を書き込むような人もいるかもしれませんが、それはむしろほんの僅かであり、多くの人は、犯罪を犯すこともない善良な市民であるはずです。
では、なぜそのような善良な市民から、悪魔のようなエレメンタルが生まれてきてしまうのでしょうか。
一番のポイントは、自分のことを本当に大切にしているかどうかということです。
「社会的に不要な存在」という言葉を言い換えると、「役に立たない存在」とも言えるでしょう。
そう考えると、「自分は何をやってもダメだ」「自分は何もできない」「私は役立たずだ」「私はダメな人間だ」...などの言葉も、これに類似します。
つまり、同調する意識です。
「自分はダメだ」「生きている価値なんかない」「行きてる資格はない」などと思うことは、自分で自分に向かって、おまえは社会的に不要な存在だと言っているのと同じなのです。
単に、それが外に向いているか内に向いているかの違いなだけなのです。
方向性が違うだけで、内的に考えていることは同じです。
だから、自分を大切にできない人は、他者を大切にすることも難しいですし、他者のことなんかお構いなしの人は、自分に対してもそうだと言えます。
人は生きていることに意味がある
人は、なぜこの世界に生まれてくるのでしょうか。
ひとつは、物質次元ならではの体験をするためです。
そしてもう一つは、カルマの解消です。
そしてこの2点に深く共通しているのが、愛を実践すること(愛を与えることと受け取ること)です。
生まれてくることも含めて、生きることがこの2点に該当するわけです。社会的に役に立つとか立たないとか、そんなの全く関係ありません。
そもそも、社会的に役に立つとか、社会的に価値があるという言葉の裏には、ビジネス的な要素がふんだんに含まれています。
そして、そこにはお金が関係しています。
社会的に役に立つかどうかという言葉を言い換えると、お金儲けに役に立つかどうかということなのでないでしょうか。
しかし、人が生まれてくるのはお金儲けのためではありません。それは数ある体験の中のひとつにしか過ぎません。
いちばん大切なことは、愛を受け取ること、そして与えることです。つまり愛の循環を体験することです。そしてそれは、その人の状態に関係なくできることです。
まずは自分から手を差し伸べよう
内に秘めた恐ろしさから、愛を表現することがなかなかできない人もいると思います。
しかし、そのことで愛の循環を止めてしまってはいないでしょうか。
その場合、まず大切なことは、自分自身の内なる愛の循環を回復させることです。自分に対して愛を表現すること、つまり「私はOK」「このままの私でいいんだ」と自分に言ってあげることです。
あなたの価値を決めるのは他人ではありません。
あなたを創造した神(創造主・宇宙の大神霊)は、あなたを完璧な存在として、この世界に誕生させました。あなたがこの世界を生き、あなたらしい人生を100%生きるために必要なものは、すべて、あなたに備わっています。
神があなたに与えた価値は無限大です。
もちろん肉体的な得手不得手はあるでしょう。でもそれさえも、あなたに与えられたギフトなのだと覚えて下さい。
ただ、自分の使い方(在り方)を知らないだけなのです。
どんなに便利な道具があったとしても、使い方がわからなければ、何の役にも立たないかも知れませんね。
人もみな同じです。
自分は自分の人生を豊かに幸せに生きるための、超便利な能力をいくつも有しているにもかかわらず、使い方(在り方)がわからないために、宝のもちぐされになっているだけなのです。
だから、まずありのままの自分をそのままでOKするのが大切です。
誰も使い方がわからなかったので、ダメだこりゃ使い物にならんと、思い込んでしまっただけです。
だから、ダメだという思い込みを外していきましょう。思い込みを外していけば、あなたの才能や能力を制限しているものが外れていき、それらがどんどん表に出てくるようになります。
そうして自分を愛せるようになると、今度は自然と周りの人をも愛せるようになっていきます。
愛が循環し始めるのです。
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