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The Mirror of the mind:心を映す鏡

Message from
M57 Ring Nebula

あなたが見ている世界はどんな世界でしょうか。

あなたが見ている世界は、あなた自身を反映しています。
そして、それだけではなく、あなたが見たいものしか見えていないし、またあなたが見たいようにしか見えていません。

つまり、あなたの見ている世界は、あなたの願望が見せているに過ぎないのです。
真実は覆い隠され、心の窓から見えている景色は、願望によって編集されたものです。

真実を見るためには、観念や想念、判断、知識といったものを一度、わきに置く必要があります。
そうしたものに捕われることなく、ものごとをただ感じることに努めて下さい。
感じることによってでしか、世界をありのままに見ることはできません。

あなたの心の窓に映っている世界は、どんな世界ですか?
そこに映し出されているものを、ゆっくりと、じっくりと感じてみて下さい。
どんな感じがしますか? 感じたものを味わい尽くして下さい。その感覚を満足するまで感じてください。

そうすれば、いかに自分が判断し、観念や想念 に支配され、知識に頼っているかが見えてくるでしょう。そうした自分自身の壁を感じて、初めてその向こう側に出て行くことができるのです。

自分自身の心のドアを開け、外の世界に出て行く時がきています。
窓から見える景色を鏡に映して見るようなことはやめて、世界に出て行き、実際に見、聞き、触れ、体験する時がやってきました。

私はあなたを導き、見守っています。


私たちは見たいものを見たいようにしか見ていない

素敵な景色だと思って写真を撮って後で見直してみても、写りがいまいちでがっかりしたことはありませんか。

肉眼で見たものと、カメラのレンズを通して撮影したものが、全く同じに見えることはまずありません。それはカメラの性質や性能にもよりますが、まずは肉眼で見ているそのものでさえ、一人ひとり見え方が違います。

きれいな夕焼けを見ていても、その赤さ加減はみな違います。

それだけではありません。夕焼けを見て美しいと感じる人もいる一方、同じ夕焼けを見て悲しくなる人もいます。

それは、目で見ているものはすべて「心」というフィルターを通しているからです。

人はそれぞれに、違う心のフィルターを持っています。ですから同じものを見ていたとしても、感じ方は人によって全く違います。

それぞれが、見たいものを見たいようにしか見ていないのは、そういう理由からなのです。


見えている世界はすべて自分の心が反映されている

カメラのレンズに、星型のフィルターが付いているとしましょう。するとそのフィルターを通してみた世界は、キラキラと輝いて見えます。

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これと同じで、心のフィルターを通して見えている世界は、その人の心の状態が反映されています。

そして、人はただ見ているだけではなく、自分の存在している世界を創造していますから、自分が体験している世界もまた、自分の心が反映されています。

自分の心、自分の意識が、この体験している世界を創造しているのだとしたら、普段からどのような心構えをしていればよいのか、自然と見えてくるのではないかと思います。


ありのままに見るには一切の判断を手放す

心のフィルタを外して、ものごとをありのままに見るということは、一切の判断を手放して見るということです。

これは良いとか、悪いとか、そういう判断は一旦脇において、ただ起きている事実だけを、そのまま見ることです。

そのように試みていくと、気づくことがあると思います。それは、自分の内側にある感情が、ものの見え方に大きく影響しているという事実です。

ポジティブな感情は、ものごとをよりポジティブに見せますが、ネガティブな感情は、よりネガティブに見せる効果があります。

そのため、もしあなたの内に、未完了のネガティブな感情が蓄積していると、その蓄積している分だけ、世の中がネガティブに見えてしまいます。

人の意識をコントロールしようとするには、感情に訴えるのが一番早いと言われるのはそのためです。

感情そのものに良し悪しがあるわけではありません。未完了のネガティブ感情をそのままにしておくことが、ものごとをありのままに見ることを妨げる要因になるということなのです。


私がテレビや新聞をあまり見ない訳

私はテレビや新聞を殆ど見ません。ときどきネットを通じて流れてくるニュースをかじる程度なので、世の中で何がおきているのかは、あまり知りません。後から人に聞いて、そんなことがあったんだと思うぐらいです。

私がテレビや新聞をみない一番の理由は、それらの情報には、必ず伝える側の意図が含まれているからです。

一時期は、私は某◯H◯のニュース番組をよく見ていました。それは他の民放局よりも、情報に含まれるバイアスが少ないと感じていたからです。しかし、ある時を境にバイアスのかかり具合がガラッと変わったのを感じました。おそらく阪神淡路大震災、そして地下鉄サリン事件のあたりからではなかったかと思います。そのあたりから、報道がただ事実を伝えるのではなく、感情に訴えるような伝え方に変わったんですね。そしてそれは一時的なものではなく、いまも続いています。このことは、情報伝達に意図が加えられていることを表しています。


意識を向けることはそこにエネルギーを注ぐということ

私たちは、自らの心のフィルターのままに、体験している世界を創造しています。

それは、自分の見ている世界に意識を向けることによってそうなります。意識を向けると、そこにエネルギーが注ぎ込まれます。そしてそのことによって、その世界が引き寄せられてきます。

世の中は恐ろしい、怖いことだらけだと思って、そのことばかりを意識していると、そこにエネルギーが注がれますから、体験される現実はやはりそのようになってしまいます。

しかし、ポジティブなことに意識を向け、そこにエネルギーを注ぐならば、体験する世界はやはりそのようになります。


自分の心に無関心でいることは他者からの干渉を許しているということ

ただ、私たちは、互いの世界に干渉し合うことができるというルールをも持っています。

原則的には、私たちそれぞれの心が、勝手に他者から干渉されることはありません。干渉されるには明け渡し許可を出さなければならないのです。

パソコンに例えると、それぞれのパソコンにはパスワードがかけられていて、基本的には、勝手にいじられることはありません。しかしもしパスワードを知られてしまったら、いつの間にか勝手にいじられているかもしれません。

コンピューターウイルスも同じです。それは巧妙にカモフラージュされていますが、ウイルスに実行許可を与えなければ、感染されることはありません。しかしそのことに無頓着でいると、うっかり実行許可を与えてしまい、乗っ取られてしまいます。

私たちの意識もそれと同様です。自分の心に関心を持っている人は、他者からの干渉を簡単に許すようなことはしません。

しかし自分の心に無関心な人は、心にパスワードをかけずに明け渡してしまっているのと同じです。

気がつくと、誰かのいいように操られていたりするのです。

あなたの見ている世界はどんな世界ですか?

そこから、自分の心のフィルターを探ってみませんか。自分の心に意識を向けることは、自分の体験している世界を人任せにしないということでもあるのです。

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