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弟子は慎ましくあれ?

おはようございます。

さて、今日は気が向いたので久しぶりに近況でも書こうかなと。

最後に書いたのは先月の誕生日の後でした。

まだ読んでいない人は是非。

この時に書いたことは「弟子を極める」ということでした。

この限られた弟子生活の中でいかに生涯後悔しないような生活を送り、そしてあらゆるものを吸収しきるのか。

ここに書いたものの本当に大変なことです。

毎晩必ず仕事が終わった後に親方のお酒に付き合い、気持ち良くなるくらい飲むのですが、疲れた体に冷たいビール。

もうその日の仕事は終わりたいですし、何よりクタクタです。

部屋に戻ってスマホをいじると抜け出せずに寝落ちしてしまって起きたら22時。

夜の練習ができない自分にもどかしくなる時もあります。

片や、酔っ払っても頑張って作業場に行き、22時まで練習する日は自分に勝って最高に気持ち良い。

そして「明日も頑張ろう」と思って部屋で一杯やって寝る。

こんな最高な時もあります。

日々の中での勝率を上げて勝率100パーセントに出来たら弟子として一つ上がることでしょう。

このように慎ましい勤勉な弟子生活を送ることを改めて決心し、今年頑張っていこうと決めたのが先月の誕生日の時だったのですが、それには訳がありました。

誕生日の数日前、業界の中でも実質的に一番の人で本当に業界を牛耳っている人がいます。

親方とも旧知の仲で弟子の身分では話せないような人ですが、親方とその方との関係のおかげで俺も話すことが多々あります。

たまたまその方と一対一で話すことがあって色々とその方の弟子の頃の話、どのように過ごしていたのか、なんで盆栽をやっているのかなどを聞いているときに、その方に「弟子は親方のために働き、私は殺す」という話を聞きました。

そしてどんなことも勉強する。

業界の一番の人がそのように話されているのを聞いて「あ、俺もそうしなきゃな」と思いました。

俺が弟子入りした理由は多々ありますが、一つは後継者不足で嘆いている日本の伝統産業界の教育システムを変えたいというのも理由の一つとしてあります。

ようは日本の伝統産業を継ぐための期間(弟子の期間)でもちゃんとお金をサラリーマンと同じくらい儲けられれば、なり手は出てきて、後継者不足は必然的に解消されるのではないのかというのが俺の仮説です。

ということで実際に俺がやってみようということで夜な夜な色々な人に会って盆栽を買ってもらったり、自分のサロンを作ったりしていました。

俺の場合はそのお金を盆栽を買うお金に回していますが、おかげさまで足しになって助かっています。

しかし、このような活動はその方の「弟子は親方のために働き、私は殺す」という考えには相反するものであり、この1ヶ月間悩んでいました。

弟子として経済的に貧しく、けど勤勉に愚直に頑張って絵に描くような「頑張っている弟子」としてやっていくのか。

それとも盆栽の仕事、勉強はもちろんですが、それ以外の寝る時間を削って貪欲にお金を稼いで新たな弟子の形「弟子2.0」を作りに行くのか。

非常に難しい二択です。

そして、1ヶ月間経って考えていたのですが、やっぱり俺は「弟子2.0」を作りたいなという思いが固まりました。

俺は欲深いですし、欲しいものは全部欲しいです。

筋は通しつつ、今までにない弟子というものを作っていきたい。

めちゃくちゃ勉強して仕事して盆栽の知識、技術はめちゃくちゃあるのに、めちゃくちゃ遊ぶし、色々なことを勉強して知っているし、稼いでる。

弟子は慎ましくなきゃいけないなんて糞食らえ。

今はそんな風に思っています。

Chao



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