ここで内観してみる (あくまで自省のみ 批判はありません ^^)
何かにつけ、リアルにせよネット上にせよ、自分が和をかき乱しているような気分になってしまうことが多い。何かのアクションを起こすこと(あるいは起こさないこと)で、誰かを追いつめたり憂鬱にさせてしまったりしているのではないか。私は邪魔者だから視界から消えてしまったほうがいいのではないか。そんな気分に陥ることが普段からとても多いところがある。
この〝心の闇〟らしき何物かと、そろそろこのあたりで本心で決闘を挑んでおかなくてはなるまい。自分で自分のことをストーカー扱いしたり、人でなし扱いしたり、自分で自分に死ねと吐き捨てるのはきまってこいつなのだ。
幼少時に両親からうまく愛されなかった説
一般的なアダルトチルドレンや、自己肯定感低すぎオヤジの話ってことになるとこれが指摘されるけど…おおむねその通りだ。
とにかく私は、父親や母親の顔色をよく見ながら私の存在が許されるポイントを探し当てて、彼らが機嫌良くなってくれる言葉を見つけて喜ばせることを強いられてきたのだろうから。
等身大の自分はどこにいる? よくわからない。
あえていえば、わりと好き勝手にやっていたネット上の私は、その等身大って言葉に少しだけ近いのではないか。そこにいる私は現実の私とはまるで異なっていて、人が好きで人に近寄りたくてうずうずしている。誰かを応援したくてたまらない。誰かから好かれたい。
ああそれだ。きっと「好かれたい」気持ちが強すぎるのだ。
「好かれること」が人生の優先順位の最上位になりすぎてる。
リアルの私には見る目がなかったのだから仕方ない
私を好きになってくれた人を好きになるところがある。
実際、家内だってそうやって一緒になった人だ。
私からなんとなく好きになった人とは、ことごとくすれ違ってきた。
リアルでは見る目がない。泥沼になった片思いみたいなものもある。
仕事で吊し上げにあっていたときに、その場に居合わせてひそひそと私を嘲った女性なのに、その人を好きになってしまったことがあったっけ。30歳になるかならないかのころだ。若かったころの私もたいがい変な奴だなと思う。
なぜそんなのを好きになった? 外見?
まあそうかもしれない。可愛らしい感じの人だったから。
元対人恐怖症だから、笑顔のかわいらしい女性に弱い。
すげえ嫌いだった同期のちゃらちゃらした男がいた。職場では奴が先頭を走り、私は二番手だった。奴は大胆なことに、女性の尻を触ることをよくやっていた。すれ違いざまにその子の尻を撫で、彼女はきゃっと笑う。
奴が既婚者だったから許せたのかなあ(当時の私は独身)。
頭がやられそうだった。
たぶんあれは、出世しそうな人には媚びて、私のようなのには媚びない。単にそれだけだったのだと思う。平成初期の会社組織ってのも変なコミュニティー。
出来レース。奴には長の肩書きがついて、私は追い出されて、その会社では変わり者で通っていた男とペアを組まされることになった。最初はうまくやっていた。その男は、立場を利用して客から必要以上にお金を巻き上げるようなことをしょっちゅうやっていたので、途中からは喧嘩がたえなくなった。結局は、その会社も年度末でやめた。
嫌われものなのか、案外そうでもなかったのか
その職場では上司3人ほどとバトルを演じている。会議で私の名前を出さずに部長から当てこすられたので、100人近くいるところで「それに心当たりがあるんですが…」と切り出したこともある。ほとんどの同僚はアンタッチャブルなものとしてスルーしてくれたが、当時にちょっと心を許していた同僚からあとで「鼻つまみ者」と言われたのがひどくショックだった。
悪いけど彼からそこまで言われたくなかったので、彼が私の視界から消えてくれるまで距離を置いた。
悪い人ではなかったんだけど、腹の中ではそんなふうに思っていたか。
仕方ないんだけどね。職場の男同士なんてのはライバルか派閥なんだから。
男同士の連みあいってのは自分の派閥を広げる道具みたいなものなんだね。私は誰とも連まなかった。新卒のとき、同期のオトコばかり10人ほどでぞろぞろと連んでたさまが、まるで虫みたいに感じた。
現在の居場所では、私は丸腰の姿勢を守りながらひとりきりでいる。
実は個人的な不祥事が3年ほど前にあって(粘着質なやつの胸ぐらをつかんでしまった)、でも目を瞑ってくれたという恩がある。時給が上がらなかろうが、仕事量が減らされようが、居場所を残してくれているだけでありがたい。ただ、生きていくためには新たにしんどいはずの場所を開拓して、兼業していかなくてはならない。
note上における成功って何だろう?
これから書くことは批判なんかではない。気持ちはニュートラルだ。
そこだけは誤解されないようにお願いしたい。
成功者になるためには、きっとコミュニケーションはいらない。対話もいらない。
ビジネスライクなものと割り切らなくては、何千人や何万人ものフォロワーなんて抱えられたものなんかではない。
つまり、ひたすら自分がカリスマになればいい(批判でなく客観的に思うこと)。
note上にはサークル的なコミュニティーとビジネスチャンスをねらうカリスマが同居している。
いや、そもそもビジネスというもの自体がそういう性質のものなんだが。
さあ、どちら側に立ちたいんだい?
ここまで述べた私の心性から、もう察していただけるだろう。
居心地がいいほうを選んでしまうだろうね。
単に「書くこと」自体が大好きなだけなんだ。
多様性だけの話。どちらが良くてどちらが悪いといった話にはしたくない。
SNS上で上手に立ち回ったり、フォロワー数を派手に増やすことのできる人を馬鹿にしたり嫌ったりというふうなのはこれっぽちもない。むしろ羨ましい。ただ前述したとおりで、群れることが極端に苦手なヤマアラシ男だ。サシで対話することはそれほど苦手ではないんだけど(関係ないけど、令和になってますますコミュニティーが〝群れ〟化してるけど、それがすごくしんどいって感じてる)。
さらにいえばnoteの母体だって営利団体なわけで、クリエイターの活躍をお金のやりとりへシフトさせていくことに活路を見出したいというのが本音なんだろうなとも感じる。
有料記事をやたらとすすめてくることにも、その本音は表れている。
もし営利団体だということを期待しなくてもいいのなら、居心地がよいサークルみたいな場所であり続けてくれたほうがありがたい。近い将来に会費を徴収されるのかもしれない…いや、すでに有料会員というのがあって、私は最近それに加入したばかりではある(貧乏人なんだからお金使っちゃいかんってば)。やはりnoteには現在のnoteらしさを保っていつまでも存続してほしいと思ったので。
お願いだから、イーロン・マスクみたいなのに身売りなんかしないでくれ。
当面のスタンスとしては、お茶飲み会ぐらいの立ち位置にいたい。あまり誰とも喧嘩はしたくない。ひたすら仲良くしていたい。
私に「教えることができる」ものなんて現状なにもない。ひたすら自分語りするだけしか能はない。争いごとに巻き込まれたくない。空気みたいに身を隠していたほうがいいのかなとも思ってしまうけれど…たぶんシラけさせてしまったと思う。場の空気が読めなくてごめん。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?