片親育ちの恋愛

よく「女の子の恋愛観は父親との関係が影響する」と言われているのを聞いたことがある。

まぁ、詳しく言うと自分は片親育ちと一言で言うには説明不足で、実父と一緒にいたのは4歳?5歳?までで、その後いろいろあって母親の再婚相手が父親になった。実質、片親育ちとは言えないかもしれないがご了承いただきたい。

父親が二人いる。

考えようにはラッキー。

美容師になったとき、ハサミを入れる本革のシザーケースを買いたいと二人の父親にねだった。

二人の父親からそれぞれ2万円(合計4万円)をもらって、2万円のシザーケースを1つ買った。だから2万円、黒字だった。

上に書いた「女の子の恋愛観は父親との関係が影響する」について、自分はこれをかなり実感している。

これは恋愛ではないんだけど、小学校4年生くらいのときかな。

自宅に荷物を届けにきた宅配のおじさん

に、妙な感情を抱いたことがある。

ただ荷物を受け取っただけ、何か話をしたわけではない。ただなんか、荷物を受け取って、玄関の扉を閉じたときにすごく寂しくなった。宅配のおじさんの存在が恋しかった。自分でも何故か分からなくて必死に考えた。

そのときに自分は「父親の愛情が足りない」と薄ら気付いた。

日が経てばこの日のことは忘れた。

自分が自由に恋愛を楽しむ歳になったとき。

18歳(17歳?)、ひと回り以上年上の恋人がいた。そこから20歳くらいまで、ずっと歳の離れた人とばかり付き合った。

好きになることに年齢は関係ない、といったらそれまでだが、当時の私は本当に同世代の男の子に興味がなかった。物足りなかった。

20歳を過ぎた頃、自分の恋愛傾向について考えていた。

年上の男性の隣にいるときの、妙な感覚を思い返したりしていた。

あと、20歳を過ぎると、17歳の自分を彼女にしていたひと回り以上年上の男性に疑問を抱くようになった。

彼らは17歳の未熟な私と一緒にいて何が楽しかったんだろう?と思った。

これは偏った考えかもしれないが、私の若さが美味しかったのでは?と思ってしまった。

じゃあ逆になぜ自分は同世代の男の子ではなく、そんなに歳の離れた男性ばかり好き好んで一緒にいたんだろう?と考えた。

私が当時、恋人に求めていたことは

隣で静かに見守っていてほしい、分からないことを教えてほしい、要望をすんなりと聞いてほしい、間違っていたら叱ってほしい、私の色んなことに動じないでほしい。

思い返すとこれだった。

……

………父親じゃん!

そうか、自分は“理想の父親”のような彼氏が隣にいてほしかったのかと気付いた。

自分の恋愛傾向は見事に“育ち”が出ている、そう気付いた途端、自分の人生を生きていないような気がして怖くなった。

父親不在の人生は自分で選んだものではない。ただ仕方なく、そういう環境に生まれたからそうだった。なのに「不在の父親」の影を追いかけるような恋愛をしていることを自分でいいと思えなかった。

しかも当たり前だが、私が求めた「父親のような彼氏」なんてモノは実際存在せず、彼らは異性であり他人であるので自分の要望とはもちろん重ならない。こちらが父親のような安心感を求めれば求めるほど上手くいかなかった。当然だと思う。

そういった意味で、私は当時の“恋人関係”を大切にしていなかった。恋人に父親であることを求めるだけの一人世界だった。申し訳ないと思う。

スッパリと、年上の男性と付き合うのをやめた。育ちを引きずりたくなかったから。

妙な感情を抱いた宅配のおじさんのことを思い出す。

自分より大きな男性、その人は自分に害を与えず、自分はその人より小さく、弱く、未熟で、守られる存在である。

宅配の荷物を受け取ったその一瞬で宅配のおじさんと父親という存在が重なって、欲求が本能的に湧き上がったんだろう。


謎が解けて、良かった。


おわり

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