大事だったもの

些細なことで腹を立てていた
いまだったらどうでもいいことのがあの頃はすごく大きくて
そんな小さなことが自分の人生を大きく変えてしまう大事件のような気がしていた。
それを些細だと言えるようになった今が大人になったということなのかもしれないけれど、何故だか今朝は妙に寂しかった。

昨日の夜にEdward Yan の恋愛時代を見たせいもきっとある。
しょうがないで済ませてしまっているけど、本当の自分は済ませられないことが沢山あってそれを誰かに気づいて、そっと抱きしめて欲しいんだ。
私はモーリーがとてつもなく切なく、哀しくなった。

強い自分を作っちゃえば、ずっと強い自分でい続けないと自分自身が壊れてしまっちゃうんだ。
そして、それをわかってくれる人に出会えたと思えば、愛じゃないと言われる。

中学生、高校生、あの頃は全力で生きていて
その瞬間瞬間全てが壊れないようにしていたかった
広い世界に出たからちっぽけなものに感じるかもしれないけど、
あれだけ全力で目の前のことだけに泣いて怒っていた
あれが一番生きていることだっただって思う。

センチメンタルになるのはよくないのかしら
だけどそんなおセンチさえも大丈夫になってしまった自分がもう一度あの頃に戻るのはもう出来ない。

一度飛び出してしまって戻ってきても、それはもう違う私だ。
戻りたいという気持ちはないけれど、戻れないと思うと切なくなってしまう人間はやっぱりわがままだし、馬鹿らしくて素敵だ。

お姉ちゃんのお誕生日にはお姉ちゃんの大好物のハヤシライスが出てきた
その次の週くらいにある私の時はなんだかよくわからない肉巻きだった
サヤインゲンかなにかが豚肉に巻かれていた。
それが悲しくて盛大に拗ねて泣いた。
きっと寂しかったんだ。お母さんはお姉ちゃんの大好物は知っているのに私のことは知らない。私のことなんて好きじゃないんだ。ふたりへの愛情の差を感じて泣いた。でもそんなのは自分がつくった世界のお話で、本当のところはわかんない

久しぶりにnoteを更新したくなったのといろんな気持ちでいる
消してみたい思いと、
いつかもう一度みてみたい気持ちが相まって
なくなったものは取り返せないから
消すことだけができないでいる。

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