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ode to joy,リリースから丁度10年

ode to joyという5曲入りのepをリリースして今日で丁度10年になる。

あの頃を振り返ってみる、2010年に度重なるメンバーの脱退や心労からブラキリを何も言わずに休んだ、ブラキリが嫌になってたのが正直な所だったが色んなバンドに参加したりして音楽への気持ちは途切れず、2011年前年末に久々にできた恋人と初めての大喧嘩とその2日後に起こった天災その数日の世の流れでまたブラキリをやる事を決意したそして2011年夏から活動を再開した、自分以外のメンバーが一新されたのと結成した2004年から一度休んだ2010年までの間の曲を全て封印して活動したのもあって露骨なまでに反応が微妙だったり批判されたりとかもあったりしてちょっと凹んでたけどバンドとして新しい姿を提示したくて2011年の秋頃からバンドとしてレコーディングの準備に入った。

レコーディングにおいて決めてた事
①前作の3rd disc「love/purple/canaria」と同様に5曲入りで全曲新曲にする事…既存曲の再録は毛頭に無くて少しずつ移り変わっていってるあの時のブラキリを示したかった。
②CD-Rで販売じゃなくてプレスした盤で販売する事…CD-Rの方がコストは落とせるけど手に取って貰った人の手元にずっと残せる一枚にしたかったから(CD-Rは経年劣化で聴けなくなるケースを当時聞く様になっていた)
③当時ライブ最後に演奏して代表曲となっていたLは収録しない事…大体みんな入るだろうなと考えられていたけどこの頃からepの後はアルバムと見据えていてその時に満を持したタイミングで収録したかったから入れなかった、その分ハードルはめちゃくちゃ上がった。(レコ発の来場者特典としてこの時期の編成のLを録音して配ったんだけどこのレコーディングがキッカケで大切な仲間に良いご縁があったのもこの時期の思い出)
④タイトル曲を作る…Lを入れないからにはそれに負けない位のキラーチューンを作らなくてはという事、実際作り始めた時は難産だった、サビのメロは最初のデモの頃から全く変わってないんだけどそれ以外が全く納得いかなくて最終的にサビ以外は全部総取っ替えみたいな流れになった。
⑤ギターサウンドの重厚感…これはちょっとしたアクシデントでもあったけどレコーディング開始の2日前に話し合いの上でギタリストが脱退してそこから急遽スリーピース編成に突入してしまった訳だったけど逆にそれを逆手に取って当時のギタリストとの折り合いが無くなりギターに関してはとにかく好き放題やった。

当時のInstagramよりレコーディング機材を抜粋。

曲紹介

1.honey muff
この曲のネタ自体は2009年頃からあったけど陽の目を浴びないまま来てしまった曲だったけど作品の録り下ろし曲としてセッションで詰めていく、本来なら某11月の某mみたいなシマーリバーブマシマシの多幸感溢れる曲にするつもりだったのが削がれていって爆音オルタナナンバーになってしまったのは性だなと思う、アウトロ前の英詞パートのマフ感は非常に気に入ってる、あとギターソロはジュディマリのKYOTOをオマージュしてたりする。曲名は完全に造語、でも良くないっすか?
この前リハで合わせた際に話になったけどこの曲女性ボーカルでカバーされたらめちゃくちゃ良いんじゃないの?って話になったから誰かカバーして下さい。

2.metamorphose
当時の編成になって最初のスタジオでパッとできてそのままライブで演奏されてそのまま定番曲になっていたのでこれは入れなきゃダメでしょう、と録音された一曲。リードギターに関してはネットでLUNA SEAのSUGIZOさんの音作りを調べてディレイタイムを参考にしたりした。新しいブラキリを示す為にとても重要な曲だったし今でも頻繁にセットリストに入るだけあってとても強い曲だと思う。
この曲に関しては今の編成で録り直したいって気持ちはとても強い。

3.in fading
当時のライブのセットリストに組み込まれていた曲、とても長い曲だったけどレコ発あたりまではほぼ頻繁的に組み込まれていた。2009年10年頃の自分の澱んだ心境を描いた。
この曲と後述の曲はめちゃくちゃギターを重ねたレコーディングは毎回深夜に行っていたこの曲と後述の曲のギターダビングは同じフレーズを何回も弾いて重ねてたら真夜中も相まって変なテンションになってた。
この曲を最後に演奏したのは2016年失踪前に出たハードコアパンクのイベント以来、この前のたくにいの地獄ツーマンの時にもセトリ候補にも挙がったけど尺の関係で断念した。

4.darekawoaisuru
2010年の当時のドン底の中で生まれた曲、これも陽の目を見ることが無かったので録り下ろし曲としてレコーディング。
これが当時自分が提示したかったシューゲイザーだったと思う、この曲も前曲と同じ様にギターを何重にも重ねた、重ね続けて生まれる揺らぎがあったと思う。
この曲は5年前のツアーファイナルワンマン以来演奏してないからどこかのタイミングで演奏したいと思っている。

5.ode to joy
この曲がバンドを示す位の代表曲になる事は本当に予想してなかった、曲を書いた自分の想像を遥かに超えた愛され方をしたと思う。このepのタイトル曲で止まると思っていたし当時次のアルバムに入れるつもりも無かったしti amoの曲を選んでる時にこの曲を入れる事を決めたというか強く推してきたのは自分以外のメンバーだった、そういう所も含めて自分の想像を遥かに超えたと思う。
正直な所コロナ禍に入ってから一番演る事に戸惑ってる曲だ、「歌える奴一緒に歌おうぜ」その通りでこの曲演ってる時にみんなが一緒に歌ってくれている風景を見るのは自分でも震える時があった、一緒に歌える様な時はいつ来るのだろうか。

今じゃ当たり前の様に言ってるけど初めて「絶望だけじゃねえよ」と言った日の当時のブラキリの映像を、怪我してギター弾けなくなった俺の代わりに辞めたギタリストがサポートしてくれた時のやつで10年前にode to joyを出した頃のブラキリを示す映像だ。

この頃のブラキリはベーシストだった綾ちゃんとドラマーだった山田が同い年だったから何かそれだけで良いグルーブが出てた、レコーディング直前で辞めたプーも本当に良いギタリストだった俺の目に狂いは無かったと断言できる位に。3人に感謝を。

一応個人的な括りのなかでode to joyを作って出して自分以外のメンバー全員が脱退するまでがブラキリの4期だったと思ってる、因みに今は6期だと思ってるけど。

6期のブラキリは現在制作に入っている、自分でもどの様に収まるか想像できないんだけど制作に入っている、いきなりアルバムって訳じゃないけど一先ず一発出せたらと思ってる。

という感じで久々に長々書いてみた。

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