ただのメモ

この記事は、自分の酷い人生をまとめたただのメモ。
自分が振り返る為だけのもので特に他人に見せるつもりは全くない。

幼稚園~小学校
いわゆる女っぽい座り方、喋り方を小さい頃は無意識にしていたようで、親に無理やり直されていたのは覚えている。
男っぽくする教育の一環で野球、武道を無理やり習わされるのが死ぬほど嫌だった。嫌すぎてレッスンの他の生徒にいじめられていることを訴えることでなんとか辞めることはできた。でも多少いじめられていたことは本当。
この頃からいじめられ体質はあった。
自分のセクシュアリティについてはまだ深く考えていなかった。
勉強はできた。
父親が怒ると叩いてくるのが嫌だった。こちらが理不尽だと感じた時も、反論をさせずに叩いて優位に立とうとするのが嫌だった。
一度投げ飛ばされて鼻血が止まらなくなった。その時、初めて謝られた。医者に連れて行かれた後の帰り、何か欲しいものがあったら買うよと言われた。本当は振るとポケモンの光の絵が浮かび上がるライトペンが欲しかったが、子供っぽいと思われそうで、何も欲しいものはないと嘘をついた。この時から、親の期待していることを言うようになってたのかもしれない。

中学校
部活に入るも常に顧問が怒鳴ってきたり、先輩がただ冷たく従わせようとしてくる雰囲気が嫌だった。この頃から父親、顧問などの中年男性へのトラウマは既にあり過度に恐れていた気がする。
一番まじめだという理由だけで初心者なのに顧問が次期キャプテン候補にさせようとしてきたのも嫌だった。同学年からいじめられており、結局それが原因で部活は辞めた。
同学年の人と軽く試してみたことがあったが、セクシュアリティについての自覚はまだなかった。
これら以外、中学の記憶はほぼない。3年間いたとは思えないくらい覚えてない。

高校
文化部に入り、中学にいた時よりはまだ馴染めた。
恋愛感情がわからないことを悩んでいたが、高校二年生の時に初めて人を好きになり、その相手が男だったため自分がゲイだとやっと自覚。
いじめられはしなかったが、いじられることはまだ多くそれも嫌だった。
孤立はしてなかったが、仲がいいと自信を持って言える友達もおらず、休み時間はやることがなく困ることが多かった。
この頃から海外の絶景や旅ブログに惹かれ、授業中に見ることが日課になった。おそらく、海外のまったく違う世界で自分がもっと馴染めるんじゃないかという願望があった。
将来やりたいことは全くわからなったので、とりあえず良い大学の良い学部を受験してそこに入ることにした。

大学
大学のサークルに入るが、馴染めなかった。この時も真面目だからという理由だけで初心者なのに時期リーダー候補にされていたのが嫌だった。結局1年も持たず脱退。その後は他の大学のインカレサークルに入るが、結局最後まで完全に馴染むことはできなかった。
バイトをいくつかしてみたが苦痛で、半年も持たずに辞めた。仕事をすること自体が向いてないと自覚した。
まだゲイアプリは知らなったのでとりあえず発展場に行ってみて、ファーストキスやその他のいくつかの初体験はそこで適当に済ませた。その後、ファーストキス等を聞かれるたびに適当に済ませた自分の人生が虚しく感じた。
初めて大学内で他のゲイの人と知り合うことで、LGBTQサークルにも参加してみるが、話が合わなかった。
ゲイアプリ等こっちの世界を多少学び、サークル内の一人を好きになったが、決して向こうが好きになってくれることはなく、寧ろ侮蔑的な扱いを受けることも多かった。そのほかの周囲からも、自分がいわゆるいじられポジションのせいで、努力してもそれが認められずに常に馬鹿にした扱いをしてきたのがとても嫌で怒りも感じていた。
大学3年生の時1カ月の短期留学に行った。初めての海外は心から楽しむことができた。
大学4年生の時の就活は全くうまくいかず、学歴等はあるが自分に人としての魅力が完全に欠けているを思い知らされてとても虚しかった。他に好きな人ができ、家にもしょっちゅう泊まりはじめてデートする幸せのようなものを感じた。ただ1か月後にその人は自分に対して恋愛感情を全く持てないことを伝えてきて、誰からも好かれないことを再自覚し、体が食べ物を受け付けなくなるほど傷ついた。
就活を止め、逃げるように1年弱の長期留学に行った。結果として留学はとても楽しむことができ、帰国後運よく就活先も見つかった。
ただ、行きたかった就職先は大学卒業後半年間の空白期間が空くことのみを理由に親が強く反対し、この人たちは子供がやりたいことよりも多少の空白期間という社会的な見てくれのみを重視すると再認識して失望した。あれだけ強く反対した翌日、態度をコロッと変え応援するなど言っているのを見て、一時の感情に任せて子供の将来をほぼ潰そうとしたのを全く気にしない態度が理解できなかったし、自分の仕事について親に相談するのはもう一才辞めようと心に誓った。
大学卒業後の半年間は、ホステルでバイトをして初めて仕事が楽しいと思えた。初めてバックパッカー旅行をし、やはり海外が好きだとその時は心から感じていた。
会社員としての新しい仕事が始まるまでの数日間はとにかく憂鬱だった。

会社員
仕事内容は興味は持てなかった。とにかく上司に従い、周囲に迷惑をかけること過度に心配することによるストレスが凄かった。
1年目から海外オフィスで働く機会があったが、この時、たとえ海外で働いても日本の会社であれば結局日本の仕事のスタイルで働くので、海外の解放感は全くないことを認識した。周囲との仕事に対するモチベーションや家庭を持つことへの憧れ等の意識の差がとにかく苦痛だった。
この期間はデート等もほぼせず毎日会社で時間が過ぎるのを待つだけの生活だった。このまま人生を浪費するのは目に見えていたので、3年目に仕事を辞めた。

海外生活
会社員時代に貯めた貯金を基に海外で旅を始めた。最初はとにかく楽しかったが、わりとすぐに常に一人でいることに寂しさを感じ始めた。どこかの国にベースを置きコミュニティに属したいと考え、ヨーロッパ某国にワーホリビザで住んでみた。
努力はしたが友人は殆どできなかった。デートした相手には無視されたり恋愛感情を持てないと言われることで自分が誰からも好かれないことを再度認識した。とにかく傷ついたが、救いを求めてより多くの人とデートし、結果としてしばらくデートした後に無視されたりさらに酷い扱いを受け続け、更に傷ついて体重が激減し眠れなくなった。
もうその国には精神的にいられずに日本に帰ったが、まともな仕事もしていない自分の境遇と、自分に酷い仕打ちをしてきた人たちは自分のことなど忘れて幸せな生活を送っている事実を比較し、とにかく病んだ。
セラピーにも通ったが改善せず、とにかく自分の境遇を変えたくてヨーロッパの別の某国に引っ越した。
しかしまともな仕事は見つけらえず、インタビューに落ち続けることで自分の人間としての魅力がゼロだと再認識した。更にここでデートをした人にも数回会っただけで恋愛感情を持てないと言われ、自分は一生誰にも好かれないと再確認した。友人は何人かできたと思ったが、ホリデーシーズン等は常に一人で、結局本当の絆を持つことはできていないと自覚した。

誰からもまったく好かれず、どんなに努力しても拒絶されてやりたい仕事もできず、とにかく傷ついてばかりの人生に疲れた。すべてを終わらせてもいいが、そうするなら自分がいなくなる前に、自分に対して酷い仕打ちをしてきてそれを完全に忘れ幸せな生活を送っている人すべてに復讐する。
誰も自分を好きにならず、どれだけ傷ついても気にもしないなら、自分の手で彼らに報いを受けさせて自分に対する彼らの行いを無理やり後悔させる。
そうしない限り誰も自分のことなど思い出しもしないから。復讐しない限り、彼らは反省もせず自分がどれかで傷つき苦しんだかなど1ミリも気にせずに人生を謳歌することになる。絶対にそれはさせない。
彼らに報いを受けさせ心から後悔させることが、自分の何もうまくいかなかった人生の唯一の慰めにはなるはず






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