0409

近くて遠い国に降り立ち、早2週間が経った。
毎日よく寝て、よく食べている。海沿いの街にいた時よりも、ちゃんと"暮らし"ている。
行ってみたかった場所が並ぶリストには印が増え、電車に揺られ、乗り換え、時にはためらって無駄足を踏んでみたりもして。
電車に乗ってどこかへ向かう時、なんだか不思議な気持ちになる。わたしはずっと昔に死んでいて、これはわたしが見ている長い長い夢なんじゃないか。そう思えるくらい、なんだか現実味がない。気づいてと訴えかける看板も雑踏もすべてに韓国語が溢れている。ここは異国の地。なのに、まるで韓国にずっと住んでたかのように慣れた仕草で電車に乗り、店員さんと話している。それでも脳は現実なのかまだ信じきれないでいるようで。夢をみているようだ、というと地に足がついていない人みたいに聞こえるかもしれない。けれど、どれだけ考えてみてもその表現が一番的確なのだ。長年韓国に住むことは夢物語ではなく現実として捉えてきたからこそ、夢のよう。

彼らが汗を流す練習室がある建物の前を通った。この道を確かに彼は歩いたことがあるんだな、と思うと何気ない景色も色づいて見えた。すぐに離れてしまうには名残惜しくて、もう少しだけ景色を見ることにした。一本違う道に進む。この景色も、彼が見たのかもしれない。小さい箱の画面を飛び越えて次元の違う世界に入り込んだような、そんな感覚が湧き上がった。彼らは偶像でもある。けれど、生きて生活をしているんだなと実感できるような、そんな体験だった。帰り道。電車に揺られ、彼らの歌を聴いていた。彼らに出会ってから今までが走馬灯のように流れ込んできて、こみあげてくるものがあった。公共の場で涙が出ることは数えきれないほどあるけれど、今回ばかりは誰にも気づかれないよう、そっとしまった。ここに連れてきてくれたのは、彼らで。내가 알던 세상 그게 다가 아니란 걸 알게 됐을 때という歌詞と、心情と、膨らんだ思い出はわたしに久々の嬉し涙をもたらして。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?