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2022 - 2023

2022年を訥々と振り返る

「今」では客観視できるようになった

昨年は心身の不調で半年以上、下手したら丸一年を潰してしまった。
俯瞰で見られるようになった今、振り返ってみることにした。

この一年は私の手元に何も残らなかった(と自分では思っている)。
調子が芳しくなくなった理由については、私以外の登場人物も出てくるため伏せる。私の意思で、今後も私からこの件について発信することはない。


人間の顔がうまく描けなくなっていた

汚泥にズブズブと沈むような感覚があり、何をやっても楽しくなかった。
描いた絵で楽しませるのも仕事の内であり、この事態を誰にも悟られたくなかった。ネガティブな述懐を垂れ流す人間が描く絵を誰が楽しめるものか。
テンションのピークに合わせて絵を描くようにしていた。
仕事で人間(キャラクター)の顔を描くのは避けられないのに、徐々に表情がうまく描けなくなっていると感じた。

自分にとって決定打となることが起こり、それからまったく人の顔が描けなくなってしまった。焦れば焦るほど描けなくなった。
一日の大半、布団の中にいた。同時に、起きていても横になっても胃痛と吐き気で苦しかった。それが慢性化して、いつも胃液の味がしていた。この頃は自宅建物の階段を降りるのも足が震えて、一歩一歩ゆっくり降りる状態だった。
これらの症状は初めての経験で、「ああ、これは所謂、鬱病になったのではなかろうか」と不安になった。


汚泥の底

鬱病に関する動画を観てみた。当て嵌まることだらけで、これは本格的にまずいと思った。
私がやることは、寝る・絵を描かない・外に出るための体力を取り戻す…… この三つだろうと、ステータス:状態異常に陥った今の自分にできることをひとつずつ増やすことにした。
そして、とにかく寝た。この頃は本も映像もネットも何もかもから離れ、ただただ時間を睡眠で食いつぶした。

こんなことになったのも、すべて何もかも自分が悪い、これまで生きてきて下した過去の判断もすべて間違っていた、と真っ暗闇の中にいた。
この頃一番脳裏から離れなかったのは、若かりし頃、身内の死に目に会わない決断を自らしたこと。そんな昔のことすら今になって後悔していた。
それまで私は「現在進行形の今の自分を肯定するために過去がある」とし、虚勢を張って生きていたのだろう。それが見るも無残に崩壊した。


Youtube動画に救われた

自分の絵を見るのも他人様の絵を見るのも嫌になり、これまで好きだった楽曲も雑音にしか聞こえなくなっていた。
すべての情報を遮断した。
黎明期から登録していたnoteも…… 10年以上運用したPixivも…… Twitter以外のSNSを一切合切退会した(※ここ微妙に韻踏んでる)。

そんな中、救いになったのはYoutubeの動画だった。
何気なく見たRIZINの試合、強い選手が負ける瞬間をただ眺めていた。
何か心に小さな明かりが灯った感覚があった。そこから派生して様々な動画を観漁った。

トップYoutuberの方達は、なんだかんだ言って、どの方も人付き合いを重んじている。
自身の動画を撮りたいからという理由もあるだろうが、友人・知人・仲間のためなら海外だろうと足を運ぶフッ軽ぶり。
私が欠落している部分がまさにそこだと気付かされた。ここ数年、仕事(とコロナ禍)を理由に人付き合いを疎かにしていた。

また、彼らは動画制作を愛している。動画作りが楽しい、配信が楽しいというのが視聴者にも伝わる。勿論有名になればなるほど時間が取れず苦しいときのが多いだろうが、根幹にあるのは「楽しい」のままである。
これも私には足りなかったこと。私は絵を描いていて楽しくなかった。「好き」だけど「楽しい」とは感じていなかった。

自分よりも年若いYoutuberに教わることが多かった。
卑屈な意味ではなく、言い訳の余地もなく、自分が人として良くなかった。


文字への恐怖

今の私ならもう大丈夫だろうか? と文章を書こうとしたものの、頭の中で論理的に組み立てられず、ソフトを起動しては閉じるの繰り返し。
迷惑を掛けた周囲の方達にお詫びを綴ろうにも、ままならなかった。
文章を書くのが怖くなっていたし、この頃はその恐怖心からまだ脱却できていなかった。やむなく文章を書くのは一旦諦めた。

文章は相手に機微を伝えることも出来れば、刃物にもなる。得てして、文章力が拙い者は後者になる。ご多分に漏れず私もそうだ。
また、受け手の読解力に委ねる部分が多々あり、絵よりもはるかに認知バイアスが掛かりやすい。その齟齬を最小限に抑え、正しく意思疎通するためには一定以上の文才を要する。


再び描けるようになったきっかけ

絵が描けなくなって久しいある時期、「文章はまだ無理でも絵は描けるかもしれない」と描画ソフトを起動した。

ただ寝て起きる日々なら、この期間にたくさん描けるだろと思われそうだが、残念ながらそうもいかなかった。
これまでも気持ちだけは焦ってそれなりに描いても、顔が描けずのっぺらぼうだったり、思っている所にペンが落ちず、余計に自己嫌悪に陥って悪手だった。
文章と同じで描画ソフトも立ち上げては落としての繰り返しだった。それでも立ち上げることを諦めたら本当に終わってしまうと、か細い糸にしがみつく日々だった。

ある時、好きなYoutuberのファンアートなら描けるかもしれないと思い立って、実行に移した。
健康な時なら一分も掛からないであろう線画に何時間も掛けた。何日も掛けてようやく絵が完成した。

まともに絵が描けたことで自信がついたのか、生活も激変した。
可能な限り外出し、日光を浴びまくることでセロトニンを出しまくった。
食事を見直し、胃腸の調子を戻した。
長らく放置していた掃除をした。
――と言いつつ、普通はこれが普通である。

まだ完璧ではないけれど、やっと心の中に風が通った感覚があった。


承認欲求は「悪」ではない

承認欲求が強い人が叩かれやすい昨今だが、よくよく考えると、絵は承認欲求と切り離せない。
見てくれる人、認めてくれる人がいて成立するようなものだから、承認欲求を否定的に捉えたら、絵描きは鬱屈するだけではなかろうか。

元々私はSNSでの絵はプライベートとし、仕事絵とは分けていた。
SNSをやり始めた頃は実績公開NG案件が多かったことも手伝って、プライベートでは仕事とは真逆の内容の絵を描いていた。
仕事で女性キャラを描いているときはSNSでは男性キャラを、仕事で美しい絵を描いているときはSNSではネタ絵を、といった具合に。

ある作品を承ったことで仕事にも日常にも変化が起きた。
仔細は割愛するが、他者から求められるものが一変した。それは私が望んだ形でもあった。
けれど、その役目を全うするには己のなけなしの牙を抜く必要があった。
時に心ない言葉を目にすることもあった。百倍以上の賛辞を貰っても、どうしても捉われてしまった。それも覚悟の上だったが、見えないダメージが知らず知らずのうちに積もっていた。
その当時「Twitter芸人してれば仕事もらえていいよな」という文字列を目にして愕然とした。むしろ他の仕事はSNS関係なくやっていたので、お門違いもいい所だ。そう思いながらも反論する術がないのが悔しかった。しかし、今にして思えばこんなことは壁のシミ程度の出来事だった。こんな何年も前のことをウジウジと気に病むほうがどうかしてる。(※但し、壁のシミは度合いによっては敷金から修繕費を取られるから無いに越したことはない)


あっという間に2023年に

Twitter再開

昨年11月、Twitterを再開した。
この段階でも自分の絵や他人様の絵を見るのは少し抵抗があった。
本来なら弱音のようなネガティブな情報は書かないほうがいいが、心身の不調が原因で潜っていたことをフォロワー各位に向けてお伝えした。こんなことを書いてしまったら、これまでのように絵を楽しんでもらえないという懸念があったが、伝えなければ伝えないで不自然だろうと意を決して綴った。

Twitterを再開したことで、徐々に文章が書けるようになっていった。


久しぶりに絵の投稿

緊張で震える手で久しぶりにファンアートを描いた。

作画日:2023年1月1日 確かこの絵は尻から描いた

特に描きたいものが浮かばなかったので、ア行から始めて描けそうなキャラや物を挙げ、その結果アルミンを描くに至った。
行き当たりばったりで1時間弱掛ったが、心配していたよりは描けた。


Twitter氷河期

Twitterはイーロン・マスク氏の買収により、様々な面で変化を迎えていた。
そんな折、2月に入ってTwitter氷河期と称される大量凍結騒動が起こった。

これを機にPixivアカウントを新設した。
過去に描いた絵の置き場を分散することで、何もない、Null状態をなくす目的だった。
基本的に「やったことを後からひっくり返すのはダサいからやらない」が信条だったのに、いつの間にやら考え方が180度変わっていた。
Twitter氷河期がなければ、私にとってのPixivは永久凍土に眠る筈だった。

投稿するにあたって、過去の自分の絵を掘り起こした。


自分の絵と向き合う

古い画像フォルダの中は、もはや記憶の片隅にもない絵ばかりだった。
昔の私の絵は、自分が想像していたよりも上手くて、自分が想像していたよりも下っ手くそだった。

当時の私の絵はすべてオリジナルだった。
Pixiv初期の「朝目新聞」系イラストレーター諸氏に感化され、私の絵も徐々に版権キャラのパロディが増えていったようだ。

数年手つかずの古いCD-Rも調べた。その中に以下の画像があった。

作画日:2009‎年‎11‎月‎22‎日

は??
絵を描くの楽しくなかった私が、過去にはこんなことをほざいていたのか、と驚いた。どういう経緯で何を意図して描いたのかさっぱりだが、要するに今の私はただのツンデレなのか?
色々と悩んでいたことが急に馬鹿馬鹿しくなって、一気に目が覚めた。


絵柄について自分会議

仕事柄、版権キャラクターを描くことが多いため、自分自身の絵柄には色がないほうがいいと考えていた。なるべく個性を削ぐよう心掛けていた。
しかし、このやり方だとたとえ絵が評価されても「『○△(作品名)』を描いている作家だから、その絵に価値がある」に留まる。
ミニキャラデザイナーにしても、持ち前の絵柄に当て嵌めて作画している方のほうが圧倒的に売れている。その場合、「この人気作家が『○△』の絵を描いている」になる。

数年前、複数のクライアントからカードイラストの作画を請け負っていた。私の実績公開はNGだが、宣伝効果のある人気イラストレーターは名前を大々的に出していたことに、小さな不平を覚えていた。無論、ギャラも桁が一つ違うだろう。
いや、不平や悔しさよりも、売れていない自分が不甲斐なく情けなかった。

要は、自分の絵柄や画力云々より、根本的に私自身がダメなんだ。
努力不足や甘えを「絵」は見透かしている。
いつの頃からか傷つくのが怖くなって心に蓋をした。それを誤魔化し続けるから、飽和状態になって心が蝕まれた。心が壊れたことに伴い身体もおかしくなった。ただ逃げたいだけだったんだ。
自分の過去絵と対話して、自らを見つめ直すことができた。

「東山の絵が好きだから、この作品も好きになった」と言ってもらいたい。
そのためには、今からでもちょっとずつ自分の絵柄を確立しよう。


SNSに投稿する絵をどうするか

SNS用の絵は手慰みで描くことが多いので、キャラクターだけ描ければいいやという感覚だった。だから基本的に背景もない。
Twitterのように絵がどんどん流れていくシステムならこれでも耐えられるが、Pixivでは通用しない。今回過去絵を並べてそう痛感した。

今は「もっとストーリー性のある一枚絵を描きたい」と思っている。絵を「描く」よりも、絵を「書く」ほうが、私には合いそうだ。
誰の絵の横に並べても絵の耐久ゲージが削れないようにならなければ。実際それは不可能だが、目標は高く掲げないとね。

Pixivを制するものはすべてを制す。
絵のジャンルは問わず、Pixivで総合ランキング10位以内に入ることを目指そう。取り敢えず、これが年内のプライベートの目標。
一度引っこ抜いた牙をインプラントするのではなく、鮫の歯で行こう。


おわりに

Twitterでも今までのように、らくがきも投稿する予定(あくまで予定)。
また、ツイートした通り仕事は既に再開しているので、ご心配なく。

冗長な文を最後まで読んでくださった方々、ありがとうございました!!

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