君の呼びかけに誰も応えなくとも――映画『タゴール・ソングス』の脇道

『タゴール・ソングス』

佐々木美佳監督の映画『タゴール・ソングス』が全国の映画館および「仮設の映画館」で公開されております。

この作品は、インドのコルカタ、バングラデシュのダッカを中心に、最後には日本まで足を運び、ベンガルの詩人ラビンドラナート・タゴール(ベンガル語ではロビンドロナト・タクル)の作った「タゴール・ソング」が如何に人々の間に溶け込み、定着し、愛されているかを映し出したドキュメンタリーです。

登場する人々は本当に様々です。レコードコレクターからはじまり、街角の主婦やこどもから、学校で「タゴール・ソング」を教える歌手、あるいはストリートで歌うラッパー、そして両国の国歌に至るまで、誰もがタゴールのことを知り、「タゴール・ソング」を口ずさみます。その中でも本作の中心となるのが、「元ストリートチルドレンの高校生」「19歳の大学生」「夢破れた革命家」の三人ですが、詳細はぜひ本作を見てお確かめください。

この映画は、「タゴール・ソング」を通じて“いまこのとき”のインド(コルカタ)、”いまこのとき”のバングラデシュを知ることのできる作品でもあります。作品の中で、登場人物たちはタゴールに託してインドやバングラデシュに今でも残る貧困をはじめとする社会問題を訴えます。あるいは私のようにインドにあまりなじみのない方には、そもそもこの映画で背景に移るインドやバングラデシュの街並みや風景自体が新鮮に映るでしょう。

とはいえ、はたして日本でタゴールの作品に触れたことがある人はどの程度いるでしょうか。あるいは、そもそもタゴールを知っている人はどの程度いるでしょうか。そういう人にとっては、そもそもこの作品の根幹をなす「タゴール・ソング」自体が縁遠いものに感じられるかもしれません。

そこでこの記事では、日本で読めるタゴールに関する書籍や、タゴールが生きた時代に関する書籍を紹介することで、皆さんが『タゴール・ソングス』を楽しむための「脇道」とできればと思います。

『タゴール・ソングス』を見る前でも、見た後でも、わずかでも参考になれば幸いです。

※本記事の執筆以前に、佐々木美佳監督ご自身によるタゴールおよび関連書籍の紹介記事が書かれております。一部重複して紹介するものもあることを何卒ご了承ください。(下記リンク先をご参照ください)

また、網羅的に紹介するため、筆者未読のものも含めて紹介することも併せてご了承ください。


タゴールって誰?――伝記

「そもそもタゴールって誰やねん」

という人も少なくないと思います。私もそうでした。もちろん『タゴール・ソングス』を見る際にタゴールの生涯を詳細に知っておく必要はありません。上掲リンク先の佐々木監督の紹介を読むだけでも十分でしょう。

とはいえ、やはりここまで人々の心に根付いたタゴールという人物がどういう人物か、というのが気になる方もおられるでしょうから、まずは日本語で読める彼の伝記から紹介することにします。

丹羽京子『タゴール』(センチュリーブックス人と思想119、清水書院、2011(新装版2016))

佐々木監督も最初に挙げておられますが、やはりいまタゴールの生涯について最も手に取りやすく、最も概説的でわかりやすいのはこの本になるでしょう。この本をはじめ清水書院のこの「人と思想」シリーズは良著が多いので、気になった方はチェックしてみてください。

ちなみに旧版がアウトレットでお安くなっているものもありますので、興味のある方はそちらを探してみるのもよいでしょう。

K・クリパラーニ著、森本達雄訳『タゴールの生涯』(上下、レグルス文庫89-90、第三文明社、1978-1979(合冊本1981))

インド研究者森本達雄先生による、インドで出版されたタゴール伝の邦訳。

我妻和男『タゴール』(人類の知的遺産61、講談社、1981)

より深くタゴールの生涯と思想を知りたい方に。ただ、通読には大分骨が折れます。後半には各作品の紹介と解説も収録されていますが、後掲の森本先生の書籍のほうが入手しやすいです。


どうすれば読めるの?――タゴールの作品

「タゴールがどういう人かは分かった。で、作品はどうすれば読めるの?」

「タゴール・ソングス」を繰り返し見るのです。

といえればよいのですが、さすがに難しいですね。

基本的な邦訳書籍は上掲リンク先で佐々木監督が挙げてくださっておりますので、そちらをご参考いただくとして、佐々木先生が挙げておられないものをいくつかご紹介しましょう。

R・タゴール著、森本達雄訳註『ギタンジャリ』(第三文明社、レグルス文庫209、1994)

クリパラーニによる伝記の翻訳者でもある森本先生訳註版の『ギタンジャリ』です。「訳註」となっていますが、学術的な訳註というよりはむしろ森本先生のタゴール愛、『ギタンジャリ』愛が溢れだしたコメントというべきものも多いです。

この本の強みは、値段的には一番お手ごろかつ入手しやすく、コンパクトであること。佐々木先生の紹介されたもののうち、川名先生・内山先生の訳はハードカバーであり、渡辺先生の岩波文庫版は現在古書のみとなっています。しかも分厚い。

そういった点では、新書サイズでさほど分厚くないこの版を手元に置くのもありではないでしょうか。また、森本先生には次のような著作もあります。

・R・タゴール著、森本達雄訳『人間の宗教』(第三文明社、レグルス文庫222、1996)

森本達雄編訳『原典でよむ タゴール』(岩波書店、岩波現代全書63、2015)

前者はタゴールが1930年に行った講演録を中心に、タゴールの哲学や宗教に関する論考をまとめたもの。後者は森本先生がタゴールの様々な作品や書簡、講演などを抜粋編集したアンソロジーです。

ちなみに、『ギタンジャリ』に限れば、現在では青空文庫で高良とみ先生の訳を読むこともできます。

R・タゴール著、高良とみ訳『ギタンジャリ』(底本:『タゴール詩集/新月・ギタンジャリ』アポロン叢書、アポロン社:1967)

スマホでいつでもタゴールが読める。素晴らしい時代ですね……

ちなみに、プロジェクト・グーテンベルクのサイトでも英語で書かれたタゴールの作品が公開されています。

このうちの”Stray Birds”が佐々木監督の紹介された邦訳のうちの『迷い鳥』(『迷い鳥たち』)の原著にあたります。

また、タゴールは多くの戯曲や小説も執筆しています。単行されているもので佐々木監督が紹介されていないものを挙げておきます。

ラビンドラナート・タゴール著、臼田雅之訳『最後の詩』(北星堂、2009)

ラビンドラナート・タゴール著、森本達雄編訳『死生の詩』(人間と歴史社、2011)


独立への道――タゴールの生きた時代

さて、ここまではタゴール本人と、その作品に関する書籍を紹介してきました。

では、そのタゴールの生きた時代というのはどのような時代だったのでしょうか?

もちろん、ここまで紹介してきたタゴールの伝記や、作品の邦訳の解説を読めば大まかな流れはわかります。しかし、もう少し踏み込んで理解したい、という方も、たぶん、おそらく、きっと、おられると思いますので、最後に、この点について参考になる書籍を挙げて記事を終えたいと思います。

森本達雄『インド独立史』(中央公論社、中公新書298、1972)

タゴールが生きたのは、インド亜大陸をイギリスが「英領インド」として植民地化していた時代であり、タゴール自身も含め、多くの人がイギリスに対するインドの、インド人の地位向上を訴え、それは最終的に独立運動へと結実していきます。そうした歴史を見事にまとめたこの本を、タゴールが生きた時代を知るための最初の一冊としてお勧めしたいです。なんでこんな名著が絶版なんだ。

粟屋利江『イギリス支配とインド社会』(山川出版社、世界史リブレット38、1998)

広大なインド亜大陸のみならず、世界各地に植民地を有する「世界帝国」であったイギリス。ではそのイギリスはどのようにインドを支配し、その統治がインド社会にどのような影響を与えたのか。この点がコンパクトにまとめられた良著です。

浜渦哲雄『英国紳士の植民地統治』(中央公論社、中公新書1022、1991)

イギリス最大の植民地にして最大の富の供給源であった英領インド。その英領インドの行政官僚はどのように育成され、どのように選抜され、どのようにインドを統治したのか?こういった点に興味がおありの方にお勧めです。

中里成章『インドのヒンドゥーとムスリム』(山川出版社、世界史リブレット71、2008)

『タゴール・ソングス』でも舞台となる「ベンガル」はインドとバングラデシュの二国にわたっていましたが、それはなぜでしょうか。周知のとおり、「英領インド」は独立に際してその信仰の違いから「インド」と「(東西)パキスタン」に分離して独立しました。のち、西パキスタンから独立する形で成立したのがバングラデシュです。この分離独立、あるいはその後に至るまで、インド亜大陸においてヒンドゥー教徒とムスリムはどのように共存していたのかを知ることができます。

ダナンジャイ・キール著、山際素男訳『アンベードカルの生涯』(光文社、光文社新書195、2005)

山際素男『不可触民と現代インド』(光文社、光文社新書123、2003)

これは直接的にはタゴールとは関わりませんが、インド社会の別の側面を知るための参考書として。

インド独立における重要人物は誰か、と尋ねれば、多くの人は真っ先にガンディーの名を挙げると思います。しかし、そのガンディーに対して、「私には祖国がありません」と訴えた男がいました。その男の名はアンベードカル。彼は不可触民として苦難の生涯を送りながらも差別に屈することなく、インド憲法の起草に携わり、『インド憲法の父』と呼ばれるようになりました。彼の生涯はインドにおける不可触民制の歴史を知るうえで非常に参考になりますので、ご興味がわかれましたら是非一読をお勧めしたく思います。

最後に

長々と書籍の紹介を連ねてきましたが、あくまでこれは参考です。読まなければ『タゴール・ソングス』が楽しめない、理解できないなどということはありません。まずは何も考えず、ベンガルの人々が愛唱する「タゴール・ソング」の響きを楽しみながら、インドやバングラデシュで生きる人々に思いをはせていただければと思います。

『タゴール・ソングス』はいいぞ。





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