【連載中】オリバーのすべらない話



人は誰も一つはすべらない話を持っており、そしてそれは誰が何度聞いても面白いものである。

俺はこの言葉を聞くたびにいつも思う。そんな訳がない。俺にとっては少なくとも、そんな話はない。この前顧客の個人情報を間違えてA3コート紙にコピーしたとか、間違い電話で「今日かっぱ巻き五人前、宅配できますか?」と聞かれたとか、そんな程度の話しかない。

土台、俺はそんな話をできる友達もいない。齢二十八、地元の愛媛から上京して早八年。地元の友人たちは結婚だの親の仕事を継いだだのとストーリーに上げている。自慢と、それと紙一重の愚痴を見せつけたいがために、別に親しい友人でもないくせにそこにカテゴライズしてくる。心底うんざりする。

密かに気に入って通っていた、家の近くのラーメン屋が潰れていた。ショックだった。けどこの虚しさを分かち合える相手なんていなくて、味玉ラーメンを食べようと思っていた七百円で、缶ビールとサラダチキンスティックを買った。
「二十五年のご愛顧ありがとうございました 田中将太」
達筆と悪筆の真ん中を往く字でそう書かれていた。こういう張り紙、大体店主って書くのに本名書いてる人初めて見たな。しかもマー君(ニアピン)だったのか、あの無愛想な店主。

ここ数年割と真剣に推していたアイドルは、正社員になるという夢を叶えるために先月アイドルを辞めた。普通逆である。彼女が立派な正社員になれることを心の底から祈りつつ、ペンライトをそっと押し入れの奥にしまい込んだ。

俺が少しでも心を寄せたものは、みんな何かを諦めていく。
けれど俺は、それをみっともなく喚いたりしない。缶ビールで押し流し、胃の底に溜めて、次の日身体の外に出す。そしたらもう思い返すこともあまりない。
このままだと給与のウン分の一を注ぎ込んでいるソシャゲもそろそろサ終しそうだ。それはほんのちょっと困る。元住吉駅の周りに他のラーメン屋はあっても、完凸したキャストリアの代わりはいない。

日付を跨ぐ頃、最寄り駅に着く。流石にもうラーメン屋は開いていなかった。
家まで続く緩やかな坂道。最近歩くだけで汗がじんわり出てきて、脚が重たくなる。坂の途中にある階段を登ると、その中腹に毛玉が鎮座している。伸びる影を伝い、疲れがするんと抜けた。
「かっぱ」
名前を呼ぶ。間違い電話が来たあの日に出会ったから、かっぱ。妖怪の名前になってしまい、ちょっとだけ申し訳なさもある。
いつもはぱた、と返事をするしっぽが、今はだらんと伸びたまま動かない。

あれ、俺、今日オフィスの鍵閉めたっけ。

俺が少しでも心を寄せたものは、みんな何かを諦めていく。
お前は、何を諦めた?

その背中を揺すろうと手を伸ばした時だった。風に乗って踏切の音が聞こえ、一瞬立ちくらみがした。瞳の裏、白の砂嵐が吹く。地震だと思ったがそれは自身の軸がずれただけだった。身体を支えきれなくなり、足が滑る。そのまま後ろ向きに倒れていく。何も掴めず、情けなく拳を空に突き上げただけだった。

刹那、俺の脳裏に走ったのは走馬灯というやつだった。
ウィー、と言いながら出てくるA3のコート紙。デカデカと書かれた「源泉徴収票」の文字。朝倉様、こんなに収入良かったんだな。ケータイに映し出される見覚えのない番号。恐る恐る耳に当てると、かっぱ巻きを求める朗らかな声が聞こえた。
走馬灯のネタが弱すぎる。滑ってる真っ最中にすべらない話(当社比)を思い出させないでほしい。というかこの状況がそもそもちょっとすべらない話じゃね?

もうこれ、話せることもないか。
そもそも話せる相手もいねえし。

背中が地面に触れるのと、意識がブラックアウトしたのは同時だった。


これが、折場一郎おりばいちろうの「すべる話」である。






異世界転生モノがウケる理由を真面目に考えたことがあった。
人間誰しも努力せずにチヤホヤされたいものである。かくいう自分も、中学まではそれなりに絵が描けたからちょっとチヤホヤされていた時期があった。けれど高校に入り、美術部の奴らや美大を目指す奴らには到底敵わないと知り、俺は絵を描くのをやめた。
異世界転生をした主人公は、大体とんでもスキルを持っている。そして生まれ持った才能でチヤホヤされるのである。会社では新人という肩書きが外れ、かと言いつつ中堅にもまだなれず、中途半端のレッテルを貼られた平社員の俺が、今最も渇望するものだ。

俺もいつか異世界転生してみたい。中世ファンタジーみたいな、剣と魔法の世界。そこで俺は最強剣士になってかわいい魔法使いと付き合って、魔王を倒すのだ。
いや、本音を言おう。付き合えなくてもいいからとりあえずチヤホヤされたいし、自分の能力に胡座をかきたい。


と思っていたのを、不意に思い出した。
気付くと俺は青空を見上げていた。大きな翼を広げた鳥がはるか頭上を旋回している。よくよく目を凝らすと、鳥にしては長い尾と巨大な翼を持っていた。どちらかと言うと竜だ。竜?
「ぉーぃ」
遠くから声が聞こえる。起き上がる気力もなくて、ぼんやりと竜らしき生き物を眺める。突然視界が陰り、知らない人の顔面が視界いっぱいに広がった。
「生きてる?」
形の良い唇が動く。すべてのパーツが整った、まるで人形のような人だと思った。瞳は青とも緑とも言えない、深い湖のような色をしている。
「生きて、ます」
久々に声を発したような。息を吸い込むと、地元の匂いがした。青々とした草、隆起した土ぼこ、川の匂い。それらとあまりにも不釣り合いな、目の前の美少女。とんがり帽を被り、杖を握りしめるその姿は、疑いようもなく魔法使いだ。

なんでそんな姿をしている人間がこんなところにいるのだろう。というか、ここはどこなんだろう。懐かしい雰囲気はあるが、地元・愛媛県松山市でないことは目の前の彼女が証明してくれている。こんな珍妙な格好の人間、ハロウィンでも現れないから。
俺が彼女のことを見た以上に俺のことをまじまじと見つめ、「おー、ならヨシ」と彼女は言った。


【つづく】

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