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僕を変えたい上司

 今年3月に着任されたばかりの上司がいます。彼は着任早々、わたしに



「もっと明るくなりなよ」「たのしもう」「もっと楽に生きなよ」「素直になりなよ」「素を出しなよ」「やりたいことがあるなら行動したらいいんだよ」「俺はオーストラリアへ行ってすごい良かったから夏井くんも行くべき」等いろいろ言ってきたけど、



ああした方がいい、こうした方がいい、と言うことで、結局わたしに対して「今のままじゃダメだよ、変わりなよ」ってことが言いたいわけで、



そんなふうに変われ変われって言われると人格否定された気分になってすごく嫌な気持ちになっちゃったんです。



 わたしはそもそも彼のおっしゃった関係のことで悩んでいなかったし、いろいろあって今はまだ今まで通りの生き方でやっていきたくて、変わりたいなんて思ってもいないのに、なぜかすごくわたしを変えようとするけど、



でもこれって、本当にわたしが苦しんでいて困っていて誰かの助けを必要としていたから力になってあげたい、わけじゃなくて、



「そういう子に救いの手を差し伸べた英雄」になりたいだけなんだと思ったんです。



「俺がこうだったから夏井くんもこれしたらいいよ!俺みたいに変われるよ」
「俺がオーストラリアへ行ってすごい良かったから夏井くんも行くべき!」

ってオレオレってなってるのって結局ぜんぶ“自己愛”なんだなって思ったんです。



どんな状態が幸せでなにに重きを置くかなんて人によって違うし、ゴールが違えばそこまでの道のりもやり方も人によってもちろん違ってくるから、それがわかっていれば「こうした方がいいよ」なんて一概に言えないはずだとわたしは思ってます。



 そのやり方が果たしてその子に合っているのかいないのか、その子にできるやり方なのかどうか、その子に向いているかいないか、
彼の提案はそれらを全く考えていない形だけの提案。だから薄っぺらいんです



 わたしにはなんでそのやり方じゃダメかを考えもしないで無神経に「できないんじゃなくて、やらないだけだよ」と言えるのは、
わたしのことをなんにも考えていない証拠ですし、ただ彼が英雄になりたいだけだからです。



 わたしの根の暗さも人間性もそんな簡単に変えられるものじゃないし、今はまだ変わりたいともあまり思わないし、自分のよくない部分をちゃんとわかっているつもりだし、



わたしのそういう面は社会生活では多くの場合マイナスに働く部分だから、対人ではある程度外行きの自分を作って、装って社会生活を送ることがわたしが編み出した処世術だし、



それがわたしの生き方で、性に合っているし居心地の良さも感じているからこそ今はまだ変わりたいと思わないのに、



わたしが表に出している部分だけを掬って、その生き方を選んだ根底になにがあってどう捉えていてなにを思って今のやり方を選んでいるか知ろうともせず、勝手に踏み込んできて言いたい放題言って、響くことを言ってやった気になっている、んだなぁとわたしの中で答えが見つかってからは、彼になにを言われてもへっちゃらになりました。



 ただ、彼から学んだことも気付かされたことも多くあったので、わたしの中で重かったもので言語化できたものだけ自分用の備忘録として。


・いろんな人がいる
・“大人”は完璧ではない
・「長く生きている」「社会人歴が長い」ということは人を測るなんの指標にもならない
・人はそれほど他人に興味がない
・矢印の方向を見極めることが先決


 こんなふうに並べてみると意外と多くのことに気付かされ、多くの学びを得たなぁと思います。




 自己愛の激しい人の話でした。







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