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壊れたメガネの修理にやっと手をつけ始めた、そんな旅

はじまり

 向島に行くこととようたさんに会うことを目的に直島へ行ってきた。
 向島は人口10人くらい?直島の本村港から船で3分くらいの離島。ようたさんは直島に住居を持ちつつ向島の集会所を守ってる。育ててる。

直島について

 直島の一部の山は精錬による公害ではげてるらしい。三菱ケミカルは直島唯一の会社であることから、直島では「会社」と呼ばれているらしい。島民の9割は会社員。流行同然の芸術に惹きつけられた観光客向けのホテル開発が外資系企業などにより進行中らしい。

ようたさんについて

 私にとって、ようたさんの存在と生活は「現在進行形の文化」そのものだった。
 辞書によると、文化とは自然を人間の生活目的に役立てて行く精神活動、生活様式、それに関する表現。私は文化に対して「お金では買えない、つくれない、手間と時間がかかる」という印象を持っている。

 ようたさんは、添加物や農薬が使われた食べ物を口に入れて排泄し、それを肥料にして育てた野菜は、本当に無害と言えるのか?と問い、井戸を掘ったり、畑とトイレをパイプでつなげたり、生産者に自ら会いに行って体に入れるものを選んで取り寄せたりしてる。
 お互いに消費せず、対等な関係性を保ちたいからと、向島を商材にしようと近寄ってくる人とは距離を置き、嘘のない素直な人との付き合いを大切にし、人間関係を整理している。
 そしてなにより、集会所を補修したり素敵な本や家具を迎え入れたりすることで、大切な人に譲り受けた大切な場所を、大切な人たちが戻って来れる、集うことができる場所にしようとしている。

内省

 そんなようたさんを目の前に
「私は人を搾取、消費しているのではないか」
「自分に嘘をつくような生き方をしていないか」
「自分に恥じるような態度をしていないか」
「自分の生活や食の在り方をどうしていきたいか」
「今の仕事や仕事における地域への向き合い方はこのままでよいのか」と、足元を見直した。

 また、どんなに自然が豊な場所に行っても、好きな人たちが住む場所に行っても、物足りなさを感じていた要因は若者文化の乏しさにあったのではないか?と思った。

 ようたさんとの出会いを通して、良い意味で、今後の人生の幅が狭まって、選択肢は増えた気がする。

私のこれから

 ひとまず、ざっくりと、仕事のスタンス、関心のあるまちづくりへの関わり方は二択かな。

①会社員として、地域に短期的に外側から関わるという制約条件のもと、どうしたらお互いに消費しない対等な関係性を築くことができるか?
相手の住む土地の文化を壊さないことを前提とし、時には守り、時には共に耕すような働きができるか?
 この二つを考えて実践すること。きっと自分なりの、誰かにとって大切な場所を「地域」と括り、そこに住む人を「地域住民」として一般化せざるを得ない立場や状況に対する戒め。
(↑現在所属してる会社が今後関わる自治体数を爆発的に増やし、ビジネスを通じて各地域の文化を育むことを一つのゴールにしてると私は認識している。)

②ここに住む人と日常を共にしたい、そして未来を一緒につくりたい、と思う日まで、そんな人たちが住む土地にに出会うまでは、旅するように働く。介護とか第一次産業とか、命を直に支えている仕事を経験して、実感の伴った言葉や思考を増やす。
 で、根を下ろす場所を決めたら、お母さんと宿をやりたい。まちづくりには一住民として参加する。結局自治やまちづくりの主人公はお金を持った企業でも政府でもなく、そこに住む人。住む人がその土地での権利と義務を一番被る立場に置かれていると思うから。

おわり

 久しぶりにあかすりをしたような、ヒビの入ったメガネのレンズを修理したような感覚。ようたさんには尊敬の念でいっぱい。向島には、もっと通いたい、もっと知りたい、もっと好きになりたいという気持ち。改めて、向島とようたさんと、今回の旅を共にしてくれた人に感謝しています。

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