「これ生放送?」(ガルラジのリアルタイムについて)
『超ガルラジ』(ニコニコネット超会議2020夏でのガルラジのニコ生一挙放送)の放送中、「これは生放送?」というコメントを何度も見かけた。
あらかじめ作品の設定を理解していたならばこの疑問は浮かばなかっただろうから、このリスナー(たち)はこの時に初めてガルラジに触れたのだろう。しかし、いくらニコニコ生放送で放送されていて、またセリフとして「生放送でお送りしています」と言っていたとしても、ガルラジが普通のラジオドラマのような演じ方であればやはりその疑問は思い浮かばなかっただろうから、この質問をしたリスナーは、ガルラジの演技が普通とは違うのを感じ取って「これは今リアルタイムで演じられているのか?」という意味で質問したのだと思われる。
実際はガルラジは「生放送という設定の番組」であり、超ガルラジは「生放送という設定の番組の再放送」である。
ガルラジにおける演技の特徴の1つとして、役者がセリフの文言をその場で変更したり追加したりするアドリブ的なアレンジや、噛み・読み間違い等のアクシデントに対する許容範囲が広いことが挙げられる。
大部分は台本に沿っているが、会話が自然に聞こえるようにする受け答えのアドリブや、アクシデントをフォローするようなアドリブなど、台本にないような突発的・偶発的なものも多分に活かされている。
このアドリブ的なものを活かすという点が、生放送ではミスを編集できないという点と重なり、ガルラジは"生放送的"になっている。またガルラジは、普通の生放送ではないとはいえ、物語内の時間経過が私たちの現実の時間と同じであるという設定のなかでキャラクターが「生放送」をしているから、その点でも"生放送的"である。
ガルラジという番組は、先のリスナーが思うような生放送なのではなく、生放送的な放送だ。そしてその生放送っぽさは、演じ方や演技のアドリブ的なものによって生まれており、かつリスナーが物語の設定を理解していることによって支えられている。演者と作品の受け手(視聴者)によって、この"生放送"は演じられているのだ。
先のリスナーは作品設定を十分に理解していなかったからこそ、アドリブ的なものが活かされたガルラジの演技を(おそらくほとんどそれだけを)判断材料にして、「これは生放送?(これは今リアルタイムで演じられているのか?)」という疑問をなげかけることができた。一般的なガルラジリスナーであれば、そこは「今のはアドリブだろうか」と思うような場面だろう。
設定への十分な理解なしに「これは生放送?」と思わせているという意味で、ガルラジのリアルタイム性は、「生放送」という設定よりも、演技それ自体(そこで為されているトークそれ自体)にその本質を宿している。
だから、今からガルラジのアーカイブを聴いても、そして何度聞いても、ガルラジ的には十分に"リアルタイム"だ。そして普通の意味での現実的な時間差は、たとえ2年の時が過ぎていても、ガルラジ的なリアルタイム性のなかでは誤差にすぎないのではないだろうか。
※この記事は「ガルラジ Advent Calendar 2020」12月7日(24時7分)の投稿です。