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薄曇の空 第五話

     5.夏の青空


 S状結腸を切除した日は夫の誕生日だったが、祝いを出来ないないまま手術台に登る。腕に注射された途端闇に落ちた。
 15秒ほど経つと目が覚めたがそこは手術室ではない。時計が午後3時半過ぎになっている。
 15秒だと思っていたが実際は6時間経過していた。電球の球が切れた様な闇は案外心地良かった。

「それでは化学治療を行ないます。先ず腕にポートを埋め込み、そのポートに針を刺して点滴を行ないます。ディフューザーを装着して帰宅して頂き、自宅で48時間薬を入れていきます。終わったらご自身で外してヘパリンで管の掃除を…」
  点滴の度に直接血管に刺し点滴すると、抗がん剤の威力で血管が持たないらしい。薬の種類によって異なるかもしれないが、それと別に素人の私自身で針の後始末をする為に血管に直接刺さないシステムとなっていると言う事だろう。
 腕を切開してポートを埋め込む時、強い痛みが走った。
「先生、今のは流石に痛いです。」
「…あなたは痛みに強いひとですね、普通は叫ぶ場面なのですが。」
と、執刀医に感心された。
 普通は叫ぶ?…確かに痛かったがそこまでじゃなかったと思った。


  化学治療が始まると夫に異変が起きた。突然口がきけなくなり寝込んだ。私が助からないと思い込んだらしい、急性の鬱状態に陥ったのだ。
 私が前向きに治療をしている時に…男性の方が心が弱いのだろうか?夫のがん治療の時、前向きに考えて側についた私は何だったのか。誰にも甘えられず、ひたすら気を強く持ち奮い立たせるしかなかった。
 ディフューザーを装着したまま愛犬の散歩もした。犬はそれなりに私の大事を感じていた様子でよく気を遣ってくれた。


「俺はサトウ君の様に、突然倒れて終わりたいなあ…サトウ君の死に方が羨ましいよ、まったく。」
 幾日か過ぎて抗鬱剤が効いてきた頃夫がぽつり、ハジメの事を話し出した。
「うちはみんながんだから、きっと楽に死ねないと思うよ。」



 外は青空が広がりなんとも清々しくて。
 それとは何の関係もなく私達夫婦はどんよりと曇っていた。

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