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【企画参加】おじさんのくれたマッチ

年に何回か、うちには置き薬屋さんが来る。
無事に進路が決まり、あとは卒業式を残すのみという3月のある日。
家でゴロゴロしていると母が声をかけてきた。

「明日、薬屋さんが来るんだけどお母さんいないからお金を払っておいて」

私が小さいころから担当のおじさんは変わらないそうだ。
私はいつも、玄関先でのやり取りを母のそばから片時も離れずに見ていた。
おじさんの顔は全く覚えていないけれど、とにかく来たら対応してほしいと母はお金を置いていった。

「やあ、すっかり大きくなったね。きょうはお留守番なの?」おじさんは手早く薬の使用期限の確認と使った分の補充をした。
お金のやり取りが終わると、「昔の薬売りは紙風船をくれたんだけどね」と言いながらゴム風船を膨らませ、いろいろな形にするショーがはじまるのだが、さすがにおじさんも子供だましは使えないと思ったか。

「これはお嬢さんに差し上げるものでもないと思うんだけど今日は特別」
そういっておじさんは風船が出てくるバッグではなく、上着のポケットからマッチを取り出した。「これはね、過去の嫌な思い出を消してくれるマッチなんだよ」絵も字も書いてない、白いマッチ箱。「もう私もだいぶ使ってきた。若いころ、会社の先輩から譲られたものなんだ」

新しいマッチなら箱の中で整列するようにみっちりと入っているが、もらったマッチ箱は振るとカラカラと音がする。「お嬢さんのこれから先の長い人生にこれで足りるかどうかは分からないけれど」おじさんは今年で定年だそうだ。「人生でどうにもならないことなんてそう何度もないほうがいいし、その経験が自分を高いところへ連れて行ってくれることもあるのだから安易に使うものでもないかもしれない」だから適切に使ってほしい。そう言っておじさんは去っていった。

箱を開けるとマッチは数えるほどしか入っていない。おじさんに言われたそばから私はマッチを1本取り出し、擦ってみる。

マッチの頭を箱の横の赤燐せきりんと擦りあわせる。チャッという音と微かな火花。そしてわずかに遅れてシューっと音を立てながら炎が出る。
ふわっと暖かい風が私に向かって吹いてきた。
明かりと熱が私の心の闇を包んでくれる。

炎の中に小さいころの寂しかった思い出が浮かんできた。炎の中の私と両親はみんな一生懸命だった。自分の闇にまっすぐ向かってきてくれる明かり。

このマッチは、いまのその人の心に寄り添う波長の炎が出るのかもしれない。

炎がマッチの軸にまで広がってきた。
私はマッチの頭が燃え落ちないようにそっと炎を消し、台所へ行った。


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こちらの企画に参加します。






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