【初声】=ubugoe=

「どうしよう・・・きっとこのイヤホン、あそこで泣いている女の人の片方だよなぁ・・・届けるべきか・・・否か・・・」小さなイヤホンを掌に持て余し、ゆらゆらと転がしてこの先の行方を占う。躊躇してるのには理由がある。その持ち主がオフィス街の植え込みの陰で、下を向いたまま白いレースのハンカチを握りしめ何度も小さく震えている。声は殺しているけれど、その小さな手は真っ赤になる程、堪えた感情が大きな大きな涙となり彼女の気持ちを落ち着かせようと、いくつもいくつも放たれて零れ落ちて行く。泣いている女の人に声を掛ける勇気も、ましてや僕が声を掛けたところでまた気色悪いと思われて、更にこの状況を悪化する事しか、今の僕の頭の中には存在しない。白くて小さな耳にあるこのイヤホンの片割れ。どうして泣いているんだろう?会社で上司や同僚にいじめられたのかな?それとも・・・このイヤホンの中から流れる音に感極まって泣いているのかな?・・・だとしたら・・・どんな音があの女の人をここまで感動させたんだろう?広げた掌から微かに伝わる音が、気流に乗って僕の掌をくすぐる。単なる興味本位で、僕は彼女とは反対の耳にイヤホンを差し込んでその音に神経を傾けた。「・・・子守・・唄?」迷う僕の心に、そっと寄り添うような優しい女の人の声。その琴線に手を伸ばして走り出す符尾を掴みたい一心で僕は夢中でその声色を追いかけた。「・・・誰?・・・」彼女が不意に僕の方へ振り向いた。マズイ!流れる出る声に僕は我を忘れて、隠していたもう一人の僕を・・・彼女に僕の存在がバレてしまった。引き返すこともできず、僕は彼女の手に自首するように、持て余していた。片方のイヤホンを差し出す。「す、すみません・・・コレ、あなたの・・・じゃないですか?」僕はありったけの勇気を振り絞って彼女の手にイヤホンを握らせた。熱を持ったその手から、小刻みに彼女の悲しみが伝わってくる。「・・・だっ、大丈夫、ですか?あの、僕が拾ってしまって、す・・・すみません・・・ッ!」触れてはいけない悲しみに、ただ謝る事しか出来なかった。「・・・イヤホン、拾ってくださってありがとうございます・・・あの・・・顔、上げてもらえますか?」耳まで赤くなっているのに顔まで上げたら、僕は・・・。「大事な物なんです・・・無くしたら・・もっと困りますし。本当に助かりました・・・頭を下げていると、私が悪い事をしている気になって・・・」その言葉に顔を上げるしかなかった僕は、更に赤くなろうがお構いなしに頭を上げた。「そ、そんなつもりじゃなかったんです・・あの・・・僕っ!!」「・・・知っているんですか?」彼女の白い手がその言葉と共に僕の心を繋ぎ留めた。「・・・えっ?僕、何も知っ・・・知らないです・・・」何?彼女は何を言ってるんだ?泣き腫らした目が、何かを探すように僕を捉える。「あっ・・・ごめんなさい!間違いでした・・・気にしないで下さい」慌てて彼女は僕からその手を離すと首を傾げて遠くを眺めていた。零れそうな涙に映る青い空の色、彼女の悲しみの色をそのまま反映されたビジョンが僕の心を低く揺るがせる。閉じた瞼と共に流れ落ちたその空に、僕は瞬間忘れていた自分を引き戻す。「あっ、あぁっ!すみません・・・大丈夫ですか?あの・・・僕はこれで・・・」彼女に軽く会釈をし踵を返すと、彼女の唇から優しい声が漏れた。その言葉に僕の記憶が混濁する・・・この声が・・・バレちゃいけないんだ。ビルの中に吸い込まれる彼女の後ろ姿を虚ろに睨みながら僕は、もう出る筈の無い音を探る様に、掌を耳に当て走り出した。

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