3.18

大学生になってから、自分の心臓に触れることができたらいいのにと思うようになった。ひどく辛いことがあれば、傷んだリンゴを確かめるように、掌の上で眺めることができる。思ったより黒ずんでるなとか、もっとパックリ割れ目が見えてるつもりだったとか、目視で確認する。例えば投げやりな気持ちで雨に打たれて歩いているとき。行き違う人の群れに埋まりながら、傘で隔たれた私は、私だけの空気の中でメランコリーになる。そんなとき胸に手を当てて心臓を取り出し、後ろからも斜めからも、ぐるっと一周目で舐めまわし、満たされない感傷のうちに心を戻すのだ。思ったよりも綺麗な見た目で、不満がったり安堵したりするだろうか。虚しくてどうしようもないとき、心が壊死したと直感するとき、そんなときでさえ微かに輝くものが認められたらどれほど救いになるだろう。再生の兆しを自己のうちに見出したい。
私は煌めくナイフを握り、左手で目の正面まで持ち上げた心臓と相対する。息を鎮め、右手に軽やかに力を入れて一刺しで、己を殺す。自分に刃を向けなくていいのだ。他者として殺せるのだ。理想的な自死。倒れた私はナイフを落とし、左の手指からは朽ちた球体が転がる。心臓ともリンゴとも、見分けがつかない何かが鈍く異光を放っている。