死ぬほど悩んで投票に行った2024年の東京都知事選挙について

良い意味でも悪い意味でも盛り上がった、今回の東京都知事選挙だったと思う。

正直、全く自分は選挙の知識はない。自信もない。だが、多くの都民と同じくらいにもっといい国になってほしいと望む想いはある。だから、今回も選挙に1票を投じた。

最初に選挙のことを知ったのは、主にXとYouTubeである。特にYouTubeショートやXでのツイートはかなり目に入った。そこが選挙に行こうと思った大きな要因であることに他ならない。

だが一方で、YouTubeやXで得られる情報が、一方的な情報が多いと思わざるを得なかった。特に候補者を否定する意見や、この人以外ありえない、というような意見が、ネットのアルゴリズムで散見したのが一番の記憶だった。

今までの選挙の自分での1票を考えると、選挙公報での印象やSNSでの意見に影響されたことが大きかったように思う。これは今までの選挙への向き合い方としての反省だ。

そのうえで、今回は自分の1票を自分の意見で投じたいと思った。だから、今回は "今までの自分の選挙の向き合い方"として一番と言っていいほど情報を収集して投票に臨んだ。

投票する上で収集しにいった情報と思ったこと

今回、自分自身はこのような情報を収集して選挙を見てきた。

・自宅に届いた選挙公報
・YouTubeでの小池氏・石丸氏・田母神氏・蓮舫氏の公開討論会
・中田敦彦のYouTubeでの対談(小池氏・石丸氏・蓮舫氏)
・中田敦彦のYouTubeチャンネル
・YouTubeの選挙特番
・候補者の選挙公約放送(全員分は見れていないが…)
・テレビニュースでの選挙に関する放送
・Xでの選挙ツイート(主に民意を収集するため)

これだけ収集したが、正直足りないと思った。全く自分の情報に自信が持てなかった。特にXでのポストも民意を知りたいという意味で収集したのだが、これが特に難しかった。ネガティブキャンペーンが多すぎる、という点で。
この候補者の公約いいなと思えば、その候補者のここがダメだ、この候補者に投票するなんておかしい、この候補者一択だというポストが流れたりする。

いつも思うことだが、そういう意見を見るたびに「誰に投票しようが自分の意見を全否定された」というような感覚になってしまう。私は20代の都民だが、今回の開票速報へのポストで「こんな結果都民はおかしい」「これだから若者は情弱だ」という風な意見を見た時は、こんなネガティブなことを目にしてしまうのなら、いっその事選挙に行かなきゃ良かったのでは?と思ってしまった部分もあった。

投票はひとりひとりの権利の一つなのだから、人の投票を全否定するのではなく、「私はこういう想いを持って、こういう政策を打ち出しているこの人になってほしいと思っている」という意見が溢れるようになって欲しいなと率直に思った。

公約の否定はあって然るべきだと思っている(それは、その想いがある人が選挙に立候補して、応援する人がいるのだから)。だが、候補者の否定や投票の否定だけはやってはいけない。それは即ち「こんな想いをするくらいなら選挙に行きたくない」となってしまう、少なくとも自分自身はそう思ってしまったから。自分自身への約束としても、それは強く思った。

自分の選挙でのスタンスと感じたこと

今回私が投票する上での選挙のスタンスとしては、大きく3点あった。それは、「クリーンな政治を行ってくれること」「お金の使い方を見直してくれること」「教育施策や少子化施策に取り組むこと」である。

クリーンな政治は、昨今の政治のニュースを見れば言うまでもないと思う。
お金の使い方については、自分自身納税をする一都民としてお金の使い方についてはしっかり考えてほしいと思っているからだ。(自分自身、都庁のライトアップについては懐疑的だ)
そして、将来子供を持つ可能性がある世代として、そして未来を考えると教育施策や少子化施策について取り組んでくれる人を応援したいと思った。

そして、色々情報を調べた中で、自分自身の結論としては「全部が全部納得できる候補者はいない」ということだった。

今回初めて街頭演説を見た。ネットニュースでキャッチした街頭演説の動画、実際に候補者の街頭演説に足を運んだのも、今回が恥ずかしながら初めてだった。街頭演説に行ってリアルに実感したことが「この候補者に託したい」という強い思いを持った都民がたくさんいることだった。そういった意味では強い熱意や信頼を持って1票を投じられない自分自身の知識や想いが足りないことに悔いた部分もあった。

だが、だからこそ自分自身の考えた軸の元にフラットな目線で1票の投票先を決めようと思って、今回選挙に臨むことが出来たのは、良かったとも思っている。

投票について

言わずもがなだが、今回実際に投票を行った。正直投票所に行くまでずっと迷ったし、納得の持てる1票を投じれたのかはまだ悩んでいる。だが、自分自身ここまで迷って、そして得られる情報を自分からキャッチしたうえで1票を投じられたこと自体には、本当に良かったと思っている。

上記にも述べた通り、自分自身の決断に100%の自信を持てなかったから、Xでは特定の候補者を応援することや、拡散することは出来なかった。候補者を信じて1票を投じた人たちに対しても無責任だと自分も思ったからだ。

しかし、自分自身が悩みぬいた決断を、全て間違っていると思いたくはないし、今までで一番選挙に真摯に向き合った自分自身を否定したくない。

自分自身「選挙の1票はその人の意志であり、否定すべきでない1票だ」と今回の選挙で改めて思った。
自分は調べぬいた末で特定の候補者を全面的に信頼して1票を投じれなかった。これは自分自身まだまだだと思う点でもある。

今回選挙でいろいろな想いを巡らせて、完璧な人間もいなければ、完璧な社会もないのではないかと思うに至った。自分という人間が唯一無二である限り、自分の願うことが全て叶う世界はないからだ。子供を持つ人にとっては子育て支援をしてくれる人を応援したくなるし、信じた候補者を持っている人にとっては、その人が当選してほしいと思うのは当たり前だと思う。

ただ、若者の一人として、自分の1票に自信が持てなった一人として、「自分の投票に自信が持てないから、投票しない」という人が現れない社会になればいいなと、綺麗ごとかもしれないが強く思った。

どの情報が正しくて、どの情報がフェイクなのか、全ての情報を網羅的に調べることもできなければそのソースや真偽性を完璧に判断できないのだから、自分の足で、自分から調べた情報を咀嚼して信じていくしかないと思う。

そういう意味で言えば、誰かの意見が混じっていない選挙公報や公約の放送を見ることは重要だと思った。
特に今回候補者4人の公開討論会をフルで見て、どの候補者の良い面も悪い面も知ることが出来た。こういった放送がたくさん見れるように、次の選挙の時になってくれれば良いなと思う。

私はこれからも、悩みぬいて、貴重で重い1票を投じていきたいと、改めて思う。
今回のように、自分なりに調べて。

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