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心優しき若者たちの青春ヒーロー物語 超獣戦隊ライブマンについて

ゴーカイジャーのエンディングから思っていた。
「友よ、どうして。ライブマン」
どうしてってなんだ??
ということで、東映特撮ファンクラブで見たライブマンについてまとめていこうと思う。

科学アカデミアの反逆者と生き残りの天才たちの戦い

物語は、ライブマンとなる天宮勇介、大原丈、岬めぐみの3人が通う、選りすぐりの天才たちが学ぶら「科学アカデミア」から始まる。
「友よ、どうして。」の歌の通り、彼らの学友である月形剣史、仙田ルイ、尾村豪の3人が同級の2人を殺し、宇宙船で姿を暗ますという驚きの展開となる。
2年後、友であった3人は大教授ビアス率いる武装頭脳軍ボルトのメンバーとなり、地球への攻撃を仕掛けていく。
そんな中、この日のために自分たちで開発してきた強化スーツを引っ提げ、生きとし生けるものを守る戦士「超獣戦隊ライブマン」として、3人が立ち向かっていくのだ。

言わずもがな、大きな特徴は「かつて友であった敵との戦い」であろう。
出会いが学校という場ということもあり、彼らとの仲には、友情や恋愛感情と言ったものも含まれる。
ただの敵ではない、思い出を分つ友との戦いという状況下が、他のヒーロー作品とは異なる、大きく切り捨てられない「相手への情」が垣間見えるのが、さながら人間ドラマと言えるだろう。

その影響もあってか、彼らの戦いの中では、度々「戦い」ではなく「訴えかけ」で解決をしようとする場面がある。
力を振り翳して、その身で罪を償わせるわけではなく、まだ残っているかもしれない真っ当な心へ訴えかけることで、争いを終わらせようと挑む場面が印象強い。
まさに「生きとし生けるもの全てを守る戦士」に二言のない、敵すらも助けようとするヒーローなのが、とても強い印象であった。

友ですらないラスボスである大教授ビアスにも、ブルードルフィンである岬めぐみは言葉で説得しようとしてたほどだから…。笑

追加戦士は憎しみの戦士。しかし聞き分けは良い

先にも述べた通り、ライブマンである3人は、ボルトとなった3人により学友2人を亡くしている。
シリーズの後半となり、その2人の弟である鉄也・純一が登場し、のちにライブマンの追加戦士となる。
彼らは特に肉親が殺されたということもあり、ボルトへの敵対心も強く、最初から戦う勇介たちに対しても「やっぱり俺たちとは違うんだ」という場面が印象的だった。
しかし、勇介たちの狙いや作戦を知るや否や「そういうとこだったのか!」と、割と聞き分けの良いリアクションをすることもある。
目的のためにやや空回りしつつも、根はヒーローとしてのものを持ち合わせてることを思わせるなと思う場面であった。

バイモーションバスター有能説

友との戦いというシリアスな設定があるものの、昭和最後のスーパー戦隊という時代背景からも、どちらかというとハイテンポなストーリー展開の目立つライブマン。
友である3人から世界を守るという主軸は徹底しながらも、基本は頭脳獣という敵怪人が現れ、トラブルが起こり、そいつをライブマンが倒すという展開は既定路線であった。

かっこいい戦闘シーンはあるものの、ワンパターン的な展開は否めないであろう。
特にバイモーションバスターは「これが出たらもう勝ったんだな」という結論が頭を遮る。
(ただし、これはこれで平成初期にもあるような安心感や王道感があることは否定し難い)
今のような飽きのこないバトルシーン展開は期待し難いが、このような伝統的なヒーローらしい展開は見ていてスッキリするものだ。

これがあるから勝った!みたいな納得ある展開や劇的な勝利描写はない。けれど安定していつもの強いパワーで敵を倒していく、それがライブマンなのだ。

敵となった友への、作品としての真摯な向き合い方

そして大きな特徴である「友との戦い」だ。
先述した通り、ライブマンである勇介たちは、戦いの中でもどこかで友たちの公正の道を模索していた。
ボルトから足を洗った豪や、ビアスの狙いを知ったルイも、最終的には敵としてではなく人間としての最後を遂げる。

注目すべきところは、彼らの最後である。
彼らは最後、人間らしい姿に戻っていたのだが、最終的には敵の手に、または敵の思惑を阻止するために命を落としている。
どれだけ更生の意思を見せても侵した罪は結果として返ってきているのだ。
そう言った意味では、友という敵側のルーツらしからぬ、ヒーロー作品らしい敵の最期といえよう。

近年だけの傾向ではなかった。名乗らない戦隊

ライブマンの変身は、大きく2パターンある。「レッドファルコン」というように戦士名を叫んで変身するパターンと、「ライブマン」というように戦隊名を叫んで変身するパターンだ。
最初の変身シーンは前者であったことから、スタンダードは前者である可能性が高いが、その影響もあって変身後の名乗りがないパターンも少なくはない。

近年では、ドンブラザーズ、キングオージャーと続き、名乗りのシーンが極端に少ない戦隊が話題になっているが、ライブマンにおいても、名乗りのシーンが決して多くはない戦隊であろう。

思ったよりもそこのルールづけは早い段階から破られているのだと気付かされた戦隊でもあった。

蛇足:カジキイエローばりに癖になるイエローライオン

名乗り、および変身シーンで私が特に印象強かったのが、丈扮するイエローライオンの変身・名乗りである。

物語が進むにつれて「イエローライオン」の言い方の癖と力強さが増していくのは、近い記憶でのカジキイエローに近いものを感じた。

ただ、丈の熱いキャラクター性を表す意味で、あの名乗りの力強さは、とてもいい味を出していたと思う。

【総括】ライブマンはキラリ輝いた作品だった

というわけで、感想を書いてきたライブマンだったが、私自身古いスーパー戦隊作品は、特にダイレンジャーより前はちゃんと見たことがなかったのだが、とても楽しく見れた作品だった。

ドラマ性もあり、王道のパターン性もあり、かっこよさもある。スーパー戦隊の歴史の偉大さを改めて感じるきっかけになった作品だった。

ありがとう、ライブマン!!

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